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教育虐待の被害者と加害者から

先日、この note で、教育虐待の事例を話してほしいとお願いしたところ、すぐに20名近くの方から連絡が入った。バリエーションが多いので、さらに多くの事例が集れば、パターンを分類すると教育虐待の諸相が見えてくるだろうと思う。

(何時もフェイスブックにいろいろなことを書き込んできたのだけれど、実はnote の方が幅広い方たちにアプローチしやすいようだ。もっと、note を活用して書いていかなければと思う。もしFBをやっていて、私をフォローしていない方がいらしたら、とりあえずフォローしておいていただけるとうれしい(友達リクエストの承認は、原則として名前から顔やエピソードが思い浮かぶリアルな知人に限定している))

改めて思うのは、日本中に教育やしつけを名目とした虐待が少なからず存在している(してきた)ということである。被害者は人生に大きな影響を与えるようなとても苦しい思いを抱えている。しかし、これまでそれは「殺人」というレベルにならなければ問題とされなかったし、「殺人」レベルの問題が自分たちとつながっているという認識は薄く、むしろそのような「事件」は興味本位で扱われ、注目を浴びてきたということである。

心にストレスを抱えた事例は、心理臨床家や精神科医に聞けば、山ほどあがるだろう。
でも、おいそれとそれらを外に出すことはできない。
カウンセラーや担当医師が、自分のことを誰かにしゃべってしまうかもしれないとクライエントを不安に陥れることになるからだ。

それで、どこにそういう事例が見つかるのだろう?
といろいろな人、特にメディア関係者に聞かれる。

中学受験の塾や、そういうことを取材しているジャーナリストさんだったら、たくさん思い当たる事例があるだろうけれど、彼らも立場上、表に出しにくい。

しかもなにしろ、私が扱う事例は、事件性があるというものよりもむしろ、

・断続的、受験などに限定された一時的な「子ども想いの親」による虐待、
 あるいは、物心ついた頃から大学入学頃まで続く連続的、継続的なじわじわストレスを与え続ける虐待である。
・加害者はもとより被害者も虐待という自覚がないことがある。
・加害者は子どもをさまざまな形でコントロールしようとしており(それは必ずしも目に見える暴力、明らかな暴言であるとは限らない)、子どもはNOが言えないという苦しみを抱えている。
・被害者は、家族である加害者が生きているうちには問題を表に出せない(加害者はいいことをしたと思っているので、伝わったら大変なことになると被害者は思っている。被害者は、加害者に対して「大変なことをしてくれたけれど、一所懸命だったのはわかる」「経済的な支援を受けて来て、受験をさせてもらえるという環境を与えられた自分は親に感謝しなければならない」という複雑な思いを持っている場合が多いようだ)
・被害者は精神的に不調をきたしていることも少なくなく、簡単には話せないし、話せた!と思った後で、フラッシュバックが来たり、話したこと(親を責めたこと)に罪責感を持ったり、うまく説明しきれなかったという不全感を持ったりすることもある)。

だから、ネット上にあふれる「#毒親」「#教育虐待」のような匿名の投稿以外で、今回、ご本人からのお申し出によって貴重なお話をうかがえているのは、本当にありがたいことであった。

連絡を取って来られた方たちは、主に、
 既にサバイバー(つまり、何とか渦中を抜けた人)であるか、
 加害者(被害者)であることを認識し始めたところで、それを私と話して確認したい方
である。現在進行形で被害を受けている子どもからの連絡はなかった。

ありがたいことに、ほとんどの方が、自分の体験を話すことが誰かのお役に立つのならという申し出て下さって、頭が下がる。
あるいはさらにより強く、自分の行動によって社会を変えたい、という方もいらした。
(私としても、うかがったことはできる限りきちんと社会に示して、
 次の犠牲が少しでも減るように、でも、語って下さった人の想いを大切に 
 扱いたいと思っている)

私の文章を読むまで、教育虐待という言葉を知るまで、自分を責め続けていた、という人も少なくない。
そういう方には、私の言葉で、起きていたことを整理し、解説して、
これからのあり方に対してのサゼスチョンをさせていただく。
なにしろ、学校はもとより、カウンセラーや親の会なども含めた日本社会全体が社会的マルトリートメントの状態なのだから、誰に話してもその価値観の中でぐるぐる回っているということもあって、解決の方策が見つからないこともあるのだ。

だから、外の世界があることをお伝えして、他の空気を吸い、他の水の中で暮らすように伝える。昔からやりたかったことを我慢せずにやってもいいとお伝えする。

既に、自分なりに整理をして落ち着いている方もいらっしゃる。
そういう方は、自分の人生の目標をしっかり立てて、そちらに向けて歩み出している。でも、それでもやはり、語りたいのだと思う。繰り返し語ることで整理されていくのだろうと思う。また、伝えたいのだと思う、自分の経験をシェアして、役立てたいのだと思う。

そこにともに立たせていただきながら、教育虐待の社会的背景を探り、エデュケーショナルマルトリートメントの構造を明らかにし、社会的マルトリートメントが生み出されない社会を作っていく予防活動につなげていく。

まだまだ入り口に差し掛かったところなのだけれど、少しずつ、でも急いで、理解を深めていきたい。

先日、取材を受けた北海道新聞のこちらの記事は、地方都市の具体的な例を挙げながら、この問題が、一地方都市でも起きていることを明らかにしている良記事だと思う。私の書いたnote や書籍などを読んで理解し、丁寧な取材をしてくださったからこそだと思う。

朝日新聞も2人、NHKも2人から取材があり、それぞれの記者さんの想いが取材にかぶってきている。それほど一般化しているのか、と思う。みんななんとかしたいのだと思う。一人一人の思いをあちこちでアクションが起きるようにつないでいかなければならない。だから、note を書いている。

この記事は連載になっていて、一つ前の記事が私へのインタビューに基づく内容なので、こちらも、



※ 女性の加害者は、自分自身が、育った家族や結婚した夫とその家族などからハラスメントを受けてきている場合が多い。やり場のない思い、復讐、見返したい気持ちを子どもに向けている。
 きっと、男性加害者も同じなのだと思うのだけれど、子どものケアは圧倒的に「女性の役割」だから、女性が子どもに深くかかわることが多いのだろう。

※ 原則として、資料収集のためのインタビューのみ行っており、カウンセリングは受け付けておりません。相談をご希望の方は、一般のカウンセリング機関を探してお尋ねください。

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