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大きな玉ねぎの下で(5)

 ここは喫茶店のはずだが、これだけある本を自由に読んでもいいのだ。実家の本屋より本が多い気がした。店内をじっくり見渡すと、興味ある作家の本が並んでいる。この喫茶店でどのくらいゆっくりできるだろうか、これから神保町へ行かなければならない。今回上京した目的は、バッグに入っている3つの小説原稿を3つの出版社へ持っていくことなのだ。採用されるかどうかは分からないが、受け取ってもらえることを期待して秋田から出て来たのだ。

 テーブルの上のコーヒーを飲みながら、東京駅から神保町駅までの行き方や所用時間をスマホで調べた。
 学生時代は何も調べずに都内を動いていたはずなのに、今はスマホですぐに調べてしまう。便利なものに頼りすぎると分刻み、いや秒刻みで正確に知りたくなる。「だいたいどのくらいだろう」という意識がなくなってきった。

 時刻が一秒違っても気になり、腕時計も電波時計にした。アナログの手巻き腕時計を付けている時は、数分ずれているのが当たり前だったのだが、今では数秒のズレも気になってしまう。
 喫茶店の前を見ると、そこを歩いている人たちはみんな1秒と狂わず、正確な時間で動いているように見えた。

 スマホの画面には、大手町駅から神保町駅までは都営三田線で2分。大手町駅まで歩く時間も10分と表示された。最初の出版社の方とは10時にアポを取っているので、9時半に最初の出版社に着けば大丈夫。ここには9時までいても平気だ。スマホ画面には大手町駅9時28分発で神保町駅9時30分着と出ている。

 スマホ画面に「大手町駅から神保町駅までは、さほど時間はかかりません。歩いてもいいのでは?」などアバウトな表示が出れば、分刻みの意識も変わるのではと独りよがりな考えをしていた。

 他の行き方も探してみた。丸の内線を使って大手町駅まで行ける。東京駅9時21分発で大手町駅9時22分着。乗る時間は1分だけ。それでもスマホは正確に表示をする。
 大手町駅で乗り換えて2分間だけ乗ると神保町駅だ。乗車時間はトータル3分。電車の待ち時間の方が長い気がした。
 これだけ分刻みで乗り降りする時刻がわかると、電車が1分遅れても人間はイライラしてしまうだろうなと気になり始めた。そして、詳しく時刻を調べている自分もその一人になりつつあるのではと思った。

 情報が多いと、近くに行くにもそのルートに迷ってしまう。東京駅から神保町駅まで徒歩で何分だろうかと気になりだした。23分とスマホが表示した。電車の待ち時間を考えると23分間歩いたほうが早いかもしれない。またまた情報を自ら増やしてしまった。

 こんなとき亜紀だったらこんなことを言うだろうな。

「どっちでもいいよ。そこに着けばいいんだから」

 自ら得ているスマホの情報量に右往左往していると、スマホの画面にLINEメッセージが表示された。亜紀からだ。

「亜紀です。さっきはありがとう。今日は時間があるよ。久しぶりに会ったからお茶でもする?たくちゃんはお仕事?遊び?」

 本当に亜紀はLINEでメッセージを送ってくれた。ジーパン姿の僕を見た亜紀は、僕が何のために東京へ行きたかを想像することもできなかっただろう。

「うん、お茶でも飲みたいね。仕事というか、仕事でないというか」

「なに、それって?学生時代と変わってないね」

 メッセージのやり取りより通話した方が早いと思ったが、LINEメッセージを送るだけでドキドキしている僕は通話する勇気がなかった。

「彩名ちゃんは?」
「彩名は、私の実家にいるから大丈夫」
「え。実家って徳島じゃなかった?」
「学生時代はね、でも、今、親は東京に住んでいるの。たくちゃんは今どこにいるの?」
「今、東京駅でスマホの情報に振り回されている」
「何、それ?」

 亜紀はときどきスタンプも送ってくる。ますますメッセージより電話、いや電話より会いたいと思ってきた。

「今は東京駅だけど、これから神保町に用事があるんだ」
「え、私がいた大学の近くに行くの?」
「そうだよ」
「じゃ、神保町あたりで待っている。あそこならいくらでも時間つぶせるから。何時ころ、神保町に出没すればいい(w)」

亜紀は(w)という表現も使って伝えてくる。

「12時過ぎるかも」
「了解、じゃ、10時ころから神保町に出没しま~す(w)」
「え、2時間も早いよ」

 亜紀は学生の頃とまったく変わっていない。人の話を聞いているのかわからない。そこがまた楽しかった。

「じゃ、神保町でうろうろしていて、俺は時間できたら連絡するから」
「りょ」

「りょ」という亜紀のメッセージ、「りょ」ってなんだ?

 亜紀に会ったらどんな話をしたらよいのか、どんな顔をして話せばよいのか、亜紀は結婚をしているみたいだが会ってもいいのだろうか、いろいろ迷っていたが、亜紀からのメッセージの勢いで、戸惑う間もなく会うこととなった。頭の中ではいろいろと考えてはいたが、心の中では会えることが嬉しかった。

 人間は思考と行動が一致しないことがあるのだろうかと自分に問いかけていた。

(亜紀からLINEメッセージが来た。学生時代と変わっていない亜紀。卓也の心は学生時代にもどっていく。次回へ続く)


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