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ライフイベントが重なった年末に受けたカウンセリングで気づいたこと

先日、あるところの紹介でオンラインカウンセリングを受けた。

12月は、父の死、父の死後の手続き、引っ越しがあった。気ままな一人暮らしから二人暮らしへの引っ越しだ。

12月も、毎日noteを公開すること、一日一首短歌を詠むこと、「毎日、物語1つ、詩を1つ、論考を1つ」の読書、ブログを連投する企画、アドベントカレンダーのための毎日の動画視聴、マーケティング講座の視聴、…

12月も、2023年に取り組んだこれらの日常を継続していた。
友人たちと隔週でやってる読書会を年末休ませていただいたくらい。

ここに仕事の負荷があまりないことが救いだった。上司と同僚には感謝しかないが、私が仕事をしなくてもチームが回ることがバレたので、クビになりそうで怖い。

本当にメンタルがやばいというほどではなかったが、ライフイベントが重なると、体調不良につながるという考え方がある。特に、身近な人との離別、死別はストレスが大きいとされる。ストレスは悲しいことだけでなく、嬉しいイベントでも感じてしまうそうだ。

父の死のまわりのことは妹に相談できるし、生前の父や地元のことに詳しい妹がいろいろと進めてくれている。引っ越しについて、新たに購入する家電を選んだりする私が苦手な話は、同居の人が考えてくれている。

すべてのことがまるまる負担になっているわけじゃない。でも、妹や同居人にすべてを押し付けるわけにもいかないし、押し付けていると感じている間は、何もしてないことに対する罪悪感で苦しくなってしまう。

実家の詳細は、ここには書けないが、まぁ、いろいろある。いろいろだ。実は、同居する彼女も、いくつかのライフイベントが重なっている。

本当なら、同居する人に相談したいことも、彼女が抱えていることが年末にかけてすごく多かったので、相談する内容はソフトなもの、解決が見えてから話すことなど、話し方を選ぶ場面が多かった。

実家のもろもろは、彼女に話してもしょうがないこともあるし、適切な感想を持ちにくい話もある。

私個人の全体を眺めて、がっつり相談できる人なんていない。それは私だけじゃなく誰もがそうだろう。相談できる友人であっても、何でもかんでも相談はできない。モヤモヤした私の全体を吐き出したい衝動があった。うまくいかない時、苦しい感情や毒を同居する人、妹にぶつけるわけにもいかない(すでにぶつけてしまったけれど…)

で、カウンセリングを受けることにした。ちょうど予約した日の翌日がたまたま空いていたので、ほんとにラッキーだった。

抱えていることの全体を一通り話したことですっきりしたし、カウンセラーの方がある業界出身の方だったので、一部については具体的なアドバイスも聞くことができた。

カウンセリング中で気づいたことだが、私は自分の心を吐き出す手段を持っている。毎日noteを書いている。愚痴だけを毎日書いては、読んでくれる人も嫌な気持ちになるだろうが、時々ならいいかもしれないし、そこにChatGPTに相談した内容でも書き加えれば、解決策の提案にもなる。

昨日のnoteは、12月の自分で嫌になった思考について考えたことをちょっと書いたものだ。書くことはいい。頭の中を整理しないと文章にならないので、強制的に頭の整理できる。

もとの住まいの退去はできたが、新たな住まいは家具・家電もそろってないし、どの部屋もまだ段ボールが主役という状態だ。同居の彼女は、いろいろとあって、まだ引っ越しができていない。ちょっと前に私が苦しんだ作業が年末年始の彼女を待っている。1月は父の四十九日で、実家のもろもろに対応するタイミングだ。

まだまだ落ち着かないが、何とか、来年が迎えられますように、と願っている。

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