対話したい

オランダに住んでいた時、テレビで頓珍漢な住民も出てきて議論しているんだよね~と聞いた(オランダ語だからわからなかったけれど、そう苦笑いで解説してもらった)。
そうか、わからなくても意見があれば何か言ってみて、そこから学べばいいのか、間違っていると思ったらそこで修正をかければいいのか、と、思った。一つのテーマを数年単位で議論して、合意形成を図っていく国なんだと聞いた。麻薬や売春の限定的合法化も、同性婚も、議論の末に決めたことだから、簡単にはぶれない。もちろん、議論しすぎで大変そう、なんだけどね。どの国も、いろいろあるんだけどね。

デンマークに行ったとき、民主主義と対話、ということばを日常用語のように聞いた。住民が対話で物事を決めていく、学校で対話する。それを大切にしている。じゃあ対話ってなにかというと、対話っていうのは勝ち負けを決める議論でも言い争いでもなくて、あなたはそう思うのね、それはどうして?へえ~。私はこう思うんだけど、どう?ってお互いを尊重して、相手の言うことを聞きながら自分の意見を整理していくプロセスで、意見の合う人とばかりやり取りするのでもなく、意見の合わない人と喧嘩するのでもなく、どんな意見の人とでもやりとりできる力がないと、できないことなんだなって。妥協っていうより、納得の上でのそれぞれがここまでは合意できる、折り合いをつけられる、というラインを見つけるっていう感じかなあ。

カナダにいると、多様性っていうのが、こういうことなのか、って伝わってくる。ほんっとにそれぞれなんだよね。いろいろなものが併存していて、それぞれの良さがあって、それぞれが主張していて、その中でいいとこどりして合意点を見つけていく。自分の弱さがわかっていて、他人の弱さも自分の弱さも受け入れなければ、自分だけがよくても、気持ちいい社会はできないっていうことを何となくみんなが共有している。みんながよそ者で、みんなが仲間で。だからとても居心地がいい。

大学にいると、学生があれれっていう発言をしたり、書いてきたりする。しょうもないなあ~と思いながらコメントを返していたり、いい加減にしてよ~とため息つきながら否定もできずに考えていると、だんだん新しいことが見えてくる、見えていなかったことが浮き彫りになってくる。あれれ?これ、面白いかも。と、はまる。内容はチーン、アウト!なんだけど、そこから私は学んでいる。意見が合う学生よりも、合わない学生から学ぶことはとても多い。

間違えたっていいとか、プロセスの途中で変化するとか、
こんなあたりまえなこと、小学生でもわかっていそうなこと。

でも、実はあんまりあたりまえじゃない。

クリティカルであることが否定になってしまう、そう受け止められてしまうのは、やりにくいなと思う。だから、逆にクリティカルなことを言われたときに、ちゃんと受け止められる自分でいたい。

ちゃんと対話したい。知らないことだらけだけど、だからこそ、聞きたいし、教えてほしいし、知っていることは伝えたい。55歳を超えてもまだまだプロセス。オンザウェイです。

ちなみに海外の話は、ちょっと覘いた一個人の感想ですけど、それでも何かを伝えるには足るかなと♬

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