[休職]1ヶ月目
皆さん、おはようございます。nokiです。
今日はお約束どおり、休職についての記事をあげようと思います。
この休職についての記事は、繕うことなく、ありのままの私を書いていこうと思います。
では。ここから話していきますね。
11/10~休職がスタート
2023/11/10~から休職となった私。
この日の診察でははじめて主治医さんの前でボロボロ泣きながら、もう仕事に行けない、行きたくないと泣きました。
診察に向かっているときから、すごく動機がして脈拍があがり、手も震えがとまりませんでした。
のども尋常なほどに渇いてしまって、かなり水分を摂取していました。
実は、これと同じような症状が2週間ほど前から酷くなってきていました。
だんだんと仕事にも影響が出てきてしまって、私を知っている一部の人から、「もう、仕事休んだ方がいいって」と言われていました。
だけど、そんな気遣いの言葉も、私の中にあったプライドが邪魔していたんですよね。仕事は休みたくないんだ。って。
そんなことを思っていても、心はどんどん疲弊していってSOSサインを出してくれていたのですが、そのサインを私は甘えだと勘違いしてしまっていました。
気持ちの問題で仕事を休む=自分に甘い。そんな方程式が存在していたんです。
ひとつ先にお伝えすると、その方程式が適用されるのは自分自身にのみです。私と同じ会社から派遣できていた女の子も私が休職する半年前にうつで退職してしまいました。その子に対して甘えだとかは思ったことはありませんでした。本当です。
自分自身を大切にしなかった
そうですね。本当にそうだと思います。
だって、自分自身は助けてと叫んでいたのに、それを無視していたんですから。
11/10から休職になったんですが、実はその前の診察のときには既に自分の心はボロボロになっていたんです。
いいわけになってしまうのですが、その診察のときに主治医さんの体調が悪く、そんなときに休職の診断書を書いてもらうのをすごくためらってしまったんです。
そこまで患者が気にすることではないと思うんですが、当時の私は気にしてしまったんです。
そして、まだまだ仕事やれる!と思い込んで毎朝こみあげてくる涙を必死にこらえながら通勤していました。
このとき既に、ガソリンが切れた車です。
ガソリンが切れているのに、もっと走れ!と、アクセル全開で走っていました。
心の糸が切れることで守られた命
ちょっと重たい小見出し。
でも嘘ではありません。その当時は早くお空に帰りたいなぁって考えていました。
それが、診察室という自分が安心できる環境で心の糸がきれたことで私の命が守られました。
ちなみに、私が休職スタートした日も、その翌週の入院が決まった日も、天気は大雨でした。
そのときの私は、私が泣けない代わりに天気が泣いてくれていると思いました。
恐らく、天気が泣いてくれていたからこそ私の心もホッとして、泣けたのかなと思います。
泣いてもいいんだよって言ってくれた気がします。
ボロボロからの再スタートになった休職1ヶ月目
休職の診断が下された後、主治医さんがまっすぐ目を見ながら、「今日からまた、新しいスタートです。一緒に頑張りましょうね」と言ってくださいました。
休職になってしまった罪悪感が心のなかで急速に膨れあがって行く中、主治医さんのその何気ないひと言が、とても私の支えになりました。
私一人じゃないんだ。一緒に戦ってくれる仲間がいるんだという安心感が私を救ってくれました。
入院も経験
この休職1ヶ月目には、入院も経験しました。
入院当初は、閉鎖病棟に入院。その後、調子が戻ってきてから解放病棟へ転棟になりました。
この入院期間も、私にとって忘れられないものになりました。
この話はまた来週の休職シリーズで書いていくのですが、簡単に言うと、退院する74日前に大きめな解離症状を病棟内で出してしまって、看護師さんに大変ご迷惑をおかけしました。
今日の記事は長くなってしまいました。
ここまで読んでくださった方。ありがとうございます。
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