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読書メモ:意思決定の科学 「会社は機械によって管理されるか」

「万能人」ハーバートA・サイモン。ノーベル経済学賞受賞者にして人工知能のパイオニアが予測した情報化社会と人間の意思決定の「未来」!
ハーバートA・サイモン/ 訳者:稲葉元吉、倉井武夫(1979年12月初版)


第1章「会社は機械によって管理されるか」

 コンピューターが意思決定過程においてより大きな役割を果たすようになるとき、経営管理者の職務にどのような変化が現れるのか? そのような経営管理の面での情報技術の利用の高度化による影響については、製造や建設の分野での機械化・自動化からの教訓を参照することが可能であろう。第一に、経営組織は高度にオートメーション化された人間―機械システム(マン・マシン・システム)となること。第二に、オートメーション化される経営管理者の職務領域には、オートメーション化された労働者や事務員の仕事と大きな類似性が現れるであろうこと、である。第1章では、このような変化を通じて経済全体での職業プロファイルが調整され、新たな均衡に収斂した後の社会を予測することを試みている。

職業構成の再配分と新たな均衡

 情報技術の進歩、オートメーション化の進行は結果的に永続的な失業を生み出すものではない。これまでの技術進歩と同様に、完全雇用と両立し得る。仮に、オートメーション化により全ての技能で「機械」の能力が人間の能力を上回ったとしても、あらゆる分野で経済的に人間の雇用が排除される、という状況が必ずしも起こるわけではない。ただし、職業間の相対的な人員配分には大きな変化が起こり得る。その再配分は、比較優位の原則に依存する。

 例えば、AIの技術で法務アドバイスと苦情処理のサービスを自動化してそれぞれ人間より優秀な能力を提供できるとしよう。そこで、開発コストに対してより大きな経済的価値を実現できる余地がある法務アドバイスの自動化に開発資源が向けられ、その生産性の高い自動化サービスが弁護士や企業で法務関係の業務を担当する人員を置き換える、というシナリオは十分考えられる。仮に、法務アドバイスでも苦情処理でもAIが人間より高い生産性を実現できるとして、法務アドバイスではAIは人間の10倍の生産性、苦情処理では2倍の生産性が実現できるとしよう(法務アドバイスにはより高額の開発費用が必要だがサービスの市場価格が圧倒的に高い、とする)。すると、AIについては人間に対する相対的な生産性が苦情処理よりも高い法務アドバイスに開発資源が向い、逆に人間についてはAIに対する相対的な生産性が法務アドバイス(0.1倍)よりも高い苦情処理(0.5倍)に人員配置がシフトする。このような資源配分の原理が、比較優位の原則である。

 一方で、個別の職業についてオートメーション化の影響を予測するには、併せて「需要の所得弾力性」と「需要の価格弾力性」を要因として考慮に入れる必要がある。同じ例で、弁護士の職業需要について考えてみる。まず経済全体でのオートメーション化による生産性向上を受けて全体の所得が上昇することで、法務アドバイス=弁護士の業務への需要は増加する(需要の所得弾力性)。ここで、AIの技術で法務アドバイスのサービスの一部が自動化されることで、弁護士の生産性が10倍になったとしよう(これまでの弁護士10人分の案件を1人で処理できる)。すると弁護士の報酬を10分の1まで引き下げる誘因が生じるが、そこで問題になるのは報酬の引き下げに応じて弁護士の需要が10倍になるのか、である(需要の価格弾力性)。弁護士の業務について、報酬がいくら高くても必要な案件では利用せざるを得ない一方で報酬が安いからといって仕事を頼むものでもない(需要の価格弾力性が低い)と見るなら、弁護士の職は減ることになる。しかし、弁護士への需要がそれなりに価格弾力性を持つならば、必ずしも弁護士の職が減るとは限らない。その場合、より安価に外部弁護士による法務アドバイスを利用できることになり、一般の企業に所属する企業弁護士や法務部スタッフが職を失うことになるだろう。

人間の機械に対する比較優位

 このような比較優位の原則を駆動する生産性については、相対的な能力とコストの要因がある。ある職業における人間の「機械」に対する比較優位に影響する要素としては、柔軟性と汎用性が相対的な能力を評価するカギとなろう。例えば、道路工事の現場では、土木作業自体の大部分は重機によって行われるが、(現在のところ)その重機は人間が操作している。また、周辺で資材を片付けたり掃除をしたり、などの雑用を担っているのも人間である。

 実際のところ、オートメーション化や機械化というものが、人間の持つ柔軟性を模倣することよりも、むしろそのような柔軟性を持つことの必要性を排除することで進んできたことは興味深い。例えば、人間は2足歩行によって荒れた地表でも歩ける柔軟性を持つが、道を整えることで(柔軟な足を持たない)車にとっての環境を与えてきた、と見ることができる。これは経営管理や様々な分野でのオートメーション化にも当てはまる。

 ところで、人間にとっての環境は人間自身すなわち対人関係である。従って、ここでの柔軟性を持つことの必要性を排除できるか、が対人的な相互作用を含む業務のオートメーション化の鍵となる。とすれば逆説的になるが、こうした「個人向けのサービス」の分野はオートメーション化されず人間の職場として残る可能性が高い、と予測される。

経営管理への影響

 経営管理のオートメーション化はどのように進むのだろうか。経営管理者が直面する問題には、プログラム化し得る意思決定と、プログラム化し得ない意思決定があり、後者には「発見的プログラミング」あるいは「人工知能」といった技術が活用されるだろう。また経営者の時間的視野はより長期化していくことになる。日々あるいは時々刻々の経営管理はオートメーション化されていくことになるからだ。そして、こうした経営管理のオートメーション化を経て、経営活動がより創造的になっていくのか否か、という点は深い議論を要するところであろう。

 サイモンは、こうしたオートメーション化の進行に伴い重要となってくる問題を、幅広い領域において指摘している。その一つが人間の科学である。「発見的プログラミング」あるいは「人工知能」といった技術の開発などを通じて、人間による認知や意思決定について、より良い理解を得てきた。その成果によって、より効果的な方法で、問題解決や意思決定の仕方について教えることも可能になるだろう。実際、サイモンは人間の意思決定の研究において、「発話プロトコル」の手法を用いた研究によって、その構造を解明する成果を挙げた。一方で、サイモンの薫陶を得た研究者の中からは、熟達した起業家に対して同様の手法による分析を用いて、その意思決定方法を体系化した「エフェクチュエーション理論」として起業家研究や教育に活用するなどの事例も出現している。

感想

 技術進歩に対しては雇用喪失への懸念がつきまとう。しかし、それは必ずしも事実に基づくものではない。また、技術進歩による生産性の向上に伴い「平均的な」実質賃金が上昇することは、これまでの技術進歩に伴って見られてきたことであり、現在までもその傾向は継続している。しかし、技術進歩に伴う職業間の相対的な人員配分の変化は、分配の観点からは、必ずしも好ましいものである保証はない。実際に、超高所得者層が台頭する一方で、中間層を形成する熟練労働者や専門職の地位から、より低廉なサービス提供の業務へシフトするという現象も指摘されている。その結果として、社会全体での所得格差も拡大している。そこで働く人々にとっての生き甲斐や満足度そして幸福感についても考える必要がある。もちろん、こうした社会が変化する要因を技術進歩のみに求めるのは適切な議論とは言えないし、技術進歩そのものは好ましい方向性であって何ら否定的に見る必要はない。その影響を正しく捉えた上で、人間が新たな価値創造に参加できる機会を模索する必要があるだろう。

2023年9月20日

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