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短歌物語/公衆電話

 なんでこんな大切な日にスマホが壊れるんだ。
 忌々しげな気持ちのままベッドにそれを放り出すと、上着に袖を通しながら外へと飛び出した。

 まだ早い時間の街には静けさに包まれている。車も少なくすれ違うのは犬の散歩やランニングに励んでいる人たちばかりだ。

 ポケットにいれた小銭がジャラジャラと音を立てる。
 最近見なくなった公衆電話ボックスが朝日に照らされながら僕を招き入れた。

 まさかこの時代になってまでお世話になるとはね。
 苦く笑いながら必死に頭の中の記憶を辿って、あの人の電話番号を探り当てようとする。
 普段ならクリック一つで繋がる回線も、こうやって必死に思い出せなきゃ繋がれない。
 便利なようで儚いもんだなと呆れたように息をついた。

 昔は好きな人の番号くらいソラで言えた。
 迷いなく指がいくつもの数字を押せたもんだ。
 それがいつのまにこんなに不確かなものになっていたんだろう。

 小銭をいくつも入れて、なんとなくこれかなという数字を押した。
 一度目は間違えて怒られた。
 もう一度深呼吸をしながら、思い出す。記憶力はいい方なんだ。

 プルっという軽やかな音に続いて呼び出しの音が聞こえてきた。
 どうか当たっていますように。 
 どうかあの人の声が聞こえますように。

 願いが伝わったかのように受話器から聞こえてきたのは不審そうなあの人の声だった。
 そりゃそうだろう。
 今時公衆電話から誰が電話してくんだって言う。しかもこんな朝に。

 名前を呼ぶと「え?」と戸惑う声が返ってきた。
 続けて自分の名前も告げる。

「ごめん。スマホが壊れて連絡が出来なくて。今、公衆電話まで走ってきた」
「え。何、どうしたのこんな朝早くに」
「うん。でも朝目が覚めて一番に言わなきゃって思って」

 お誕生日おめでとう。
 あなたという存在に会えて嬉しい。

 あのね。
 今更だけどさ、聞いて。

「好きだよ」

 たった一言を伝えたくて必死だ。
 寒くなってきたというのに僕の熱気のせいかガラスが曇って外が見えなくなっている。
 こんな顔を誰にも見られたくないからちょうどよかった。

「君の誕生日に一番最初におめでとうって言いたかった。好きだって、ちゃんと言葉に出して伝えたかったんだ」

 受話器の向こうで息が飲むのが聞こえた。
 ポケットの中の小銭をこれでもかってくらいつぎ込んであの人へと気持ちを口に出す。 
 どうか伝われと祈りを込めながら。

「ありがとう」

 少ししてから、君が照れたような声で答えた。

「じゃあケーキ一緒に食べてくれる?」
「いいよ。何のケーキが好き?」
「そうだな、やっぱり定番のショートケーキかな」
「わかった。ホールで買ってく。ろうそくも立てるから吹き消して」
「うん、あとね、」

 さっきまで低い位置にあった太陽が高くなって、僕のいる公衆電話を橙に照らした。眩しくて目を細める。

 熱気で曇ったガラスを指でなぞると水が集まってツーっと流れた。
 すきだよ、とガラスにも書いたら全部繋がってまるで達筆な書道家のような文字になった。
 このシチュエーションがおかしくなって笑い出してしまう。 
 それに気がついた君も笑いを含んだ声で「なに」と聞く。

「ううん、公衆電話も悪くないなって」

 君の誕生日に。ぼくたちが恋人同士になれた記念日に。
 あんなことがあったよねっていつか笑える日が来るだろう。


  好きだって
  伝える熱が
  満ちていく
  汗ばみ曇る
  公衆電話


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