安楽死についての考察
Twitterで一時、フォロワーさんのツイートで安楽死が盛り上がりを見せたことがあった。
あまりにも生きることに幸福を感じれない人たちが、こぞって安楽死を求めている。これは世の中としては異常である。
実は安楽死が認められている欧州(一部)
スイスやオランダ、ベルギーなどでは安楽死が認められているらしい。
スイスでは70年以上前にすでに合法化されており、正に安楽死先進国である。
その中でスイスで安楽死権利を得た日本人が記事になっている。
一体、安楽死に正解はあるのか。。
Twitter上でスイスの安楽死マシンが話題に
生きる権利があれば、死ぬ権利がある。そもそもスイスには死ぬ権利を主張する団体が存在するらしい。
死ぬ権利推進団体が作ったのがこちら。
安楽死とはその名の通り、「楽に死ぬ」ということである。誰もが苦しみながらなくなるのは嫌でありその苦痛なく死ぬことができるらしい。
なぜ、安楽死が求められているのか。
そもそも人間は生きて繁栄するために子孫を残し、生にすがってきた。始皇帝は永遠の命を求めて部下に薬を探させたし、漫画やアニメでも不老不死は必ず描かれてきた。
人間の命は有限であり、必ず終わりがある。どんな幸福度が高い人でも永遠はない。一般的な人間の幸福論は生きながらえることである。
長寿の爺婆がニュースでめでたいと取り上げられているのはそのためだろう。
死の恐怖から目を背けるために人は宗教を作ったし、医学を発展させてきた。それがここにきて、死ぬためのイノベーションである。
背景にあるのは、貧困を背景にした精神苦があると考える。
圧倒的な格差社会が迫りつつあり、中間を支える人間が減った。
産業が衰退して、低賃金で働かされる人が増えて、心を壊して社会保障の世話になる人が増えた。
やりがいのない日々、圧倒的な格差、そして明るくない未来。
どうせ死ぬなら楽に…という考えが広まっているんだろう。
人権に尊厳死を加えるべき
反出生主義(アンチナタリズム)も拡がりを見せている今、人権の解釈を拡大するときが迫ってきているのではないだろうか。
日本人は実は決まった宗教がなく、死に関して漠然としたイメージしかもっていない。神道以降は外来宗教ばかりで死生観は時代とともにいくつも塗り替えられてきた。
誰もが楽しく生きているわけではない。生きることを強制することで無敵の人を増やすことになりかねない。生きたい人を巻き添えにしてしまう可能性だって否定できないのである。
増えすぎた人類に新しい可能性が必要な時代なのだろう。
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