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振り返りノート

このところ、ノートに真摯に向き合っていない。
書きっぱなしでいいや と思ったりする。
ただの日記である、と。疲れている?
おしゃべりなので書くことはたくさんある。
もちろん話題は選ぶし、それなりに気をつけて書いているが
ノート全般への関心が薄れている。
見てくれた人の所にしか行かない日さえある。

詩の勉強会の時に
読んだ人がどんな風に思うのか ということに
少し関心を払った方が良い と言われた。

見る人が見ればわかるのだった。
詩は少し良くなったとは言われたのだけれど、
そういうこととは別な事なんだろう。

見抜かれたのだった。
どこかで、「どうでもよい」という気持ちを持つことに。

「人をくったおしゃべりですよ」と言われたらしい小学生の時と
全く成長していない部分が今でも時々顔を出すのである。

今の自分は自分の中でぐるぐる回っているのである。
自分のしっぽを追い続ける犬は苦しんでいるんだろうか?

私もまた別に苦しんでいるのではなく
ただ「外」への関心が薄れているのだと思う。
それはある意味「生きる意欲」ということかもしれない。
書くことは「吐き出すこと」だが
「吐いたもの」を見せたいのか見せて良いのかは別問題である。
恥を知らねばならない。

他者を意識することを止めてしまうって
ある意味人間やめるってことになるかもしれない。

自意識過剰とも過剰な自己顕示欲とも長年つきあっているが
我ながらこじらせているかもしれない。

他者を意識する、読み手を意識する というだけで
変化できるかどうかは未知数である。





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