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人の群、灯る光

 3月中旬、その日は先延ばしにしていた広島への出張のために新幹線に乗っていた。当初の予定では飛行機を使って仙台から広島まで移動する予定だったのだが、予定を先延ばしにしたツケが回って、予算不足のために新幹線移動を余儀なくされた。上司と二人、東京駅での乗り換え時間を含めて、6時間弱の長旅を強いられることとなった。
 年度末の3月は予算の締めもあり、時間に追われるように日々の業務をこなしている。さらに、3月頭には4月からの人事についての内示があり、僕は4年間所属していた今の部署からの異動が決まっていた。つまり、3月いっぱいで担当している業務に区切りをつけ、机の上をキレイに整理して後任者に明け渡さなければならない。更に、勤務地も変わるため、引っ越しの準備も同時並行で進めなければならない。人は一度にいつくもの作業を行うことはできない。少なくとも、僕は物事を一つ一つ片付けないとだめな性分だから、この状況はなかなかのストレスだ。そこにきて、移動に片道6時間弱もかかる泊まりの出張が重なったとなれば、気持ちに余裕がなくなるのも致し方ないだろう。
 気持ちに余裕がないことについては、もう一つ、大きな理由があった。広島出張に合わせて、僕はある人物に会う約束をしていた。それは、以前、生活をともにしていた人、つまり、前の妻と会うことになっていた。学生時代から付き合っていたその人とは、卒業してから数年後に結婚した。でも、結果として上手くいかなかった。理由は様々、と捉えることもできるが、結局は、お互いが人として未熟だったと言うことだろう。特に、僕のほうが、だけど。

 出張当日、僕は気持ちを少しでも落ち着かせようと、新幹線の出発時間よりもだいぶ早い時間に仙台駅に向かい、駅のカフェでコーヒーを飲むことにした。カフェでゆったりとした時間を過ごすことは、時間や気持ちに余裕があるからではなく、時間や気持ちに余裕をもたせるために敢えて行うことなのだ。と、カフェのソファでコーヒーを飲みながらスマホで読書する自分に言い聞かせる。
 新幹線の出発までは1時間ほどの余裕があった。時間の余裕は気持ちの余裕。しばらく読書を続けていたが、視線が徐々にスマホからカフェ店内に向けられるようになった。平日の朝、出勤前のサラリーマン、これから旅行に出かける若者たち、久しぶりに顔を合わせた母娘、朝の散歩を終えて一休みする老夫婦、一人で進路に悩む学生さん。勿論、全て僕の推測による人物設定だけど、おそらく、的外れではないだろう。たぶん、というか、当たり前だけど、このカフェにいるグループには、繋がりなんて何一つない。ただ偶然、この場に居合わせただけだ。僕もその中の一人。でも不思議と孤独感は感じない。なんとなく、同じ空間を共有しているだけで、緩い連帯感みたいなものを感じてしまっている。独りよがり。勝手な妄想。まあ、そうなのかもしれない。それでも、人の群の中で孤独を感じるよりも良いではないか。と、自分を納得させる。

 上司と合流し、広島の取引先へのお土産を買って新幹線に乗り込む。長い移動時間をどう過ごそうか。新幹線に乗る前までの悩みは、読みたい本をネットで見つけて、電子書籍をスマホにダウンロードしたことで、その悩みは楽しみに入れ替わった。お気に入りの音楽を聴きながら過ごす自由時間。ああ、素晴らしき新幹線の旅。
 日も傾きかけた時間帯に広島に着く。ホテルにチェックインして、上着を脱いでベッドに寝転ぶ。ボーっと天井を眺めながら、最後に広島を訪れた時のことを思い返す。広島には前の妻と何度か来ている。彼女が広島市出身だった、というのがその理由だ。今回の訪問は、最後に広島を訪れてから15年ぶりのことだ。当時は、解体される前の広島市民球場、原爆ドーム、平和記念公園を回って、お好み焼きを食べ、彼女の実家に顔を出した、と思う。
 当時、僕たち夫婦には子どもがいなかったし、特に僕は、結婚生活が上手く行っていると思い込んでいたこともあり、お互いあまり将来のことを真面目に考えていなかったように思う。その後すぐに子を授かること、そして、僕たちが別な道を歩むなんて夢にも思っていなかった。
 15年ぶりに訪れた広島市内は、なんだか初めて訪れた土地のように感じた。それは、彼女と別れたことで記憶が混乱していたことが大きな要因だと思う。でも、それだけだろうか?街は、急激には変化しないし、当時の街の風景だって割と鮮明に脳裏に浮かぶ。広島の街は当時と変わらぬ懐の深さで僕を迎えてくれている。と思う。変わってしまったのは僕自身なんだ。生活環境の変化、人との出会いや別れ、そこで経験した喜び、怒り、哀しみを経て、心の有り様も変化した。僕は、十数年前の僕ではない。「今の僕」がこの街を訪れるのは初めてなんだ。そう思った。
 取引先との打合せは、到着の日の翌日だったので、到着したその夜に彼女に会うことになっていた。広島市内のイタリアンレストランで待ち合わせだ。約束の時間に行くと、彼女はすでに席についていた。店員に待ち合わせであることを告げ、席に向かう。席に近づき目があうと、お互い右手を上げる。

「久しぶりね、元気にしてた?」

 彼女は昔と変わらぬ笑顔と口調でそう言った。

「うん。君は?変わりない?」

 その後は、お互いの近況を報告する。彼女も私も、今は新しいパートナーとの家庭を築いているから、話は自然とお互いの家族の話になった。

「こうして会えるのも、今の家族があるからなんだよね」

 彼女の言葉に、僕は100%同意する。二人とも、満ち足りたとは言わないまでも、充実した人生を送っていると言える。ただやっぱり……

「あの子のことねよね。もう、中学2年生。お化粧なんかしちゃって、すっかり大人になったつもりよ」

 別れてから、数回は会っている。ただ、ここ数年は会っていない。中学生になって、ずいぶん大人になったんだろう。

「会わせたいと思ってはいるの。でも、遠いし、あの子が会いたいって言うのを待っているっていうのもある。言い訳がましいかな?」

 いや、そういうものだろう。僕だって、無理に会うよりも、本人が会いたいと言ってくれるほうが良いに決まっている。僕の悪い癖で、会話の途中で考え込んでしまい、それっきり会話が途切れてしまった。

「あのね、あなたにちゃんと話したいことがあるの」

 沈黙を破り、彼女が口を開いた。

「私、あなたと別れたあと、ものすごく後悔していた時期があるの」

 それは初耳だ。多少の後悔なら、僕だってあった。そう、彼女に伝えた。

「違うの。私、あなたに嘘を付いていた。そのことについて、後悔してた」

 それを聞いたとき、僕はあからさまに動揺した。たって、自分の目が泳いでいるのが自覚できたんだから。嘘って、何が嘘だったんだ?

「ええと、ごめん。上手く伝えられない。うーん。あなたに嘘を付いていたというのは結果であって、実際は、私は、私自身に嘘を付いていたっていうこと」

 ちょっと良くわからない。

「そうよね。ちゃんと説明しなきゃね」

 彼女の話は、結局、僕を裏切るような嘘を付いていた、ということではなかった。

「私は、あなたと上手くやっていくことを目的に生活してたの。良く言えばあなたのことを尊重する。でもその結果、私は自分のやりたいことや自分の主張を押し殺してしまった。あなたを尊重することが、自分の首を絞めていることに気が付かないふりをしていた」

 そんなこと言われたら、僕は、そんな君の気持ちに全く気が付かなかったってことだ。

「そんなこと、私が口に出さなければ気がつくはずがない。でも、私も、あなたが気がついてくれるっていう甘えがあったんだと思う。だから、お互い様なのかもね」

 そうなんだろうか?そもそもお互い様って、そういう使い方するんだっけ?
 でも、もう過ぎたことなんだ。だから、お互い、これも笑い話にしたほうが良いんだよね。そう彼女は言った。過ぎたことであることは間違いない。でもこのことを笑い話にできる日が果たしてくるのだろうか?僕には自信がない。

「せっかくの再会なんだから、飲みましょう!」

 彼女はそう言うと、出会った頃と同じように次々とワインを飲み干し、楽しそうに笑った。その笑顔につられて、僕もいつの間にか笑顔になっていた。


 翌日、取引先との打合せを滞りなく終え、広島から新幹線に乗る。再び、6時間弱の旅路。午後に出発し、東京駅で東北新幹線に乗り込む頃には日はすっかり沈んでいた。スマホで音楽を聴きながら、僕は車窓から、灯り始めた街の光を眺めていた。少し前、宇宙から地球を撮影した映像をテレビで見た。夜の街に灯る無数の光はまるで、地上から夜空を見上げているような錯覚に陥る。地上に灯る無数の星たちの中に、その数以上の人々が生活している。そう考えると、とても不思議な気持ちになる。広い宇宙においては、僕たちの存在は塵のように小さなものだということ。それとともに、この塵のような無数の小さな光の中に、人々の様々な想いが渦巻いているということ。
 この世界は、この無数の光の中にある人々の想いから成り立っている。そして、その世界は、人の数だけ存在している。世界は重層的で、相互に影響し合っている。美しく綺麗な世界ばかりではない。悲しく残酷な世界も存在する。そして、人の心身は、脆く、弱く、有限だ。儚い、それが人生。でも、だからこそ、せめて、身の回りの暖かな想い、前向きな気持ち、希望、微かで捉え難いものかもしれないけど、そんな光が人生を良き方向へ導いてくれると、僕は信じたい。誰かの笑顔が、誰かを笑顔にするように。

 


おわり

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