加熱しすぎたスポーツの勝利至上主義と五輪

こんにちは、のめしこきです。

タイトルの通り、昨年(2021)と今年(2022)は五輪イヤーでしたが、最近のスポーツ界について思うところがあったのキーボードを走らせています。

そもそも現代のスポーツは資本主義社会も相まって大きく二つの役割を担っていると考えます。

五輪は大戦後の各国のマウントの場。

大戦後は欧米はじめ、大国同士の戦争がない時代(代替戦争はあったが、)が続いていますが、その中で、国同士が国力を誇示する場というのは非常に限られています。

そんな中、五輪が次第にその役割を担うようになりました。(元々そのような役割はありましたが、増した感があります。)

IOCという五輪開催のための委員会があるのは皆知っているところですが、政治的プロバガンダを禁止している(憲章で禁止している模様)のですが、今回の北京ではプロバガンダと思わしき場面が多数ありました。

国の潔癖さを披露する場にもなりえる五輪は次第にスポーツを政治と結びつける場となってきました。

巨額な金が動く広告宣伝に

もう一つの役割は”カネ”です。資本主義と結びついた極みですが、とにかくマスメディア報道と絡んで巨額のマネーが動きます。

使用する道具、ゼッケンに絡む広告、そしてCM起用など多岐にわたる広告宣伝費に使用されます。

人気のあるスポーツになればなるほど、広告費は増大し、選手のギャラ、給料も肥大してもてあますほどになります。

日本では特に野球、次いでサッカーが高給取り=広告宣伝費の代表格ですね。

普段あまり考えず見ていますが、プロスポーツだけでなく、アマチュアスポーツにも大きな金が絡みます。

教育の場ですら、部活動の活躍での生徒募集活動を結び付けているぐらいですから。

本来の目的(平和の祭典)から勝利至上主義(政治経済的要素)への転換

勝利至上主義が加速し、人体にを限界まで鍛えて科学的な技術論なども取り入れながら進化してきたスポーツ界ですが、近年は”ズル”するスポーツ選手も増えてきています。

代表的なものはドーピング、つまり薬物による筋力増強や動体視力の向上です。

北京五輪でもロシアのフィギュアスケート選手が検査に引っ掛かり(というか何か月か前の検査だったような?)出場したものの参考記録のような扱いになっていました。

実態はどうにもわからないですが、選手や周りのスタッフなどの人生を大きく影響を及ぼした事件になりました。

また、個人的に野球が好きなのでメジャーリーグの1990年代からのステロイドブームなども印象に残っています。

夢中で見ていたメジャーリーガーたちが薬物で身体能力を極限に高めてプレイしていたのかと思うと、平等とは何かを考えさせられます。

バリー〇ンズなんて、軽く振ってA&Tパークの場外にポンポンホームランを打っていたのを見て、本当にすげーと思っていましたが、ステロイド使用してのものかと残念な気持ちになったのを思い出します。

もう一度、スポーツの原点に立ち返るべき

スポーツで飯を食っていくこと(プロ選手)に関しても少し過剰な報酬は見直すべきなのではないかと思っています。

資本主義というのは規制がないと青天井で報酬が増えていきます。(芸能の世界も同じですが)

何らかしら報酬規制をかけないと、金や名声を得るためにこれからも体を違法改造させたり、とんでもないズルをする選手が増え続けていくと思います。

人間の娯楽の一種であったスポーツに立ち返る必要があるのではないかな、、と最近感じています。

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