星野源「POP VIRUS」をみて感じたきらめきやら何やらについて

ヘイ。マイメン。ヨー。ホー。いまそっちは台風が来ていて、雨がぎゅんぎゅんに降っているかもしれない。
そんな状態なのは知っているが、僕には雨は止められない。風も止められない。川の氾濫も止められない。

できることと言えば、ネットフリックスで見た星野源のPOP VIRUSについて語ることぐらいだ。



まず言わせてくれ。頼む。

最高!

ここ半年くらい、恥ずかしながらお源さんから僕は離れていた。
反省した。深く反省。
僕がまったく別の音楽にうつつを抜かしている間も、お源さんはアゲてたんだな。
そう。この世界を。Dome Tourで何万人ものピープルをキマらしてたんだな。正直最高だった。

最&高!!

ほんと語彙力があれだ。そしてこの2時間半に及ぶ最高のライブの中で、「あ、これって」と僕が初めて感じたことがあった。

僕はドームには言ってない訳だが、ただこの嵐の晩にPOP VIRUSをネトフリでみただけだが、あるひとつの事実に気づいた。
たぶん僕とお源さんは、その瞬間魂の闇の孤独の果てで一瞬だけつながったと思う。

だから今夜は、その頼りないけれども、確かなあの感触について言語化をしたいと思うわけなんだ。


僕が話したいのは「アイデア」についてだ。



みんなこの曲を知っていると思う。もちろん僕もたくさん聞いた。耳にたこができるくらい聞いた。
しかし今日、このPOP VIRUSを聴くまでは、じつはこの曲の意味がほんとにはわかっていなかったと思う。
その話をしたい。

この曲の中で、突然静かになる場所がある。これがとても不思議だとまえから思っていた。突然の静寂。唐突な急ブレーキ。そしてこのライブでも、それは盛り込まれていた。

その時、僕は気づいたよね。あの曲がプチンと途切れたあとに、スタスタと花道を歩いて行って、肩からギターをかけ、そして歌ったとき。僕はようやくこの部分の意味を目の当たりにした。


闇の中から 歌が聞こえた

あなたの胸から

きざむ鼓動は ひとつの音だ

胸に手を置けば

そこで鳴ってる


これをやられたとき、僕は確かに闇の中にいた。そしてその闇の中には源さんがいて、彼はそこで音を聞いていた。
それはとても静かな音だった。とても静かな音だ。とても静かな。それは風の音よりも静かなものだ。

この演出をみたとき、僕は文字通り曲が生まれる一瞬というものに触れていた。それは液晶のこちら側にいる僕の胸で鳴った音楽でもあり、その煙のようなものをつかんでいる感触が僕の右手にもあった。
とても静かな演出だ。唐突すぎる演出。
しかしそれは、ようやく必然として僕の中に落ちてきた。
この暗闇の中で彼は曲を聴いているし、その初めて聞いた瞬間の雰囲気が、この曲の中にあまりに大胆に持ち込まれていたのだ。


画像1

SPICEより引用


源さんの曲は明るい。テンポも速い。しかしほんとに曲が生まれる場所は、このように深い暗闇の底なのだ。
彼はそこに座っていて、そこで耳を澄ませて鼓動を聴いている。
それは自分の鼓動かもしれないし、だれかの鼓動かもしれない。
国の鼓動かもしれないし、地球の鼓動かもしれない。
とにかくそれは鳴っていて、彼はそれを多くの人に持ってきて聞かせてくれているだけなのだ。

僕たちは何を求めてるんだろう。たぶんその答えのひとつが、ひとつになることだ。
あの瞬間僕は確かに源さんと同じ闇のなかにいた。
彼が初めて聞いた音を、僕も聞いていた。
だから極端なことを言えば、彼の明るくてポップな曲もすべて、じつは闇の中に由来する音楽なのだ。

それは彼の闇であるとともに、僕らの闇でもある。
闇は僕らには見えないところで地下水路みたいにつながっていて、それがほんの髪の毛が一本落ちるくらいの時間だけ、完全に偶然に一体化することがある。

僕は彼の音楽でその場所にアクセスした。
つまりそれは、だれしもがアクセスできるということでもある。
それが星野源の音楽だ。

ハッピーだ。そして哀しい。そして楽しい。そして嬉しい。
そこには人生を極彩色で輝かせる光と音のきらめきがある。



ヘッダー写真:PRTIMESから引用

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