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TwoSet Violinから考える、「ない仕事」の作り方

TwoSet Violin。知るひとぞ知るユーチューバーなのですが、多くの方は彼らをご存じないでしょう。それもそのはず。彼らはある特殊な人間たち、人生でバイオリンを長いこと弾いてきた、辛酸を舐めてきたひとたちにしか刺さらないのです。

今回は彼らのすごさを語りたいのですが、その圧倒的なすごさを説明するには、バイオリンという人間を叩きのめす楽器について語らないといけません。

多くの方は、バイオリンを弾く髪の毛さらりんとした細腕の女性を想起して〈あら、ステキね〉などとおもっているかもしれません。

しかしバイオリンをやってきた身としては、このようなイメージはバイオリンという辛酸をまったく代表するものではありません。じつはバイオリンはドMのひとしかうまくなれない、気の遠くなるような楽器なのです。

眩暈

この漢字の当て字として「ばいおりん」と書いてもいいほど、この楽器は難しいのです。

オーケー。
とっても長い話になりそうです。



この演奏でふたりは持ちまえの技術を活かし、かなりいい感じに弾いています。

僕のようなNHK交響楽団を引退した70歳のおじいちゃんに「肘が上がってるね」「手首が落ちてるね」「小指を弓から離しちゃだめだよ。」「肘が糸で天井につながっているイメージだよ」「練習ほんとにしてきたの?」「今週は何も進歩がないね」「楽器がよくないのかな。それともただの練習量不足なのかな?」などと言われてきた身からすると、このふたりはかなりうまくみえます。

しかし。

彼らもオーストラリアという地で、厳しく厳格な(重複表現)ご両親や先生に指導を賜りつづけ、だんだんと冷たい瞳になっていったことでしょう。

弦楽器は1日弾くのをさぼると、取り返すのに3日はかかる

業界ではそんな都市伝説が口頭で伝承されており、いちど楽器を始めるとおいそれとやめられない、地獄への狭き門をイライラしながら歩いている状態になるのです(もちろん楽しいときも多々あります)。


だからTwoSet Violinのモットーは、「Practice(練習)」なのです。師事していたお師匠さんたちに、彼らが言われ続けてきたのでしょう。

しかし哀しいかな(いや哀しくはないです)音楽はつねにどんどん進化しています。われわれバイオリン族が18世紀的苦汁を日々舐めているあいだに、フレットのついたギターがでてきて、その後にエレキ化されて、エフェクターだのなんだのもでてきました。

バイオリン族は左腕をねじりパンみたいにいつも捻っているのに、ギターは自然な腕のかたちでストレスなく弾けちゃう始末です。


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もちろん音が大きく正しく鳴るのもエレキギターで、多くのひとが聴くのもクラシックではなく現代のPOPやROCKやなんかです。

こうなったとき、われわれバイオリン族は世間に背を向けます。ぷいっと冷たい風に背を向け、1965年に録音されたベートーヴェンの田園(Symphony no.6)などを聴き「やれやれ。ほんとの音楽を世間のみんなは知らないんだ。かわいそうにねえ」などとつぶやいて、ひどく狭い方向へ走ってしまうのです。

楽器を辞めたいまならわかります。われわれは自分を守ろうとしていたのだと。


TwoSet のふたりも、ある年齢までは相当尖っていたはずです。ふたりともオーケストラをバックにソリスト(独奏者)として弾けるくらいの手練れ。だから彼らは「おれもコンサートのソリストになってやるからなあ」とギラギラした瞳で、丸の内で革靴をカツカツ鳴らして歩く外資系コンサル的マインドでいたとおもうのです(*偏見)。

だけれども徐々に気づきます。このスミナのような人間をコンクールで目撃し、彼らは喉仏を「(ごくん)」と大きめに上下させたはずなのです。



そうです。若い彼らには受け入れがたい事実ですが、まずこの競争ではスミナのような超常現象、最終兵器彼女にはコンクールでは勝てっこないのです。

彼らは恐らく口をあいて、アホ面でおたがいをみたことでしょう。肩をすくめ「彼女のあとでどんな演奏すりゃいいの?」「(首を横に振る)」なんてことをしていたこと請け合いなのです。


そして彼らは気づきました。この市場(マーケット)で僕らに勝機はない。勝てる場所で闘わないとな、と。

それからのふたりは、ある意味で自分の信念を投げ捨てました。親や先生から教え込まれた既存の価値観を、崖から深い群青色の海に投げ捨てたのです(たぶん)。



このサムネイル画像をみてもわかるように、ふたりは激ムズの楽譜が弾けない自分を、ただただ嘲笑うことにしたのです。

「こんなのできるわけないなりよ〜」
(*なぜかコロ助口調)

世界的演奏家の動画をみつつ、セミプロレベルのふたりも弾いてみる。そして弾けない。肩をすくめる¯\_(ツ)_/¯。そして「PRACTICE」と書いたスタジャンやTシャツの宣伝をする。

これほどまでにマーケット感覚にすぐれたバイオリニストが、果たしていままでいたでしょうか? 

いいえ。この業界では「ほんとにうまいトップ奏者の動画に驚いて大げさなリアクションを取り、自分たちの皮肉的なメッセージを込めたグッズを売る」そんな絶妙のポジショニングをしたのは彼らが初めてなのです。

これが世にいう〈マーケット感覚〉というやつです。



これがもしスミナとの対決に正攻法で闘いを挑みつづけ、毎日ピーナッツ・バターを塗ったサンドイッチを食べながら、ただ練習室にこもる365日を5年続けていたとしたらどうでしょう?

いや反対に言ってしまえば、この地上で弦楽器を演奏してきたひとの多くは、このたったひとつの戦い方(コンクールで勝つ)を目指しつづけた果てに、多くのひとが——数えきれない星々が——無名のまま地平の果てに消えてしまったのです。


そんなTwoSet Violinのフォロワー数は

241万人。

彼らは全世界に点在するバイオリンに辛酸を舐めさせられている少年少女や、かつてそうだった大人たちに、バイオリンを使ってアイロニーに満ちた笑いを届けているわけなのです。すごい。


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このさほどクラシックが聴かれない世界で、はたして彼らほど影響力を持つバイオリニストが世界にいるでしょうか?

じつはもう影響力という意味では、TwoSet Violinはトップの弾き手の何倍もインフルエンス力を持っているのです。


だからもし陸上でいちばんになれなかった方、水泳でいちばんになれなかった方、剣道でいちばんになれなかった方は、彼らのマーケティングを参考にして欲しいなとおもいます。

マーケティングとは  ☞  新しい市場を創り出すこと!

「努力をするのはいいことだ。」「努力をすれば夢は叶う。」「やればできる。」

そんな言葉が、長いことわれわれの思考を停止させてきました。しかし努力しても努力しても、じつは勝てない競争というのはあるのです(いやそんな競争ばかりです)。

だからわれわれがすべきなのは、自分で新しい競争の市場を創り出してしまうことなのです。

TwoSet Violinのふたりも死ぬほど練習してきたことが、その演奏をみるとわかります。小さいころから、春夏秋冬ずっと、毎日毎日楽器ケースを開けて、松脂を弓に塗って、スケールを順番にやって、窓の外で遊んでいる近所の子たちをみていたのです(たぶん)。

だからふたりは人気があります。みんな彼らの努力を、その弓を持つ手のかたちや、ボーイングの軌跡から、静かに感じ取っているからです。


努力はたぶんムダではありません。ただ勝てない場所でずっと同じことをくり返し続けていると、人間はやはりすこしずつ腐ってしまいます。彼らはきっと自分が腐ってしまうまえに、どうにか自分の努力をどこかの位相にずらしたかったのでしょう。

これはまじめな努力家のひとにこそ、学びがある話だとおもいます。毎日同じことの反復ができる能力はすでにあるのですから、今度は自分なりにゲームを構築する能力をのばせばいいのです。

永遠のシルバーコレクター。いや永遠の8番手。全国大会の決勝でいつもビリになっている方に、この記事が届けばいいなとおもいます。



まだ誰もいないところに走って超EASYにやりましょう。なぜならもうすでに、あなたは充分すぎる努力ができているのですから。

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