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私はアセクシュアルかもしれない?なぜそう思うのか

アセクシュアルとは?

アセクシュアルとは性的マイノリティのカテゴリーの一つとされる。
アセクシュアルは他者に対する性的な惹かれの欠如、または性的な行為への関心や欲求が少ないか、あるいは存在しないとされる。
アセクシュアル、Aセクシュアル、無性愛者、エイセクシュアルなどとも呼ばれる。
一説では「世界人口の1%がアセクシュアル」とされており、セクシャルマイノリティの中でも特異な少数派である。
カテゴリーとしても真新しく、LGBTQの分類として加えるべきか否かという論争も起きている。
なぜなら、基本的に性別や嗜好に左右されない恋愛の自由を唱えるLGBTQとは異なり、アセクシュアルはそもそも「恋愛」をしない。マイノリティの中でも更なる差別を受ける事案も発生しているのが実情である。
マイノリティである同性愛と、マジョリティである異性愛の人々の両方が、アセクシュアルのことを冷血で動物的な、人間性のない存在として見ることも少なくない。
LGBTQのコミュニティでさえ、アセクシュアルには支援の手を差し伸べないことも多い。
アセクシュアル独自のコミュニティに帰属している者は、その証として右手の中指に黒い指輪をつけることもある。


自分はアセクシュアルなのか?

私は自分がアセクシュアルだと思う。
私は恋をしたことがない。
約30年生きてきても、私は誰かに強い恋愛感情を抱いたことがない。
幼少期から高校にかけて、「男性」と「付き合う」ことは何度かあったが、思えば「好き」という感情はなかった。
相手が「好意」を向けてくれたので、「付き合う」という慣習をただ単に「知って」いたので、それに倣って行動したに過ぎない。
成人し、結婚という慣習が自分の圏内に入ると、逆にそれすらも億劫になった。
「好きな人」が出来ない。それは内向的な自分が、新たな人間と多く出会わないので、「いい人」を見つけられていないと信じていた。
しかし時が経つにつれ、私は誰のことも「恋愛対象として人を見ていない」ことに気がついた。それは人間として非常に重大な欠陥に思われた。
また、私は性的な関係を望んだことがない。
相手が自分に静的な興味を抱くと誤魔化し、最終的に逃げ出してしまう。
私は高校まで「男の子」のような振る舞いが多く、男子とも男友達感覚で付き合えた。
その上、基本的にその年代は男女の性的交流は世間的にはあまり良しとされないものだったこともあり、拒絶してもさして罪悪感もなく、周囲に対しても違和感はなかった。
だが成人して女性らしい着飾りが必要になると、状況は一転した。
現在のマジョリティ的価値観として、清い交際が良しとされた学生時代とは裏腹に、成人した男女間の関わりは最終的に結婚妊娠に行き着き、そうでないものがマイノリティとなる。
しかし私は、好意をむけてくれた男性と、では仮に付き合ったとして…と考えるうち、相手との性行を想像すると、ほとんど嫌悪に近い感情を抱いてしまう。
私の方から好意を持った相手となら平気なのだろうか?残念なことに、最初に述べた通り私は人を好きにならないので、現在のところその仮説を解くことは不可能だ。
私は男性も女性も恋愛対象として見たことがない。
セクシャルマイノリティについて認知が進んだ昨今、私もあらゆる情報を耳にする。
そのうち、私が恋愛しないのはもしや恋愛対象が男性ではなく女性なのではと考えた。
だがそもそも、約30年、男性以上に数多く出会い、付き合いもある女性に対してそういった感情を抱いたことがないのだから、その仮説は成り立たないと考える。
結局のところ性別に関わらず、私は恋愛感情がないのだ。
セクシャルマイノリティの分類は常に細分化が進んでおり、私自身全ては把握出来ておらず、また恐らく誤解もあるだろう。
さらに私はASDと不安障害の疑いもあり、人との長期の交流が苦手、という部分を克服することで何か気持ちの変化も起きる可能性がある。(ちなみに、アセクシュアルの男女には気分障害、不安障害の傾向が強いとされる研究報告も存在する)
今後はさらに知識を深めつつ、自分をアセクシュアルと自認した上でどのように生きるかを模索していきたい。

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