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生活保護の相談

生活保護の相談に行った。

その時受けようと思ったわけではない。

障がいのある息子2人と私の3人暮らし。

もし私が働けなくなったら?

その時はどうなるのだろう。

生活保護って、家賃の援助だけでもしてもらえるのかな…

どんな条件があるんだろう。

自分で考えていても細かいことはわからない。

直接、市役所で聞いてみようと思った。


管轄の窓口に行くと、

小さな部屋に通された。

机を挟んで椅子が置かれている。

部屋の奥のほうに座った。


しばらくすると2人の職員が現れた。

2人とも若い。

私の正面に座ったのは20代くらいの男性職員。

まっすぐな目をしてるなと思った。

正義感のある人…

実際はわからないけど、そんな印象を持った。

男性職員の斜め後ろに女性の職員が座った。

この女性は先輩だろう。

硬い表情。

厳しいことを言う立場の人だと、

すぐにわかった。


「お聞きしたいことがあって来ました。

今、障がいのある息子2人と私の3人で住んでいます。

もし私が働けなくなったら、援助して頂けることってあるんでしょうか。」

「障がいって、なんの障がいですか?」

女性が聞く。

「自閉症です。知的障害のない高機能自閉症です。」

「こうきのう?どんな字を書きますか?」

「高い機能と書きます。」

(やっぱり知らない。)

役所に行っても自閉症自体よくわからない職員のほうが圧倒的に多い。

それは何十年前からあまり変わっていないような気がする。

管轄以外のことは知らなくて当然。

自分の部署の仕事をこなすだけで精一杯なんだろう。


「息子さん、障害年金はもらっていますか?」

「はい。」

「息子さんたち年金もらってるのに、なぜ生活保護なんですか?」

え?

なぜ生活保護?

息子たちは確かに年金をもらってるけど、

わずかな年金額2人分で、大人3人は暮らせない。

「あくまでも私が働けなくなったらです。息子2人の年金額で大人3人は生活できません。」

女性が受給者を選別する立場にいることはわかった。

初めから切り捨てる理由を探していることがわかった。

なんだか取り調べされてるような気持ちになった。

男性はその女性に何かを言える立場ではないのだろう。

私の表情を気にしているように見えた。

男性の目は私をまっすぐ見たまま、話を続けるよう促していた。


息子たちの調子が悪くなると、私は仕事を辞めてしばらく家にいる。

調子が上向いてくればまた仕事に出る。

そんなことを繰り返していた。

そして私は乳癌になった。

治療中、まともに働けない時期もあった。

再発したら?

今度は治療すらできないかもしれない。

2人の叔母が乳癌で早くに亡くなっている。

私も再発したらどうなるかわからない。

癌の再発じゃなくても、何があるかわからない。


それに私は再婚相手と離婚していた。

離婚したことは息子たちの父親である最初の主人には隠している。

思い通りにならない長男にキレるようになって別れた主人。

それなのに寂しさからか、ストーカーのように粘着してくる最初の主人に私も息子たちも辟易していた。

私がいなくなっても最初の主人に息子たちを任せることはできない。

私がいなくなったら、息子たちが行政のお世話になれないかと、そのことも考えていた。


「車は持っていますか?」

女性が聞く。

「はい。」

「車を持っていたらダメです。」

女性は言った。

「そうですか。」

「生命保険は?」

「入っています。」

「それもダメです。」

車はやっぱりダメなんだ。

こんなにきっぱり言うのに、

なんで生活保護の人が高級車に乗ってるとかいう話を耳にするんだろう…


「車はリースで借りています。

私は乳癌なので、もし再発して私が死んだら、リース会社が車を引き揚げてくれることになっています。

それに、車で通えないと行ける職場が限られてしまいますが…。」

僻地ではないけど、そんなに都会なわけでもない。

車がなくても便利なほど交通機関が整っているわけではない。

どうしても苦しい時だけ援助をお願いして、働けるものなら生活保護から抜け出したい。

そう考える人にとっても車は贅沢品なのか…


病気の話をしたからか、急に女性の目つきが変わった。

それまでは最初から不正受給を防ごうと躍起になってる目だった。

上司から厳しく言われているのかもしれない。

話を聞こうという態度のない人に話をするのは、波に抗って進むようなもの。

とても疲れる。

否定する理由を探している人、ジャッジしようと構えている人に話すことは、こんなにも疲れるものなんだ…


「持病があるので、もし働けなくなったら、ということを聞いています。」

私は言った。

いや、持病があるとかないとかはどうでもいい。

車を持っていたらもうダメなんだ。

でも私は車は手放せない。

感覚過敏の息子は家族とすら一緒にいられないこともある。

車の中で1人で寝ていたこともある。

車は外部の世界を遮断してくれる大事なツールだ。

小さい時から、家で落ち着かない時には車に乗せて何時間も町をグルグル回った。

それで落ち着くことが多かった。

少なくとも私がいる間は手放せない。

そう話すと、

「車は外部の世界を遮断してくれるツール。わかります。車はそういう理由で必要なんですね。」

男性職員が言った。


「ちょっと上司に相談してきます。」

2人の職員は部屋から出て行った。

どんな理由があれ車を持っていてはいけないんだろう。

役所は決められたルールをケースによって簡単に緩める場所ではない。

聞くだけ無駄だ。

でも、もし災害が起きたら?

息子たちは避難所には行けない。

大勢の人の中にいるのは無理だ。

たとえ緊急時だと言っても耐えられないものは耐えられない。

それが障がいだ。

家族で車の中にいることになるだろう。


2人の職員が戻ってきた。

「やっぱり車はダメで…。」

「わかりました。」

「生命保険も。」

「はい。」

お金に余裕があるから保険に入っているわけではない。

生命保険はお金がない人のためにあるものだ。

お金のある人は、急に入院になっても、働けなくなっても貯蓄でしのぐことができる。

お金のない人は何の保障もなければ一気に困窮する。

お金がなくて病気の人は治療せずに死んだらいい。

そんなふうに言われてるような気持ちになった。


「貯金はありますか?」

「私はありません。次男は多少あります。」

「貯金もダメなので、それを使い切ってから…。」

「次男のお金は使えません。それは生活費ではありません。次男が、お年玉や誕生日にもらったお金を1度も使わずに貯めたものです。使えません。」

次男の貯金を使わずにいようと思えば、次男を1人立ちさせないといけない。

もし、私亡き後に、息子たちが生活保護を受けようとするなら、その貯金も使い切らないといけないということか…

息子たちは障がい者向けの保険に入っている。

体の病気だけではない。

息子たちのような障がいがある場合、どんな不測の事態が起きるかわからない。

そんな事態にも対応してくれる保険だ。

あの保険も解約しないといけないのか…

そうか…

それくらい何もかもを失わないと生活保護は受けられないんだ。

頭の中でいろんなことを考えていた。


「もう一度、上司に聞いてきます。」

また2人の職員が部屋から出て行った。

いや、もうわかった。

規定に沿って決めているのだから無理だろう。

息子たちを育てる過程で役所との関わりは多かった。

役所の仕事は、臨機応変やケースバイケースという言葉からほど遠いところにある。

なんの期待もしていなかった。

何がダメなのかはもうわかったから。

もう帰りたかった。


「すみません。やっぱり、車も貯金も保険もダメなので。」

「はい、わかりました。大丈夫です。」


女性が言う。

「あの、お母さん、1人で悩んでいると大変だと思うので、保健師を紹介しましょうか?話を聞くことしかできませんが…。」

(話を聞くことしかできない。)

これまで何度同じ言葉を聞いたことか。

息子たちが小さい頃から同じ言葉を何度聞いたかわからない。

話を聞くだけ。

「そんな息子さんが2人もいて大変ですね。」

何度そう言われて終わったことか。

そんなねぎらいの言葉なら専門家でなくとも言える。

カウンセリングをして欲しいわけではない。

現実に対処する方法を考えている。

もう話すことに芯から疲れていた

とにかく、もう帰りたかった。


「お力になれなくてすみません。」

帰ろうとする私の後ろを、2人の職員がついてきた。

車を手放し、保険を解約し、家賃、光熱費、通信費も支払えないほどの所持金しかない。

そんな状態にならなければ、受けられる支援は何もないとわかった。


話している間は疲れていたが、

帰り道では清々しい気分になっていた。

楽観的でありながらも現実とは向き合わないといけない。

来て欲しくない未来も想定して考えなければならない。

以前から気になっていたことを聞けたことにホッとしていた。


ただ、私は初めから、今すぐ生活保護を受けたいと言ったわけではない。

それでもあんなに厳しい態度で問い詰められるのなら…

不正受給とよく聞くけれど、厳しい規定があるのに、どうやったらそれがまかり通るのか。

それ以来ずっとそのことを疑問に思っていた。



でも、まぁ、そうか…

ある日、はたと思った。

本当に困っている人は心も体も疲れ切っている。

生活保護の申請を決心するだけでも相当の労力を要するだろう。

これまで普通に生活していた人なら、プライドもあるだろう。

恥を忍んで意を決して、

一縷の望みを持って訪ねた場所で、

あれだけ初めから否定的な態度をとられたら、心が折れそうだ。

話を続ける気力も無くなりそうだ。

ある程度の厚かましさがないと、受給にこぎつけるのが難しいこともあるのかもしれない。

厚かましさが度を越えてしまうと、感謝のない使い方をしてしまうのかもしれない。


生活保護を必要とする時は、直接役所に行くよりも、無料の弁護士相談で相談したほうがいいかもしれないと思った。

とりあえず話を聞いてくれて、自分の状況を客観的に見てくれる人がいたほうがいい気がする。

普通の神経の人が直接役所に相談に行くと、無用に傷つく恐れもある。

なにより、話を聞くつもりのない人に話しても、話にならないから…

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