見出し画像

一人でいられる人 構われていたい人

高齢の母は現在一人で暮らしている。母は大家族の農家に生まれ、父が亡くなるまで一人暮らしをしたことがなかった。だから父が亡くなった直後は「入浴中に具合が悪くなったらどうしよう」「泥棒が入ってきたらどうしよう」と心配ばかりしていた。あまりにも心配ばかりするので、本人の安心と生存確認のために、急いでタブレットを買ってセッティングして、Google meetで私と日々会話するようにした。

父が亡くなって1年半。「一人暮らしって楽でしょう?」と聞くと、快適すぎて、こんなに気楽に生きてて良いのかしらと申し訳ない気持ちになるほど、とのこと。
どこの国だが忘れたが、どこかの高福祉国家では独居高齢者は当たり前で、新聞配達さんやヘルパーさんが日々の異変に注意を払っているのだとか。プライバシーなどを考えると、それが自然なのかもしれない。できるだけ自活することは健康寿命にも好影響だろう。

さて、表題。
母は器用で多趣味な人だから、料理、洋裁、家庭菜園、ネットサーフィン、などやることが山のようにある。そしてどれも本気で楽しんでいる。誰とも会わなくても、家に引きこもりでも、ごきげんで暮らせるタイプだ。季節の花を愛で、拭いた窓の美しさに満足し、自分の作ったごはんを「美味しい!」と自賛する。足腰の健康を考えると、こまめに外に出かけて動かないといけないのだが、ついつい家での趣味に没頭しちゃう、と笑っている。

一方、人と一緒にいないと寂しくて仕方のない人、というのもいる。統計を取ったわけではないけど、体感的には、こちらのタイプの方が多い気がする。独居高齢者だからといって、私の母のように一人暮らしを謳歌できる人とは限らない。母の親戚や友人にはこのタイプが何人もいて、そういうタイプに限って、電話での通話はできるけどショートメールもe-mailもLINEもできない。なので、絵手紙を書いて送ったり、電話に付き合ったりも結構忙しいらしい。そういう人々は家に上がると「帰りたくない」くらいの勢いで居座って愚痴を延々と言っていくとか。
テクノロジーに追いつけないだけではなく、「寂しがり」なのであろう。そうなると、独居は不幸だ。
テクノロジーに追いつく好奇心と探究心がある人は、いろんなことに興味を持って充実しているから、寂しくないのかもしれない。

一人でいられる人と、構われたい人。
自分は、前者でありたいと思う。今は家族がいるし仕事で多くの人と関わるから寂しさなんて全く感じないけれど、いずれは退職し、子どもたちは独立し、長い老後を過ごすだろう。その時に、主に「寂しさ」と向き合う生活は、避けたい。ま、私も多動気味なので、やることてんこ盛りなんだけどね。平日は株式市場に張り付き、編み物して縫い物して、パンを焼き、本を読み、健康維持のために散歩する。寂しがる暇が無いと良いな。