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アニメ・バビロンと考える”善悪”の決め方

アニメ「バビロン」を見終わったので感想。
Amazonプライムで見れます。全12話。

放送倫理的にアレだった7話で小休止するも、本題は「善とは何か、悪とは何か」を考えさせる議題提起なので、あそこで止まらずにいてくれてよかったです。

「うわー!」とか「もうxxx食べられない…」といった発言がTwitterなどで見られましたが…(食品と絡めてたのはちょっとアレだったのかな)
まぁ、サイコパスやら攻殻機動隊やらを見慣れていると、そういう描写もぼちぼち出てくるわけで。

正直、バビロンは初回からもう刑事感丸出しだし、最初からこういうジャンルが好きな層が見ているのではないかなぁと思いつつ。
(エグい系も、ひぐらしに始まり、まどマギ、がっこうぐらしあたりで、アニメ好きはそこそこ耐性ついたのでは…Fateだってイリヤにしろ桜にしろそこそこの描写ですよね…)

ちなみにPPS3(サイコパス3)、Amazon評価は辛口ですが自分は結構楽しく観れました。
梶さん、ほんと声可愛いですね…免罪体質いいなぁ。

まぁ、ただ、明らかにBL層拾いに行った感は否めませんでしたね…
オンリー開けるレベルまでファンがつけば、劇場版、コラボカフェ、ドラマCD、関連グッズと連鎖的に売れる道筋が立つのは、コナンで業界がなんとなく学んだ感がありますね…(ぬいの良さは私にはわからんですが…汗)

コパスは2でみかちゃんに疲れた組ではあるものの劇場版もしっかり見てたので、公安登場で「狡噛さん!ギノー!」とまんまと喜んでしまいました。
いや〜公安とか言われたら「9課ですか!」と言いたくなります。

バビロンは、主人公の正崎善の声優が中村悠一さんだったので、時期的にコパスを見ていた人は「あれまたイグナトフ出てる…」というデジャブに陥ったことではないだろうか…(自分はそうでした)

うわぁ、イグナトフ183cmで63Kgとか軽っ…しのぶさんのようだ…
中村さん、私の大好きな五条悟@呪術もご担当ということで大変に楽しみです…

自殺は良いこと?悪いこと?

本作は、自殺を合法とする「自殺法」の成立の是非を巡って、「死ぬこと」「生きること」は善悪のどちらか、また、善悪とはそもそも何か?を世界中が考えることになる世界を描いています。

老齢での死を迎えられない場合、安楽死を望むが故に、オランダへの渡航を考えている自分としては、まさにいいテーマでした。

途中で登場人物たちが繰り返し口にする「本人が望むならばそれはいいこと」という言葉。
自分もそれに同意していましたが、途中でこれはひっくり返ります。

「善いこと」とは「続くこと」

作品の終盤で結論が出ます。
なぜ生きていることは善いことと感じるのだろう。
なぜ死ぬことは悪いことと感じるのだろう。

愛する者ができること。何かを始めるということ。
誰かを傷つけること。何かを終わらせるということ。

ここまで考えあぐねた後半の重要人物は悟ります。
「善いこと」とは「続くこと」なのだと。

最近、物事を選ぶ基準を「サステナブルであるか」にしようと思い始めたところだったので、この提議は随分タイムリーでした。

SDGsや起業の本質を考え続けた結果、「全ては、その本人が強い理想を以って行動し続けた結果にすぎない」と考えることにしています。
そしてその意思を抱き続けるのは、なかなかに難しいこと。
ずっと続けたいと思えるか。
自分の判断基準はそこに置こうと考えています。

曲世愛は”悪魔のささやき”の象徴

作中に出てくる曲世愛という女性は、どんなものにも姿を変え、その声だけで人を惑わすことができます。
彼女に「死ぬこと」は「まるで絶頂のように気持ちが良いもの」だとささやかれてしまえば、死という快楽に逆らえずに向かってしまう。

作中ではその唆しにより、大量の人物が自殺を”自ら選ぶ”シーンが描かれます。

魔性の女だとかそういうことではなくて、自分には「悪魔のささやき」の象徴に見えました。
”魔が差す”というその一瞬に生まれる、誰かを騙したいだとか、勝つために他人を傷つけてもよいだとか、怠けたいだとか、そういう、利己的な感情全て。

正義を貫こうとする瀬黒を残虐なめに合わせたのも、そういう正義感なんて嘘だよ、人間なんて性悪なものなのと説得させるくらいの暴力的なそれが”魔”であり”悪”である…という描写なのかなと。

終盤における考察

考えることをやめないことがいいこと、という、まさに「善行」を体現するかのような人物、アメリカ合衆国大統領のアレックスは、自殺をすべきなのか迷う少女へ告げます。

「私にもわからない。だからそれがわかるまで待っていてほしい。
自殺がいいものだとしたら、その時は私も死のう」

この後に彼は「続くこと」が善いことであると悟るも、曲世からの通信によって、死への快楽を埋め込まれてしまう。

なんとなく攻殻SAC SSSで遠隔ハックされ、自殺しようとする自分を止められないトグサを思い出します…

続くことが善いことであると彼女に伝える前に自分が死んでしまっては、かの少女へ「自分は自殺が善いことであると判断した」と間接的に伝えることになってしまう。

自殺を止められない大統領を止めに、対峙する正崎。
何があっても家族の元へ戻るために使えと正崎に渡した銃を見て、アレックスは彼に「すまない」と告げます。

自分で死ぬことは善いことだと、全世界に伝えてしまうくらいなら。
君を悪者にしてでも、僕の死は”自分以外の何か”によってもたらされなければならない。

それができるのは目の前の正崎しかいなくて。
それでも、カメラが回っている前で、アメリカ合衆国大統領を銃殺したとなれば、たとえ正崎が生きて日本に帰ろうと、家族との平穏な暮らしはまず期待できなくて。
だから「ごめん」。

大統領の妻の声は雪野さんの声に聴こえましたが曲世かな?
全ては、世界の全員に”快感”である”死”を、”悪”を、教えるためのセット。

アレックスを銃殺した後の正崎の前に曲世が立ちふさがり…
正崎は銃を構え、暗転の中で銃声がするも…

エンドクレジット後のCパートで、正崎の息子に微笑む曲世の姿が。
背景は都内のアパートではなく田舎のバス停で、大統領の銃殺犯の家族として居たたまれなくなったためか田舎に越したことを思わせながら、撃たれた…あるいは自ら死を選んだのは、正崎の方であることがわかります。

”悪”の声は強く、それでも”続くこと”を選べる自分であれるか

曲世ってキャラ怖いわ〜という話というよりは、この世は”悪の快楽”に勝てず、そのささやきはどこにでもある、というメッセージなのかなというのが全体を通しての感想でした。

Twitterを見ると、原作者の野崎まどさんが脚本を務めた「正解するカド」を思い出すという声もあったので、今度はこちらを見てみようかな。
(野崎さん男性だったのか…)

感覚的には「ギルティ・クラウン」「終わりのセラフ」あたりが続いたノイタミナの延長という感じがありました。
「ungo」とかも若干似たものを感じるかな…
あとはやっぱり伊藤計劃さんですかね。

全然関係ないですが、作中に登場するMMOの画面が大変よく出来ていて。
ツインエンジンさんがゲーム開発案件を採るための営業広告なのかな…と思いながら観ておりました。
あ、虐殺器官も手がけてらっしゃるのね…

それにしても。
MMOという言葉を覚えたのもSAOからであって、自分の知識はほとんど漫画とアニメから出来ているよなぁと最近ひしひし感じております。





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