【ライブ・レビュー】アンダーグラウンド・シーンの現場から⑯ 武田理沙 エレクトロニクス・ソロ

2024年1月2日 Oriental Force (高円寺)
「Hell Scroll in Tokyo Ⅱ」Presented by P.O.V.
武田理沙(key, electronics, etc)

聴いた! 新年早々、地震や航空機事故など相次ぎ、「音楽聴いてる場合なのかな・・」という気分だったが、足を運んでよかったです。狭い会場だが超満員でした。昔なら大掛かりな装置で作曲家が理論的にやっていたことを、今はテーブルの上の機材でインスタントに作り出せる。しかし、機材をいじるすばやさとか反射神経、判断の果断さも大事です。武田はさすがに機材に遊ばれてるなんてことは一切なく、機材を完全に掌握しており、さらにそこから未知のものをひねり出そうとしてくる。

それにしてもここまでわけのわからない音楽は初めて聴いた。全然、しっぽをつかむことができない。これはすごいです。噂通り、たしかに新しい。普通なら次第に予測がついてくるのだが、予測が当たらないというよりは、そもそも予想を立てることができず、めちゃくちゃにしか聴こえない。そうでありながら、明らかに同一モチーフの変奏とか対位法が意識されていると思われるのだが、でも「どことどこがそうなのか」がまったく把握できない。変化が速すぎるし、そもそも変奏とか対位法という概念自体がここでは別物になってしまっているような気がする。

音量、音色、加速減速、高低、反復回数の増減などによる情報量がすさまじいんだけど、それは量の足し算ではなく、「変化のパターンそのものが変化する」ことによる。手数で押すばかりではなく引き算もあり、流れの転換部としてのコーダみたいな部分もあるんだけど、なんかそれも異様な始まり方をして、終わりだか始まりだかわからない展開をする。どういう発想なんだか理解不能。ラウドでノイジーな音も多いが、全体的にカラフルでハジケた印象であり、でも「アヴァン・ポップ」なんて手ぬるい言葉では形容できないです。得体が知れない展開がひたすら続き、まったく安心して聴くことができず、全然落ち着けない。ここまでタイミングが読めないのはすごいです。あらゆるものが斜めにずれ落ち続けていくような、足場のない感覚。ゆえに音楽への安易な陶酔を許さず、聴く者の精神力が試されます。

脱・中心化とか脱・求心力、自己同一性の脱構築というのは、特にリズムの面で最近のプレイヤーがこぞって追及しているのだが、この武田のプレイははるかにその先を行く。変わったアイデアを頭で「試している」という段階ではなく、すでに身に備わっているということなのだろう。何かしら音楽の構造があるはずなのに、どこに構造があるかわからない。これは手際よく音楽を組み立てるなんてものじゃなくて、奇妙なアイデアが連鎖的にわいてくる感じだ。でも行き当たりばったりではなく(それなら生理的なリズム感覚によって変化は一定の範囲に収まってしまうはずだ)、帳尻が付いている、ような気にさせられる。演奏している人間の頭の中がどうなってるのかわからないが、とにかく楽しそうでしたね・・。これでも普通のソロの三分の二の長さらしい。この音楽を説明できる言葉はまだ存在しないと思われる。この手の機材を用いた演奏としては、ヘア・スタイリスティック(暴力温泉芸者)以来の衝撃でした。バッハからシェーンベルクまでの隔たりと同じくらい、シェーンベルクからも遠いところまで行ってしまった音楽。ひさしぶりに、びっくりした!


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