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「二見浦」二人歌人のまじわりは

二見浦での西行法師と鴨長明のエピソードを知った時は、気の毒な事だと思わずにはいられませんでした。

簡単にこの2名についてのご紹介です。案外、二人が近い時期に生きていたというのも驚きでした。

西行法師(1118年~1190年)
本名を佐藤義清(のりきよ)です。佐藤氏は平将門を討った藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の子孫で、富裕な武門の家柄でした。17歳で兵衛尉(ひょうえのじょう)(皇室の警護兵)という昇進まっしぐらな職につきます。和歌も得意且つ武芸にも優れ、その上かなりの武骨でありながらの器量よしとかでものすごく持て囃されたそうです。そんな西行が22,3の齢で出家をします。妻子も家の財産も名誉も全部捨てて、旅に出ました。その理由はおよそ4つに分けられるほどが有力なようです。ですが、どれもこう書いてあるからこうであろうという推測の域を超えません。
西行の代表的な歌は
「願はくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」
です。こちらの記事でもちょこっと触れていますが、花=桜です。

鴨長明(1155年~1216年)
「方丈記」の著者です。年京都下鴨神社の禰宜の子として、裕福な家の子として生まれます。18歳の時、父を亡くし力を一気に失い、親族との権力争いの渦中に置かれ、厭になり出家に至ったようです。そして、簡易で移動できる家も自作する「方丈庵」で、良いところを探しながら生きていたようです。

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