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「sense」はどこからやってくる?

  先日、妻と同じ被写体を撮り比べる機会があり、思うところがあったので、書いてみます。尚、本原稿は、一度完成目前まで書き上げた後、推敲の過程で操作ミスから半分程度がふっとんでしまい、長らく(約二年)眠りについていた記事です。

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 さてさて…写真の扇子は、妻とむすめが私に贈ってくれた「父の日プレゼント」です。写真も妻が撮りました。ちなみに、タイトルのsenseと写真の扇子はかかってませんよ。念のため。

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 こっちが私が撮ったやつ。
人それぞれ感じ方は様々あると思いますが、僕自身は妻が撮ったものの方が好きです。
僕は一時写真をやめていたのですが、それもこれも、妻の方が写真が上手いからなのです!(嫉妬)
僕の方が高い機材を使っているのに…センスがないからだ…と諦めていました。
では、いったいセンスってなんなんでしょう?
生まれつきセンスがある人とない人に分かれるのでしょうか?

僕も最初はそういうスタンスで捉えていました。出来る人と出来ない人には生まれながらにして大きな隔たり、溝があるのだと。
その方がシンプルでわかりやすいし、何処かでそうあって欲しいと望んでいたのかも知れません。
でも…どうやらそうではないらしい、ということに気付いてしまったのです。
きっかけは、下記の2つの説です。

ファーストチェス理論…プロのチェス競技者が
5秒で選ぶ手と30分考え抜いて選ぶ手は86%一致する、という理論
1万時間の法則…誰でも1万時間掛けて取り組ん
だらプロレベルになれるという法則

 僕の妻は、元アパレル勤務で自営雑貨店店主として独立、妊娠・出産を期に廃業するまで、約5年半、商品画像を撮りまくってた人なのです。かけてきた時間と、姿勢が違います。何せ生活がかかっていたのですから。
そして、一定以上の経験値を積む事で、ほぼ間違いのない答えを出すまでの時間は短縮されます。
本人はほぼ無意識に、「よしっ」て感じで一瞬で撮りきってしまうのです。
センスの正体とは…要は、選択と集中で、何にどれだけ、時間を投じてきたか、っていう事だったと気付いたのです。

  ところで…
僕達人間は、物心ついてからというもの、日々、選択の連続ですよね。
今日着る洋服、ランチのメニュー、付き合う友人や配偶者でさえも”選ぶ”という意識はなくても多くの同質の対象の中から選択していますね。
生きることは、選択することだと、誰かが言ってましたっけ。
そして、その選択の基準になるものとは…「赤いのと青いの、どっちにするの?」みたいな質問に対しての答えの積み重ねを繰り返し、時に賛同を得て、時に批判に晒され、納得や後悔みたいな感情もあり、そこから形成される好みや好き嫌いというものが、玉ねぎの皮のようなとてつもなく薄い膜のようなもので、それらが積層していって”自分”を形成し、「選択の基準」を確立しているんですよね。即ち、人生において連綿と繰り返してきたこの選択の結果そのものが現在の自分であるわけです。

 話が逸れましたが、結局、僕が妻に勝つための手段があるとすれば、妻より一枚でも二枚でも多く撮り続けること以外にないのでしょう。
では…僕がこれから写真で1万時間の経験を積むには…1日1時間で27年!
…70歳にはものになりますかね?
人生100年時代ですから…孫の写真はプロ級の腕前で撮れるようになるかも知れませんね!
日々精進、頑張っていきましょう♪

 最後までお読みいただきありがとうございます。
この記事は書いたきり、長らく放置してしまっていました。
こんなこと、誰も興味ないのでは?みんな知ってることでは?
そんなネガティブな想像ばかりが浮かんでしまい、身動きが取れませんでした。
でも、難しいことは抜きに、せっかく自分が生み出したものを埋もれさせておくのは勿体無いと思い、覚悟を決めました。
同じように寝かせている記事がありますので、少しづつ掲載してみようと思います。
よろしくお願いします。

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