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「子供はまだ?」がギリギリハラスメントにならない世界


 「子供はまだ?」
 これは2年間のベトナム生活を終えて日本に帰国したあと、何かの拍子にチャットする機会があり、お世話になっていたベトナムの取引先の営業部長から聞かれたことだ。一瞬「うおっ、日本だったらギリギリの発言」という驚きとともにチャット画面を見る。そのあとすぐに彼から胎児のエコー写真が送られてきて「僕は3人目を授かったよ」と幸せいっぱいに教えてくれた。ここまで来ると吹っ切れて、生命の誕生に心からおめでとう!子孫が繁栄するのは素晴らしいことだ!という気持ちが湧いてきて幸せな気持ちになる。こういうことはベトナムでは珍しくない。ハラスメントに対する意識がまだ育っていないという側面もあると思うが、それ以上に「家族が増えるのは喜ばしいこと。家族が仲良しなのが一番大切。」というベトナム風土全体に共通している温かさ・人情味の底力を感じる。私はそんなベトナムが大好きだった。プリミティブに人間らしく素直に生きられるような気がした。
 日本ではあまり気の進まない飲み会や友人からの誘いを「その日は別の予定があって。」と断ることがある。ベトナムではそういう時「việc gia dịnh(=家族のこと)があるので。」という表現が使われる。「家族のこと」の中身までは言う必要はなく、それを聞いた人は「そうか、家族の事情なら仕方ない。家族は一番大事だもんな。うんうん。」と勝手に納得してくれる。それくらい家族が第一優先という価値観はベトナム人に共通する軸になっている。私はベトナムでの2年間を夫を日本に残して生活していた。コロナのパンデミックが最も厳重警戒されていた時期でもあり、1年間夫に会うことはできなかった。日本人の出向者には「仕事にも集中できるし、独りも気楽なものです。」などと言って笑っていたが、ある日突然限界が来た。「次のゴールデンウィークには一時帰国したい。」とベトナム人上司に伝えると、日本では入国後に1週間の隔離が必要な時期だったが上司はすんなり「それはいいアイディアだね!家族が一番大事!ぜひ行ってきなよ。」と言ってくれた。日本では、皆口に出しては言わないが家族よりも仕事を大切にしているような雰囲気を出さないと「責任感がない。やる気がない。」とみられる風潮はまだまだあると思う。新卒で入社以来4年間、みっちりとその雰囲気を仕込まれた私は、自分自身も徐々にそのように思い始めていた。ベトナムでは人々は、「家族の予定」を公然と使い、子供が生まれることを屈託なく喜ぶ。その中に身を置き生活していると「人間らしさ」が人生の中心に戻ってくるのを感じた。温かい湯船につかった時のような、体だけでなく心までほどけていく感覚を味わった。
 ベトナムでは、結婚して子供が生まれても仕事を続ける女性がほとんどだ。専業主婦という概念を聞いたことがない。会社でも部長級のポジションに女性がたくさんいる。歴史上でも有名な女将軍がいる。1世紀頃に中国の支配下で反乱を起こした徴姉妹や3世紀頃に30回に渡り中国軍を撃退したといわれる趙氏貞だ。どちらも象に乗り勇ましく刀を持つ姿が描かれている。ベトナムで働く女性たちは迅速に仕事を進めつつ、付いて来れていない部下には声をかけお世話を厭わない。一見バリキャリ風でも、その実「肝っ玉母ちゃん」な一面を持つことが多い。そのうちの一人に「働きながら子供を育てるのは大変?」と聞いてみたら「考えたらダメだよ。"Just have a baby!"」と力強く言われた。まさに案ずるより産むが易しという感じだ。行動あるのみ。その力強さと潔い明るい感じに非常に感銘を受けて、それが私の人生の1つの指針になった。

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