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マーロン・ブランドは なぜ「ゴッドファーザー」でオスカーを受け取らなかったのか? ネイティヴ・アメリカン差別への抵抗

1973年3月27日 第45回アカデミー賞授賞式が行われたロサンゼルス・ドロシー・チャンドラー・パビリオン。きらびやかなスターが集う中、マーロン・ブランドは主演男優賞にノミネートされていた。

ブランドは、フランシス・フォード・コッポラ監督の「ゴッド・ファーザー」The Godfather(72年)で、ニューヨークに住む、イタリア系マフィアのボス、ヴィトー・コルレオーネを圧倒的なリアリティを持って演じ、主演男優賞受賞は確実視されていた。

プレゼンターのリヴ・ウルマンは封筒を開け、こう告げる「ウィナーは、『ゴッド・ファーザー』のマーロン・ブランド!」
だが、ステージにマーロン・ブランドは現れなかった。

代わりに、一人の女性がステージに上がった。彼女の名前は、サチーン・リトルフェザー。祖先はホワイト・マウンテン・アパッチという、インディアンの血をひく、無名の女優であった。彼女はアパッチの伝統的な衣装を着て壇上に上がった。

黄金色のオスカーを、ロジャー・ムーアが差し出す。だが、彼女は手でさえぎった。そしてこうスピーチした。

私はサチーン・リトルフェザーというアパッチの人権活動家です。今日はマーロン・ブランド氏の代理で来ました。長いスピーチをするように言われましたが時間の都合で出来ません。彼は残念ながらこの賞を受け取ることはできません。映画界におけるネイティヴ・アメリカンの扱い方が理由です。

若干のブーイングがあったが、大半の観客は拍手をした。

事前に欠席を告げ、代理としてリトルフェザーを出席させるとブランドは通知していた。だから彼女は会場に入れたのだ。
生中継を行うNBCテレビのプロデューサーは、もし1分以上彼女がステージにいた場合は、強制的に降ろすつもりでいた。
彼女は授賞式後、15ページにわたるブランドの手記をマスコミに渡した。
マーロン・ブランドは、最後まで会場に姿を現さなかった。

その後インタビューに答えたブランドは言う。
「映画業界(白人の製作側)の問題は、インディアンを、悪者で未開人、間抜けで、頭の弱い、アルコール依存として描くことで、その人種の人々がどれほど傷ついているかに気付いていないことである。特に問題なのは、それを見たインディアンの子供たちが、自分自身に負のイメージだけを持って成長してしまう。そしてそれが一生続くことだ。」

彼はインディアンだけではなく、すべてのマイノリティに対する差別を嫌った。黒人権利団体への寄付もしていたし、アジア人の描き方も問題を指摘していた。そしてそれは生涯に渡り続いた。

その後の映画界は、西部劇の製作本数が減ったということもあるが、ネイティヴ・アメリカンのステレオタイプな描かれ方は改善された。

その昔は、ジョン・フォードが「シャイアン」(64年)を撮り、70年代初頭には、「小さな巨人」(70年)「ソルジャー・ブルー」(70年)という問題定義の作品もあった。
「カッコーの巣の上で」(75年)ではチーフ役のネイティブ・アメリカン(ウィル・サンプソン)がカッコいい役どころだと思うし、白人目線との批判もあるが「ダンス・ウィズ・ウルブス」(90年)では、出演したネイティヴ・アメリカンの俳優が、アカデミー作品賞受賞の瞬間に、大興奮して拍手をしていたのを覚えている。

マーロン・ブランドは、一つの信念があった。それは「有名になった俳優は、それを使って誰かを助けるべきだ」ということ。

オスカーをボイコットしたことで、ブランドは批判を受けた。だが、彼は「後悔していない」と語っている。
彼が起こしたある意味「反逆」は、正しいことだったと思う。それは歴史が証明したのではないだろうか。

彼は扱いにくい俳優としてハリウッドで名を残した。だが、彼ほど観客が見たいと望んだ俳優もいなかったのである。
ぼくはそんなマーロン・ブランドの生き方をかっこいいと思う。

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てなことで。

16-Oct-20 by nobu


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