#12 精神病の入院生活

精神病棟の入院施設は、「何だかよく分からない怖いところ」というイメージしかなかった。

一般外来は普通に見えたが、今度こそ窓に鉄格子をはめて、奇声を上げ続けている人達と同じくくりになるに違いない……僕は戦々恐々としていた。

だが、現実は思っていたよりもっと「普通」だった。

病棟は許可を取れば外出自由。コンビニにも行き放題だった。
シャワーも使えたし、週に一度は湯船にもつかれた。

別の病棟には鉄格子がはまっているところもやっぱりあって、そこは幻覚や幻聴に苦しんだり、自害や他害の恐れがある患者さん達が収容されているようだった。

僕は「うつ傾向」の自己申告満点で入院となったが、自傷癖がなかったため、自由度の高い病棟に入れたのだ。

看護師さんもみんな家族のように優しくしてくれたし、僕は何だかホッとして泣きたくなった。

入院生活は、まずは朝起きて夜寝て、「規則正しい生活」を始めるところからだった。

元々「正しさ」にこだわりがある僕は、指定された時間に食事を取り、残さず食べ、体温測定することに自己肯定感を求めた。

中には朝いつまでも寝ている人もいたし、「患者同士でアドバイスをしない」というルールを破る人達もいた。

僕はそんな人達を心の中で見下しながら、せっせと病室を掃除したり、洗濯をしたり、身の回りを整えられることに喜びを感じていた。

「きちんとすること」を見ていてくれる人がいることが嬉しかった。

思えば、子どもの時からそうだった。

「きちんと」すればするほど、周りの大人達は喜んでくれたし、「きちんと」していない子どもが叱られた。

僕は学級委員長に自ら立候補して、そんな「きちんと」していない生徒を取り締まる側になることに、優越感を感じていた。

でも、僕の中で「きちんと」に含まれないのは絵を描くことだった。

絵は、紙の中でどこまでも自由になれた。

魔法、恋愛、美しい景色、かっこいい乗り物、ワクワクするヒーロー、楽しい学園生活……どんなことでも形にできた。

描けば描くほど、どんどん自由になれた。

僕は「きちんと」のバランスを取りながら、絵を描くことに夢中になっていった。

学齢が上がれば上がるほど、バランスを取るのが難しくなっていった。

宿題が増え、試験勉強をしなければならなくなり、家で絵を描く時間がどんどん少なくなっていった。

中学の部活も美術部に入りたかったけど、仲良くしていた先輩に引きずられるように、やりたくもない吹奏楽部になってしまった。

僕は、なるべく学校にいる間に宿題を済ませ、授業をしっかりと聞くことにした。

おかげで試験はいつも20位台に入れていたし、家でたっぷり絵を描くことができた。
やりたくもない部活は、度々サボっていた。

それをよく思わなかったのが父親だった。

勉強する姿を見せないことに腹を立て、コツコツ貯めた小遣いで買ってきた絵を描く道具を、目の前でみんな捨てられた。

ショックから僕は家出をした。

一晩帰らなかったのは、後にも先にもあの時以来だ。

誤算だったのは、妹が「私も家出する」と、ついてきてしまったことだった。

僕はもう二度と帰らない覚悟で飛び出したのに、妹に食べさせてやれるだけの甲斐性はない。

僕は妹のために、憎くて憎くて仕方ない家に戻って頭を下げた。

父親は満足げだった。

そうだ。

僕はずっと、絵が描きたかったんだ。

入院して、何も制限がない、自由な今、

絵を描く以外、何かすることがあるだろうか。

道具なんか、何もいらなかった。

僕は紙と鉛筆と消しゴムだけで、あらゆる物を描いた。

インターネットで世界中の景色を検索して、好きな風景を描いた。

看護師さんも、他の入院患者さんも、すごく褒めてくれて、あげるとすごく喜んでくれた。

嬉しかった。

相変わらず、好きな食べ物も思い出せなかったし、大好きで何度も聞いていたはずの曲も、全く心に響かなくなっていたけど、絵だけは違った。

絵だけは、僕を裏切らないでいてくれた。

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