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何が自分の成功を邪魔するのか

今回は、「なりたい自分」になろうとするときの、「2つの天敵」について書きたいと思います。

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「「なりたい自分になる」ってどういう事?」(昔のタイトルだと「なりたい自分になる、その1」)という記事で、「レベル3:自己実現」を、本来の意味での「なりたい自分」のあり方だと考えている、という感じのことを書きました。

私たちは、いろんな制約を受けたり、我慢をして生きています。
不自由さを感じながら、それでも納得(妥協?)して日々を過ごしています。
そんな毎日の中で、「自分らしく生きる」というのは簡単ではなくて、それに比べたら経済的、社会的な「成功」は測りやすいし見えやすいものだし、多くの人の「目標」であり「目的」となっています。

でも、私は「自分らしい自分」でいられることが、実は達成が一番難しい「成功」なんじゃないか、と思っています。

自分で「こうなりたい!」と思っても、そこに辿り着くには、残念ながら様々な障害があります。
気をつけることはたくさんあると思いますが、特に、そこには「2つの天敵」がいる、と思うんです。


天敵その1:自己不信

自己不信は、言い換えれば「不安と恐怖」のことだと思います。

これまでの記事でも何度か書いてきましたが、「私なんか・・・」というのは本当に良くないです。(*過去記事はこちら

私なんかには無理。できるわけがない」と、最初から諦めてしまう。
私には無理。だって・・・だし」と理由付けをして、何もしない。

こうした思考の根底には、「失敗したらどうしよう?」という不安があって、「失敗する」のが怖いんだと思うのです。

不安は、悪いどころか「あって当然、なくて不自然」だと思っています。
大事なのは、そこで自分なりに対応できることです。
(不安についても、以前の記事で書いているので、そちらも見て頂けると、とても嬉しいです。)

不安はあってもいい。
でも、不安に支配されて自分で自分に限界を作るのは、やめたいですよね。


天敵その2:外部からの圧力

要するに「周りの人たちのネガティブ意見」です。

成功も失敗も関係なく、子供のころから「トライする自分」を肯定してくれて、結果だけじゃなく、努力も併せて公正に評価してくれる環境であればいいのですが、そんな寛大な環境に育つことって、現実にはあまりないような気がします。

それ、○○ちゃんには無理よ
○○ちゃん、大丈夫?本当にできる?
・・・

そんな風に、何かを始める前から「信頼してもらえない」こと、結構ないですか?

兄弟姉妹、クラスメート、親戚の子、近所の子・・・比べる相手はバラバラでも、何かしらで「XXちゃんはさすがね。でも○○ちゃんは・・・」みたいな感じで、周り(大抵は大人)から「失望されてしまう」こともあります。

こういうのが続くと、自己肯定感なんて、育つわけもありません。

そうやって、外から自分の限界を決めつけられていると、いつの間にか自分でも「私には無理。できない。きっと失敗する・・・」と信じ込んでしまうのです。

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この2つの天敵は、似て非なるもの、です。
でも、「天敵その2」が、いつの間にか「天敵その1」に姿を変えていることもありますし、「天敵その1」を自分から周りに言い続けているうちに、周りも「本人がそう言ってるんだから」となって、「天敵その2」を作ってしまった、というのもありますが・・・。

基本的に、この2つの違いは「内圧」か「外圧」かです。
自分を、
 ・内側から、自力で抑え込むのが「その1」
 ・外側から、他力に抑えこまれるのが「その2」
で、これは「能動態」と「受動態」とも言えそうですね。

自己実現の達成度を100としたときに(つまり、自分には100になるだけの資質がある、ということ)、自分でも100だと思いたいけれど「もし違ったら嫌だから、70ぐらいに設定しておこう」と思うのが「天敵その1」。
自分では100だと思っていたのに、周りに言われて「そっか、私は本当は70なんだ」と信じ込まされてしまうのが「天敵その2」、です。
どちらにしても、フルゲージの100には足りていないので、
なりたい自分=なるべくしてなる自分=自己実現
からはかけ離れている、ということになります。


小説に見る「天敵」

こういう天敵は、昔からいろんなお話に出てきます。
個人的に好きな話で、一般的にも有名だと思うのは「ゲド戦記」です。

指輪物語」にも、こうしたモチーフが、たくさん入っていると思います。
(皆さんご存知の「The Lord of the Rings」です。知らない人もいるかもしれないですが、昔の日本語訳では「指輪物語」だったんですよ・・・)

冒険なんか、したくない。
居心地のいい故郷に、留まっていたい。
得体のしれないものに追いかけられるのは、怖い。
荒野や深い森、洞窟、・・・危険な場所を進むのは、辛い、苦しい。
痛い、寒い、暑い、喉乾いた、お腹が空いた。
「おまえなんかが成功するはずがない」って、どうせ皆んな思ってる。
自分はこんなに小さくて、無力だ。
こんなの自分には、最初から無理だったんだ。
もう、この先に行くのは嫌だ。
こんなの、できない。
・・・

もっと出てきそうな気がしますが、ちょっと思い出しただけでもこんな感じです。「指輪物語」には、天敵絡みの伏線が、本当にいろんな箇所にあると思うのです。

でも、勝つためにはヒーローやヒロインである必要はないんですよね。
指輪物語の最後は、ご存知の通りですし。


天敵を倒す!

「なりたい自分になる」ために、この天敵をどうやって倒せばいいのか、という話になるのですが、それは「自由」じゃないかと思います。

ここで再確認したいのですが、自己不信も、周りからの圧力を「受け入れた」のも、自分自身の選択です。
恐ろしいことに、自分から天敵の罠にはまりに行くんです。

もし、天敵の罠に囚われてしまったら・・・

逃れる決め手は、「自由への憧れ」、だと思います。
自分の中にある「自由への憧れ」が、強くなれば強くなるほど、天敵の力は弱まっていくはずです。

天敵は、どちらも自分を「小さく抑え込む」ものなので、今の自分が、「苦しい」、「息が詰まる」とどこかで感じているのなら、それは自分が「解放されて自由になりたがっている」証拠だと思います。

時に人は「自分が呼吸できないことさえ自覚できない」ほどに、感覚が麻痺してしまっていることがあります。
とても悲しいことですが、そうした場合には、専門家に助けてもらうべきだろうと思います。(ちゃんと助けてもらう、って大事なことですよね。「助けて」と言えるかどうか、というのも問題なんですが・・・)

「なりたい自分になる」というのを意識した時点で、気持ちは既に自己実現に向かっている、と思います。
何が自分を阻んでいるのか。
それをきちんと認識するのが、「なりたい自分になる」ための、大事なステップではないかと思います。

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理不尽な環境から出ていくことは、「逃げ」ではなくて「解放」だと思います。 人は「自分」からは逃げられません。
「本当の自分」、「あるべき自分」になろうとすることは、「自分で自分を産む」ようなものではないでしょうか。

痛みを伴うだろうし、楽ではないと思います。
でも、それだけの価値はある、と私は信じたいです。


☆この記事で使わせていただいた写真は、「みんなのフォトギャラリー」から黒田明臣さんの作品です。

囚われてる間は暗闇だったのが、自分を解放して自由になるときに輝く光が降り注ぐ、みたいなイメージで選ばせていただきました。




20年以上の海外生活に終止符を打ち、2020年後半には日本へ帰国します。サポートは皆さんとお会いするときのお茶代として還元させていただきます。