ぐりんぐりん

無理せず自然でありたい。 自分にも人にも。 何気ない瞬間を写真を撮るように。

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最近の記事

運命の人とは、眺めのよいカフェに入った時に

眺めがよいカフェに入った時、 窓が見える方の席を自然に女性に案内できるのがよい男だと思ってた。 そういうことができない男性は「気が利かないヤツ」として、ひそかに減点してたし、 こんな男にしか相手にしてもらえない自分って何なんだろうと惨めな気持ちになったものだ。 人から大切にされないと、自分に価値があると思えなかったあの頃。屈折してたな。 でも私にも運命の人が現れた。 眺めのよいカフェに入った時に、 折角のきれいな景色を、彼に見てほしいと思ったのだ。 私が喜ぶよりも、

    • 失恋

      昔好きだった人に会った。 2年ぶりぐらいに。 元気だった? 忙しい? 仕事はどう? とりとめのない話をしばしば。 久しぶりに会った彼は全く変わっていなかった。 しばらく食事を続けていると、 「今付き合って3ヶ月の彼女がいるんだ」と。 ああ、そうなんだ。 何だか胃がヒリヒリする。 「わあ!おめでとうございます。」 思ってないセリフ。 「どんな人なんですか?」 「じゃあそろそろ同棲の予定も?」 聞きたくない、聞きたくないよ。 頑張れ、頑張れ。 こんなに苦し

      • 光と影

        光があるところに影はある。 光が強いほど影も強い。 明るく見える物ほど暗い部分がある。 逆に暗い物は思った通り暗いだけ。

        • なんにもしないことの価値

          「レンタルなんもしない人」って知ってますか? 1回1万円でレンタルできて 一緒に食事してくれたり、 おでかけしてくれたり、 ただ話を聞いてくれたりする人。 とくに特別なことしてくれる訳ではないけど、 すごく人気のサービスで予約でいっぱいらしい。 その人が言っていた言葉。 〝「人は何か生産的なことをしなければならない」 という社会的風潮が変わっていけばと感じている。 ただ誰かのためにそこにいて、 なんもしないことにも価値はあるのだと” 名言だ。 最近、市場価値の高い

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          雨の日の幸せ

          大雨の日にあたたかい部屋で ゆっくりコーヒー飲んでる時、 「ああ、自分は幸せだなあ」 と思う。 外がどんなに荒れていても 濡れることなく快適に過ごせる環境があること。 それだけで何だかほっとする。 という話を友人にしたら 「いや、自分の家ぐらい誰でもあるっしょ笑」 と言われた。 まあそうなんだけど。 そうなんだけど、 誰ももってないものを持ってなきゃ 幸せになれない訳ではなくない? みんな持ってるもの=価値のないもの みんなが持ってないもの=価値あるもの

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          自己肯定感の高め方は永遠のテーマ

          子どもの頃からずっと自己肯定感が低かった。 変わった名前。変わった髪型。 男の子から引かれるほど高い身長。 自分は「ふつうの女の子」にはなれないという感覚をずっと抱えていた気がする。 人気のおもちゃを買ってもらっても、 女の子らしい服を着せてもらっても、 「ふつうの女の子」としての資格がない私が このようなもので喜んでよいのか、と後ろめたい気持ちになっていた。 (我ながら何て屈折しているのだろう笑) みんな違ってみんなよい、なんて当時は全く思えなかった。 だから自分

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