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コロナ禍に光☆息子の心不全発症と入院、拡張型心筋症のVAD手術

こんにちは。VAD介助者ブロガーのあよなパパです。
息子の「心不全の発症から入院、特発性拡張型心筋症の診断と治療・手術、退院・在宅療養に向けた準備」をふりかえります。

※この記事は2020年10月25日のリライト記事です

息子に突然の心不全発症

直前まで登山にも行き、それまで大きな病気もなかった息子に、2020年1月に心不全の症状が現れました。

2019年末から少し体調が悪いというのは聞いていました。「聞いていました」というのは、すでに別居となり私は東京都世田谷区に住んでいたからです。(結局、1月4日付で離婚。この件は別記事で述べます。)風邪をこじらせたのだろうと思っていました。2020年1月15日、レンタル携帯電話の契約で来ていた御徒町駅で、八ヶ岳(山梨県)の息子母からの電話あり。息子が入院になったと‥、私は生まれて初めて精神的ショックによるパニック「過呼吸」となり救急車を呼ぶ寸前でした。

息子は、地域の小病院から紹介されそのまま山梨県立中央病院への入院となりました。私は高速バスで駆けつけ‥(この日から東京・相模原と山梨を往復する日々が‥)
躁うつ病の私は「うつ状態」となり世田谷での一人暮らしはできなくなり、神奈川県相模原市の実家で暮らすことになりました。この間もNPO五つのパンのスタッフや教会の牧師達が私をサポートし続けてくれました。

息子にふり返ってもらうと、入院直前には八ヶ岳の自宅で、体がだるい・咳や痰・食欲がない・息が苦しく眠れないといった心不全の症状があったとのことでした。

以下、山梨県立中央病院に入院中の状況を記したメールの転載です。

今日は〇〇先生と話しました。〇〇が常食になった理由やお弁当をたまに私が買って食べさせてもよくなった理由、心臓シンチやMRIの結果など、いろいろ確認しました。

いい話と悪い話と両方です。今日の夕方、保健所に難病申請を提出。小児心臓外科のドクターから小児慢性特定疾病の申請もするように指示があり、明日また〇〇先生に意見書を届けることになってます。

東京女子医大にカルテを送る話になりました。〇〇に来週、病状説明をきちんとしようと先生と決めました。どこまで伝えるかは再度擦り合わせする予定。退院を楽しみにしてる〇〇だから、一生心臓はもう元に戻らない事をどう伝えるか考えています。シンチの結果は全くと言って良いのではないか?と私は思うほどに、色がありませんでした。心臓が活動していれば温かみのあるオレンジや赤になる映像が、回りだけが薄く色があり、その他の部分は全て真っ黒でした。MRIの結果は、拡張型心筋症が確定しました。心筋が壊れてしまっている状態を輪切りの断面で確認しました。それも一部分のみとかではなく、心臓の周りをぐるっと一周壊れていることがわかりました。

いい話は、血中のビリルビンが正常値まで戻ってきている事。入院した日から今日までの数値をグラフ化して見せてくれました。3以上あると心臓移植が必要とされ、入院した日が2.9。それで16歳の男の子が…と病院内でも心配されていたらしい。毎日の先生の治療の甲斐あって、グラフがきれいに右肩下がりで、緊急な移植は少し時間の経過を見る判断になったらしい。でもだからと言って心臓の機能が戻ってるわけではなく、検査の画像から見ても心臓が元気になる訳じゃないらしい。

特発性拡張型心筋症の診断と転院、手術

様々な検査の結果、特発性拡張型心筋症と診断されました。
そして、3月2日に、山梨県立中央病院から救急車搬送で東京女子医科大学病院への転院となりました。

私にとって、息子のサポートは、離婚の代償・罪滅ぼしの機会・与えられたミッション(使命)となりました。

その後は、東京女子医科大学病院へ何度も足を運び、面会や書類作成等をしました。心臓移植と補助人工心臓はセット、治療を受けるために病院や学会の審査があり条件もあります。詳しくは、心臓移植までの道のり(図)や条件等が「DCMナースはるかさんのサイト https://www.dcm-nurse-haruka.com 」に分かりやすくまとめらています。

そして、コロナ禍の4月に「植込み型補助人工心臓HVAD装着」等の手術を受けることができました。医療チームの皆様が手術を成功させてくださり感謝です。
特発性拡張型心筋症、重症心不全、低心拍出血症候群、肺高血圧症(肺うっ血)、発作性心房頻拍、三尖弁閉鎖不全症(逆流)の症状に対する手術内容は、植込み型左室補助人工心臓植込み術、一酸化窒素吸入療法、三尖弁弁輪縫縮術、右室バイパス術、経皮的心肺補助装置装着でした。

心臓血管外科・循環器内科のチームはまさにチームバチスタのような、命の恩人達です(最初はドクター達に圧巻されドラマの世界が目の前にって感じでした)VAD外来の際に、息子が経過良好なのを我が子のような眼差しで喜んでくれるドクター達に涙が出ます。感謝です。闇のなかに光・希望を与えてくださいました。
(治療について参照「東京女子医科大学心臓血管外科ホームページ▶︎重症心不全の心臓移植や人工心臓について」)

退院・在宅療養に向けた準備【前編】

退院・在宅療養に向けての準備では、多くの問題にぶつかりました。

まず、退院後に住むエリアは病院から2時間以内が対象のため山梨県ではダメでした。息子は山梨県で育っているし、心臓移植まで違う土地でがんばり山梨県(母親の元)へ戻ることを目標としました。住む家の在宅療養環境調査アセスメントというものもありました。

当初は相模原の実家(父親と私の弟が住む家)で在宅療養の予定でしたが、建物が老朽化していてリフォームしなければならず、また息子の通院等に必要なクルマもない。しかし資金がありません。
私は2019年夏から弁護士と破産手続開始/免責許可の申立準備中のため身動きとれず、社会福祉協議会の生活福祉資金貸付制度も利用することができませんでした。

できることからやるしかない。
心臓移植・補助人工心臓の治療を受ける条件のひとつ、24時間365日サポート家族・介助者のVAD機器取扱トレーニングで病院に通いました。(補助人工心臓の仕組み/機器の取り扱い・緊急時対応のトレーニング受講・テストに合格し、心疾患についての教育や栄養・服薬指導等も受ける)
そして、息子が対象となる福祉制度:小児慢性特定疾病医療費助成や福祉手当等の申請で役所へ通いました。

コロナ禍で面会もできない、息子の術後経過がリアルに感じられない。
クルマもない。リフォームするお金もない。改築費用よりも賃貸物件の初期費用の方が安く済むかもしれない。
ないものだらけで時だけが過ぎていきました。
息子は病院で術後経過良好でリハビリも順調に進むなか、焦りや不安が増していきました。

今回の記事は以上です。「退院・在宅療養に向けた準備(後編)」に続きます。

コロナ禍の4月に新宿ど真ん中の病院でオペをしてくださった、手術を成功させてくださった感謝で締めくくりたいと思います。


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