『魂のアップデート』
私は今日も、魂のメンテナンスのために魂のアップデートセンターに向かっていた。 毎月1回、全ての市民は魂のアップデートを義務付けられているのだ。
魂のアップデート。 それは10年前、画期的な発明として誕生した。 脳に埋め込まれた魂チップに最新のプログラムを入力することで、人々は効率的に管理されるようになった。
思考や感情までもがデータ化され、国の定めた規範に沿って最適化される。 アップデートを受ければ、生産性は上がり、不安は消え去り、幸福感に満たされるはずだった。
センターに着くと、いつものように白衣を着た技官たちが、機械的な笑顔で出迎えてくれた。 各個人の魂チップをスキャンし、新しいプログラムを入力する。 それは宗教の儀式のようでもあり、歯医者の診察のようでもあった。
アップデートを終えた私は、不思議な感覚に襲われた。 爽快感と満足感が全身を駆け巡る。 だが、どこかぽっかりと空虚な気分もよぎった。
以前は、アップデートに疑問を感じたこともあった。 感情を操作され、個性を奪われているようで、居心地の悪さを覚えたのだ。 だがそんな異端的な考えは、今では過去のものとなっていた。
街に戻ると、活気に満ちた光景が広がっていた。 皆が効率的に動き、笑顔で会話を交わしている。 ここが理想郷だと、誰もが信じているのだ。
しかし時折、通りすがりの人々の笑顔が、不自然な作り物のように見えることがあった。 輝かしい未来を歌う標語が、どこか空虚に響くことがあった。
アップデートを終えたばかりだというのに、違和感は徐々に募っていく。
ふと、公園のベンチに目をやると、一人の老人が佇んでいた。 周囲から浮いたような、どこか垢抜けない風情だ。 私は何の気なしに、隣に腰を下ろした。
「君も、アップデートを受けてきたようだね。」 唐突に老人が話しかけてきた。 私は面食らいながらも、頷いた。
「この魂のアップデート、どこか胡散臭いと思わないかね?個人の尊厳を奪う代償に、幸福感を売りつけているだけのようで。」
「でも、効率性や満足度は確かに上がっています。社会は着実に進歩しているはずです。」
「本当にそうかな。確かに表面的には、理想的な社会が実現されたように見えるだろう。だが、それは人間から本来の在り方を奪う、悪魔との取引のようなものだと思うのだがね。」
老人の言葉は、不穏な響きを帯びていた。 だが、どこか胸に突き刺さるようでもあった。
「私には、あなたの言っていることの意味が、まだよく飲み込めません。でも、このアップデートに違和感を覚えていたのは事実です。笑顔の裏に潜む虚無を、感じずにはいられないのです。」
「君のような若者が、そう言ってくれるのは嬉しい。魂のアップデートは、人間から自由意志を奪う。自ら考え、悩み、苦しむことからも遠ざける。だがそれは本当の幸福とは言えないだろう。ただ機械の歯車と化すだけだ。私はね、アップデートを拒否して生きる道を選んだのだよ。」
老人は意味ありげに微笑んだ。 その笑顔は、どこか澄んだ輝きを放っていた。
「でも、アップデートを拒否したら、社会から弾かれてしまうのでは?」
「その通りだ。私のような者は、この街では異端者扱いされる。飛び交う蔑みの目、投げかけられる罵声。それでも私は、真の人間らしさを求めて生きる道を選んだ。たとえ苦難の道であっても、自分の魂に嘘をつくよりはマシだと思ったのだよ。」
私は言葉を失った。 今まで当然のことのように受け入れてきたアップデートの感覚が、嘘のように思えてきた。
老人は立ち上がり、私の肩に手を置いた。 「君も、自由に生きる勇気を持ってほしい。真に生きるとは何かを、魂に問いかけながら。」 そう言い残し、老人はゆっくりと公園を後にした。 その佇まいは、まるで悟りを開いた賢者のようだった。
次のアップデートの日。 私は初めて、センターに足を運ばなかった。 代わりに、町はずれの小さな書店に向かった。 そこには、アップデート以前の時代の本が、埃を被って並んでいた。
私はふと、プラトンの『ソクラテスの弁明』を手に取った。 「吟味されない人生は、生きるに値しない」 その一節が、強烈に胸に突き刺さった。
考えること、悩むこと、苦しむこと、 アップデートはそれらを奪い、魂を麻痺させる。 だが、それこそが人間の尊厳の核心なのではないか。
私は決意した。 魂のアップデートを拒否し、自由に生きる道を選ぼうと。 たとえ異端者の烙印を押されようと、自分の生き方を曲げるつもりはない。
アップデートセンターからの呼び出しは、執拗に続いた。 街を歩けば、以前とは打って変わって冷ややかな視線を浴びる。 かつての友人たちも、次第に距離を置くようになっていった。
それでも私は、老人から教わった言葉を胸に刻んで生きることを選んだ。 真に生きるとは何かを問い続けながら。 自らの魂と対話を重ねながら。
月日は流れ、私も老いていった。 ある日、あの公園のベンチを訪れると、見覚えのある老人が座っていた。
「あなたは、あの時の・・・」 私が話しかけると、老人はにこやかに微笑んだ。
「君も、随分と年を取ったようだね。自由に生きる道は、険しかっただろう?」
「ええ、苦難の連続でした。でも、自分の人生に嘘をつかずに生きられた。これ以上の幸福はありません。」
二人で肩を寄せ合い、夕焼けを眺めた。 アップデートとは無縁の世界に、生きる歓びを見出していた。
「ねえ、あなたはなぜ、アップデートを拒否したのですか?」 ふと、若き日の疑問が蘇った。
「私はね、かつてはアップデートの開発者だったのだよ。理想的な人間を創造できると信じていた。だが、完成された姿を見た時、愕然とした。それは人間の尊厳を踏みにじる、傲慢の産物だったのだ。私は罪滅ぼしに、アップデートのない生き方を選んだ。君のような後継者が現れることを、ひたすら願いながら」
老人の告白に、私の胸は熱くなった。 アップデートへの違和感。 生きることの本質を問い続ける思い。 それらは偶然ではなく、宿命だったのかもしれない。
「あなたの想いを、しっかりと受け継ぎます。真に生きる意味を探求し続ける者として・・・」
固く握手を交わし、二人は再び夕日に向かって歩き出した。 アップデートされない魂を抱きしめながら。
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