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死にかけたのに、不思議と怖さを感じなかった話


#私だけかもしれないレア体験

「意識が戻ったぞーっ!」

それはいつもの日常に、不意に襲いかかってきた。
一昨年の夏、突然意識を失い、倒れた。

一瞬の出来事だった。
急に息が苦しくなって、あっという間に目の前が真っ暗に…。

気がつくと多くの人に囲まれていた。皆んな心配そうな顔でこちらを覗き込んでいる。

は?何が起きたの??
なに?この状況⁈

お店の床で無造作に仰向けで寝ている私。

「あ〜よかった、生き返った‼︎ (喜)」
店長さんは、私の硬直した左手を大切なものを扱うように摩っていた

「大丈夫ですか?」

「はい、全然大丈夫ですよ〜😀」

全く状況を飲み込めないまま、お決まりの笑顔で爽やかに返してはみたが、

って、え?体が動かない…

「か、体が全然動かないんだけど。なんで?」

「血が通ってない。未だ手が冷たいままですよ。ほら」

本当だ、手が冷たく硬直してて全く言うことを聞かない。手だけではなかった。体全部が硬直してしまって、そこにあるのは魂が抜けた物体という感じだった。

なんの信号も送れない。体の各部位が私の命令を完全に無視している。無視と言うより電線が切られて音信不通な状態と言う方が近いかもしれない。まるで自分の体とは思えない感覚だった。唯一、配線が繋がっているのは、頭部だけだった。
顔の筋肉だけがかろうじて動いた。それも瞬時に笑顔になれた。習慣て凄い。

「何これ〜っ⁈動かない。一体どうなっているの⁈」

「覚えてないんですか⁈」

「はい、全く・・・」

まだ状況が飲み込めずにいた。お店のスタッフとお客さん全員に上から覗き込まれ、見守られてる状態だ。めちゃ恥ずかしい。

いや、待てよ。『スカートめくれてない?パンツ見えてない?あ、今日はズボンだ、良かった。あれ、ベルト外されてない⁉︎』

笑顔で返事をしたのも束の間、不安と恥ずかしさがどんどん膨れあがった。かろうじて働くが、大して頼りにならない頭で、必死にこの状況を把握しようと努めた。

『まな板の上の鯉って、まさに今の私だー。まな板がないけど』と
この状況で、ボケずにいられない自分の能天気さに救われる。

「急に倒れられて。息もしてないし。目を開けて瞳孔開きっ放しだったから、てっきり死んでしまったんじゃないかと…」

えぇ〜っ!?

私としては目を閉じてたつもりだった。今、はじめて目を開けた、そんな感覚よ⁈目を開けたまま倒れてたなんて。だって何も見えてなかったし。

いったい何があったんだろうか…?

そうだ、なんだか息が苦しくなって、まるで何かに首を絞められてるような。次第に締め付けと共に息苦しさも増していった。

学生時代の運動部、過酷な練習中に過呼吸になった時、「息が苦しい時は吸うことに集中してしまうが、吐かないと息は吸えないんだ。息を吐くことを意識しろ。」急にそんな言葉を思いだして、必死に吐こうとした。

『吐け、吐くんだジョー!
じゃない、花子、吐くんだ〜!』

あんな苦しい時ですらボケてたんだ私。笑

隣の人に苦しいと伝えようとしたけど、時すでに遅く、声も出せず肩を叩くことすらできなくなっていた。

それから〜目の前が真っ暗になって。
そうそう急に息が楽になってた。

『あ〜、良かった!楽になった。
ん?で、ここはどこ?真っ暗で誰もいない』

すると、正面右手の奥に灯りが見えた

『あ〜、良かった』

そこには黄色と薄橙色と桃色と白色の淡くて、優しい光が輝くほわほわした場所があった

『なんだか優しそう』

変な表現だけど、そう感じた。別に怖くはなかった。暑さや痛み、疲れや寂しさ、そう言う感覚を、五感というものを感じなかった。

ただ、真っ暗で誰もいないここにいるよりは、灯りのさす方に行きたかった。その明かりの灯る方に向かおうとした、その矢先…。

「花子ーっ!!!」
右背後から、私を呼ぶバカでかい声がした。

え⁈ うるさいー!
くっ、苦しいーっ!!

何しやがるんだぁーっ!怒

「やったー!生き返ったぞ〜っ!!」
湧き上がる歓声が聞こえた。

私は心肺停止で倒れていた。
その間1〜2分。
私には30分以上の時が流れたように感じられてた。今も残る不思議な感覚。

周囲に人がいて心肺蘇生をしてもらえたのが幸いだった。息を吹き返した時の苦しさは、人工呼吸のせいだった。

お陰さまで奇跡的に三途の川の手前で帰ってこれた。私は一命を取り留めたのだった。もし自宅で一人だったら…。

三途の川を見てきたのは、これで二回目。前回も誰もお迎えには来なかった。前回は、キラキラした流れが向こうの方を横切っていた。でもそれは水じゃなく、光の川だった。今回と同じように淡くて優しい光の川。

その時は誰かが後ろで「そっちじゃないよ」と言うので引き返した。記憶はそこまでしかない。声を掛けてくれたのが誰かも、分からないままだ。

程なくして駆けつけた救急隊によりタンカに乗せられ、救急車で運ばれた。救急車に乗るのはこれで確か8回目だったか…。

可哀想に、さぞかし怖かっただろう。いや、私じゃなくて、その場に一緒にいた人たちが、だ。私は全く恐怖を感じなかった。
なぜだろうか。

この体験で、死ぬことは生きることのただの延長線上である。そう実感したからかもしれない。

辛くても我慢して、無理して一生懸命に、必死に頑張ること。前世になし得なかった何かを昇華するための修行。自分の使命や天命を見つけて真っ当しようと精進すること。

なんて、生きることを重く考えてたけれど、生きるとはそんなもんじゃないと教えられた気がした。

生きるとは
楽しむこと
軽やかなこと
喜びと感謝が込み上げること

生きるとは愛おしさの塊

死にかけた私がお土産でもらってきたものは、そんな感覚だ。

いつの間にか、私の人生から重たいものが、ふぅ〜っと消えていたように思う。

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