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ついでに

散歩した

心の底から運動が嫌い。
散歩すら、ほとんどしない。
でも今日は散歩をした。
近くの公園を、JBLのENDURANCE PEAK ⅡでCristian JacobとTerje Geweltのデュオで演奏されたアルバムを聞きながら、福岡伸一の『動的平衡2 生命は自由になれるのか』を読みながら、およそ2km歩いた。
でもこの書き方は正確じゃない。「本を読むついでに散歩した」が正解。
近々健康診断を受けるし、少し痩せたいし、お腹きついし、エントロピー溜まってきたし、でも読んでる本が終盤にさしかかって早く読み切りたいし。だったら、ついでに歩くか、っていう感じで。

土佐犬の思い出

子供の頃、自転車の補助輪を外して乗る練習をしていたら、なかなかうまく乗れるようにならないぼくを苦々しそうに見ていた父が、後ろから「今度こけたら、こいつにヤラれると思って、必死でこげ!」と言いながら図太い綱で土佐犬(現役の闘犬)を引いて追いかけてきた。
自転車に乗るのが大嫌いになったわけだ。

小学生の頃、運動会前には従兄弟と一緒に徒競走の練習をさせられた。
足が遅くて従兄弟に全然かなわないぼくを苦々しそうに見ていた父が、後ろから「ヤラれると思って、必死で走れ!」と言いながら、図太い綱で土佐犬(現役の闘犬、ちなみに大関)を引いて追いかけてきた。
命の危険を感じるとき以外は走るもんか、と心に決めた。

そんな少年時代は、ぼくをその辺の運動嫌いとはレベチな運動拒絶家にした。よって、ジョギングがブームだったり筋トレなどのストイックなトレーニングに没頭する人が近くにいても、絶対やらない。たぶんきっと、これからも。

ついでに

ただ、最近、街をぶらついて気になる店に入る、まるで『発見!タカトシランド』的な散策がしたくてうずうずしているので、だったらついでに走ろうかな、とも思っている。
あくまでも「ついで」なので、気になる喫茶店が目に入れば止まるし休むし、「何分でゴールする」みたいな目標なんてもってのほか。
健康になるため、体力をつけるため、みたいな合目的的なジョギングは、やらない。ランニングwith土佐犬がフラッシュ・バックするわけじゃないけど、運動しなくちゃと思うと気分が悪くなる。
でもついでなら許せそう。

鮑のし

落語『鮑のし』に、「ついでに生きているような男、甚平衛」っていう登場人物が出てくる。女房の尻に敷かれる無知でめでたい典型的古典的男性だ。
甚兵衛は、何のついでに生きているのか。

「ついでに」は最強じゃないか?と思い始めた。
「ついでに」だったら、視点が(ドラゴンクエストの)「戦闘シーン」から「町人から情報聞き出すシーン」に変わる気がする(俯瞰視点になる、っていう意味)。
自分のことを町人と話をしている勇者一行みたいな俯瞰視点で見られたら、強そうだ。

アタラシイセカイ

さて、6月から仕事が変わることになったので、アタラシイセカイに進むワクワクでソワソワしている。
もう48歳だから、若者のように「教えて下さい!吸収しますから!」みたいな「かわいがってね」キャラでやっていける立場じゃないし、かといって意識高い系気取ってスタートダッシュする気力も気概もないし、どんなスタンスで仕事したらいいのか、正直悩む。
でも、「ついでに生きる」かのように、自分というキャラクターを俯瞰視点で操作して、がしがしステージクリアさせていく気持ちで仕事しようかな、と思っている。

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