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だらしなく浮遊する

さいきん、

たまに、

わたし何してんだろう。

って、とても漠然とかんがえてしまうことがある。

最近のわたしは、娘と一緒に過ごすことを省いて書くと、
家事もできるだけできるだけサボって、今日の晩御飯はなににしようーてたまに考えつつ、ギターを弾いてみたり、spoonの配信を聞いてみたり、インスタを見たり、Twitterをみたり、YouTubeやAbemaの動画をみたり、友達とやりはじめたピクミンをしたり。
(すっかりスマホに支配されているね)

仕事をしていたときは、数時間でもこんな風に家でゆっくり過ごせることを熱望していたけど、今それができるわたしには、この時間は何か物足りない。



娘と関わることも、とてもとても愛おしくて、大切な時間だな、と感じつつも、
なんかボーーーーっと、この流れていく時間を無駄にしている気がしてしまう。


整理整頓とか掃除とか昔から苦手だったけど、自分の忙しさのせいだ、と言い訳をつけていたのが、今ほんとよくわかる。
やらないものはやらないんだって。
いくら時間ができたからと言って、苦手が好きにはなかなかならない、
だから、おうちはいつも荒れてるし、物を減らしたい欲望もぜんぜんすすんでいない。

すすんだといえば、キャットウォーク的な棚をやっと設置したのと、
ずっとホットプレートと土鍋が出し入れしにくいところに収納されていたのだけど、
パントリー的な収納の棚を増やして、出し入れしやすい状態にしたこと。

ちーちゃんしか登ってくれません…。
なんで早くしなかったんだろ。


きっとこのままでいると、
わたしはとことんだらしなく
一日を過ごしてしまいそう。


わたしは、服を見ることがすごくすきで、以前は、自分が好きな服を着れていることが、自分をなにより向上させてくれていた気がする。
暇があれば、服を見に行ってとことんぶらぶらして、コレだ!というものをゲットして、おうちでファッションショーして。
そんな時間が楽しいし、ストレス発散にもなっていた。自分がおしゃれなのかは置いておいて。

今は、家族もできたし、働いていないという少しの劣等感と我慢、により、ほとんど服を買うという楽しみを閉じ込めている。
それも仕方のないことだとおもう。
好きなことばっかりはしていられない。


でも、やっぱりたまにはひとりでぶらぶらしたいなぁ。と心の声。

物持ちは良い方で、最近来ている服も、もう何年も着ているものたちばかり。
(財布とかスマホとかも、友達周りから、もう買い換えなよーと言われるひとです、)
前は、かわいい、とか、綺麗、とか、言われるより、おしゃれ、と言われるのが1番うれしい褒め言葉だった。
でもだんだんと年をとって、なかなかかわいいも綺麗も言われなくなりつつあるので、なんでも褒めてもらえるのは、とってもうれしい。
他人の褒め言葉は、最近は結構素直に受け取れる。


こうやって文章を書いている時間も、以前のわたしには持てなかった時間。


自分のことを少しずつ書いていくと、少しだけ自分がわかるようになってきた気がする。
少しだけ。だけど。

以前のわたしは、自分をわかる必要あるのかな、思っていた。
自己肯定感という言葉もできるだけ、使いたくなかったし、今までフワフワっと生きてこれた自分がいるからいいじゃない。て。

今考える時間が増えて、過去のことやいろんなことを思い出して、少し苦しくなったりもするけど、たぶん今はそういう時間なんだな。っておもう。

移ろい行く風景や物事や人との関係性のなかで、
変わらないものもあって、大切なものもあって、できないままの自分もいる。


平凡な日々を望みつつ、たまの刺激を感じたい、とおもうのも本当だし、
それが人間なんだな、っておもう。
生き物なんだな、っておもう。





こんなこと書きつつも、
頭のなかは基本のほほんとしていて、フワフワパッパラパー(?)で、
足の裏とおもちゃの太鼓にクレヨンで落書きして持ってくる娘に、
えーーー!こんなとこに書いちゃったん…!
ま、いっかーーすごいねーー笑。
とか言いながら、今日も小さな幸せ胸に抱いて、

娘とドタバタ買い物にでも行ってこよう。


あちゃーーーー。


明日は、息子の遠足と、娘の幼稚園候補の入園説明会だ!

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