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『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』

AV監督の二村ヒトシさんの著書を読んだ。人は誰でも自身の親に空けられた「心の穴」を埋めるために恋愛してる、っていう主旨が書かれていて、まあ短いのですぐ読み終わる。

当たり前だが、べつにアカデミックなものではないから、体系立てて書かれているわけではない。だから、けっこう用語の定義が曖昧だな〜という感覚があったが、あんまり突き詰めずにサッと読み進みていった。AV監督のオジサンに、飲み屋で恋愛相談をしたら思いのほか深イイ答えが返ってきた!みたいな印象の本。


この本を読み進めていく中で、自分の中でひとつ気付いたことがあった。「恋をする相手は、自分にとって無いものを埋めてくれる相手」みたいな(違うかもしれない)ことが書かれていた箇所があって、まあそんなのは当たり前といえば当たり前のことなんだけど、なんか改めて考えてみたら、直近で「良いな」と思った男性に関しては、まさに、と思うことがあったのだ。


身も蓋もない言い方をすると、それはビジュアルの良さだった。彼は私好みの外見だったのだ。世間一般の評価は知らないが、私目線ではイケメンだった。しかし、一方で彼のビジュアル以外の要素、つまり教養の深さとか会話の面白さとか収入の高さとかはまったく期待できなかった。(なんなら下手すると私のほうが彼の3倍くらい収入がありそうだった。)


なのになんで、この彼が気になったのかと考えてみたら、それはもしかしたらわたしが外見的なコンプレックスを抱いているからなのではないかと思った。わたしは自分のビジュアルに自信がなく、ビジュアルによって異性から熱い支持を受けた実績もなく、とにかく「男ウケしない」という刷り込みが為され続けてきた。自分は相対的にブスなんだ、と認めざるを得ない場面が人生の各処でいくつかあった。でも、心の何処かで「私だってそんなに悪くないわよ」と思いたい自分もいる。


そういう自分のフラストレーションを解消してくれるのが、「自分がイケてると思ったビジュアルの異性に選ばれること」なのかとしれないと気づいた。美人は、それまでの人生で「自分が美人であること」を浴びるように味わっている。だから、わざわざとイケメンに選ばれることによって自分の美しさをはかる必要が無い。だけど不美人である私は、どうにかして美人であると思い込みたくて、その証明として「イケメンに選ばれた」という事実を欲しているのかなと思う。


よく「想ってもらえること自体はそれが誰であっても嬉しい」とかいうけど、わたしに関して言えば申し訳ないけど、そんなことはない。イケメンに褒められたりアプローチされたりすれば嬉しいけど、ブサメンに同じことをされても嬉しくないし、迷惑に思う。あと若い男の子に褒められても嬉しいが、オジサンに褒められても嬉しくない。結局ビジュアル以外の要素はあんまり重要じゃない。


そう考えると、やはりわたしの中で欠如しているものは「若さ」や「美しさ」といった性的な魅力であって、でもそれを「自分には無い」と認めたくなくて、だから美しさの証明書代わりとして、若くて美しい男の寵愛を求めているのだろう。

少し話がずれるが、私の場合、「女の子の奢られ問題」も根底にあるのは同じである。


別にお金に困っているわけでもないのに、一体なんで異性からお金を出してもらいたいのかと考えたときに、それは「ビジュアルが可愛い女、男にとって魅力的な女であれば金を出してもらえる」という長年刷り込まれてきた文化的な基盤があるからではないか。(今は古いと言われるかもしれないが、昭和の価値観がアップデートされていないのだ)だから、お金を出してもらえなかったときは「おまえはそれに値しない=性的に劣っている」と言われているような気がして傷つく。


友人に、とてつもなくモテる子がいた(なぜ過去形かというと結婚したから)が、彼女は異性から「ぜったい奢られたくない。対等でいたい」と言う。なぜかというと、高校生の頃にお付き合いしていた彼氏に「奢ったんだから〇〇してよ」という風に要求され、その時の不快さが忘れられないからだと言うのだ。


そう、冷静に考えれば「課金されること=見返りを求められていること=相手に貸しをつくること」だということくらい、分かる。(だからこそ、男性は本当に狙った女には課金した方がよい。なぜなら「今まで奢ってもらったし」という想いが、彼女を断りづらくさせるからだ)なんだけど、同じ割り勘でも「俺が出すよ!俺が出すってば!」を退けての割り勘と、「(伝票を見てすぐに)3000円もらっていい?」(なぜか男はドヤ顔でレジに金を出す。見栄を張れているのは店員に対してのみ)という督促を受けての割り勘とでは、動いた額は同じでも満足度はまるで違う。くだんのモテる友人は、前者を経験したうえでの「あくまで割り勘主義」なのだと思う。対する私は残念ながら後者である。


話をもとに戻す。37歳の私が今いちばん欲しいものは「若さ」と「美しさ」で、だからこそ、それらを持っている異性に惹かれる。


言い訳のようになってしまうが、もっと昔、私が若い頃はそういう傾向はなかった。では当時の私が異性の何に魅力を感じていたかというと、それは「圧倒的教養」だった。カリスマ性のある、エキセントリックな頭のいい男に惹かれた。そういう男と付き合えている自分まで賢くなった気がして嬉しかった。いつも知らない世界を見せてくれる、知らないことを教えてくれる彼に心酔していた。まるで彼の脳内に入っている知識を、自分までインストールできたかのような錯覚を、すこし持っていたのかもしれない。

つまり、その時その時によって、求める異性のタイプが変わるというのは、私自身が変わっていく以上必然のことなのだろう。


ちなみに、この『あなたはなぜ「愛してくれない人」を好きになるのか』が、一番おもしろいのは本編ではなく、巻末の対談と文庫版あとがきである。


2022年終わりの日。みなさま良いお年を。

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