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認めないと手を取れない


みなさんこんにちは。境界知能当事者ノミです。

 発達障害や境界知能の女性の方が、より安全な生き方が出来るような情報をお伝えしています。

「自分自身が認めないと、差し伸べられた手を受けとれない状況も存在している」

もし、何かしらの手助けや支援を受けたい時、少しだけこのことを思い出していただけたらと思います。

自分の今の状況を認めること。

例えば、障害受容、虐待・暴力を受けている、自分が今置かれている状況を理解していく、…。

あまりにもショックが大きすぎて打ちのめされてしまうような感じがしたり、チラ見するだけでも卒倒してしまいそうな案件。

それらをいったん認めないと、支援の手や誰かから差し伸べられた手を受けとることは、中々難しいのかもしれないと、私は思います。

例えばなしとして、例を三つ挙げてみますね。



まず一つ目。

友人に、少し夫婦仲がうまくいっていない方がいたとして。

話題は他愛のない世間話から少しプライベートな話題へ。

友人は表面上笑って話を進めますが、話をよくよく聞いてみると、いわゆる暴力、虐待を受けている様子。

あなたがやんわりとそのことについて指摘したとします。

でも…。

「大丈夫。平気平気」

「夫婦ってそういうものでしょ?妥協できるところは譲らなきゃね。」

「少しだけ私が我慢すれば家庭は回るし…」

こう言われてしまったら、あまり積極的にその話については触れられませんよね。


次に、二つ目。

まだまだ気持ちが若いご年配の方の場合はどうでしょうか。

結構な量の荷物を抱えて電車の中へ入ってきたご年配の方。

網棚に荷物を置きつつ、座っているあなたの目の前でつり革をつかんでいます。

なんだか疲れている様子。

どこかへ買い出しに行ったのかな?

あなたの降りる駅はあと数分。

今回の外出で、あなたはそれほど疲れていません。

あなたは立ち上がる姿勢になりつつ、ご年配の方に声をかけてみます。

ですが…。

「私はまだ平気です」

「まだ体力ありますので結構です」

もちろん、ご年配の方にもいろいろバックグラウンドがあるはずです。

でも、お断りされてしまったので、あまりグイグイと席のおすすめはできませんよね。


最後に、三つ目。

発達障害の兆候が見られる家族に対して。

あなたが進学したり、友達の家に行ったり、社会に出て働くうちに。

上手く言えないけれど、なんだか私の家族はなんとなく周りと違う気がする。と、ぼんやり思う時があるかもしれません。

違和感を感じたあなたが本を読んで調べたり学ぶうちに、少しずつハラオチすることもあるでしょう。

そして、いつしかこう思うかもしれません。

「この問題に向き合うことは、世代間で続く言いようのない辛さを解決するきっかけになるかもしれない。」

意を決して家族に話をしてみますが、返ってきた言葉は…。

「親を障害者扱いするのか」

「私は障害者なんかじゃない」

話しは平行線のまま自然消滅。

以降、このような話題はお互い避けると思われます。


三つ例を出してみましたが、こうして見てみると、友人、ご年配の方、家族は、それぞれバックグラウンドはあるにしても、もしかしたら客観的ではないのかもしれません。

本当は誰かに助けを求めたい。
本当は行為を受け取りたい。
本当は、自分自身の特性が苦しい。

もし、心の底でこう思っていたとしても、今持っている小さなプライド(小さくないのは十分に私も分かります)を守りたくて、現在進行形で苦しんでいるのかもしれませんね。

もしかして、見栄っ張りなのかもしれません。

かっこつけたかったり、ええかっこしいしたいのかも。

けれど、そのプライドと辛さを天秤にかけてみて、どちらが重要でしょうか。
(そして、本人が信じている禁止令は、どれだけQOLに貢献するのでしょうか)

ご本人たちも本当は薄々気付いていると思われます。

だからこそ、反発するのでしょうね。

そのような方に対して、時間、体力、労力、お金を無償で提供して向き合い続けてくれる方は、果たして何人いるのでしょうか。
(場合によっては罵詈雑言のおまけつき)

…そして、これが、大なり小なり、私にも、あなたの中にもあるのかもしれませんね。



少し冷静に考えれば、分かりますよね。

自分を幸せにすると誓い、自分の人生をいきていくということの重要性。

少しの間打ちのめされても、適切な支援や手助けがあれば、また歩き出していくことが出来るという事実。

本当は、自走して人生を決めていきたいという想い。

そのために、建設的な行動・コスパを考えた行動の大切さ。

そして、そのどれもが、少しだけ現状を見つめることから始まるということも。

感情も絡んでいるので、いきなりパッと行動を切り替えたり、取り組めるわけではありません。

だからこそ、少しだけ勇気を出して、自分自身の今の状況を認めて助けを求めてみる。

そして、差し出された手を受け取って、人生を安全に変えていく。

一時的な支援の場合は、感謝をしたり、さらなる活動へのお気持ちを渡したりして自分の人生へ帰っていく。

継続的な支援が必要な場合は、ご縁を大切にする。
(自分に合うかどうかが何よりも重要です)


幸せな未来を作るために、まず、すること。

それが、まずは自分が自分自身を認める、ということだと私は思っています。

その時に必要なお供は、勇気と怖いもの見たさかもしれません。

未開の地に突入するのですから、震え上がるのも当然です。

そんなときこそ、周りの手も取りつつ、自分軸で進んでいきましょう。

たとえどんな状況だとしても、一歩を踏み出すあなたは素晴らしいです。

またひとつ、あなたの人生が安全になりますように。

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