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トイレのドアを眺めながら

 突然だけれど、わたしはトイレという空間が好きだ。そんなことを言うと、人は汚いとか、意味わからないとか言ってくるけれど好きでまたらない。余談だけれど、次に風呂が落ち着く。最近よく読む椎名誠さんのエッセイ『風景進化論』にこんなことが書いてあった。

 みんな黙っているけれど、ひとにはたいてい一つ二つの記憶の中に「懐かしい便所の壁」というものがあるはずだ。

 なるほど。たしかにある。それは、壁ではなくドアだったけれど。そこは男女の違いだろう。男性は壁を見て用を足すが、女性はトイレのドアを見ながら座る。わたしにとって「懐かしい便所の壁」は二つある。

 ひとつは、小学生の頃よく遊んだいた公園のトイレだ。北公園と呼ばれていて、時折不審者が出るとかで小学校の朝礼などで「人のいないときには遊びに行かない。夜は人がいても遊びにいかないように」と、言われていた公園だ。小学生の遊び場としては理想的な公園で、グルグル回るジャングルジムや程よい広さのグラウンド、少し高い山になった場所があり、それをぐるりと囲むように木々が茂っていた。その木の枝に、拾ってきたシーツを結んでハンモックごっこや秘密基地ごっこをよくしたものだ。
 そこには、男女に分かれたトイレがあり、女性の個室は二つ。男性は一度好奇心で入ったところ、小便器が二つか三つ、個室が一つだったように思う。

 ともかくトイレが、汚いとかではなく、荒れたトイレであった。「電話して♡ 055-×××-×××× ひとみ」だとか、「sex したくてたまらないの。日曜の午後にはここにいます」だとか「6年2組の田中は触れただけで人にカビを生やす」、当時読めなかったがおそらく下ネタがかかれているであろう英語的なカリグラフィー、定番の相合い傘など、悪戯書きの宝庫であった。
 その中に混じって、汚いシミやトイレットペーパーのカスなどが所々見受けられた。トイレにお尻がつかないように、空気椅子で座って、用を足していた。

 悪戯書きを読むとドキドキした。なんだかいけないオトナの世界を感じていたからだ。ここに電話するとどうなるのだろう、えす・えっくす・いーってなんだろう、カビを生やすってどうやってやるんだろう、この難しそうな英語の羅列はなんだろう秘密の暗号だろうか……。いつもいつも、トイレに行くたびに思っていた。

遊び友達たちも、北公園のトイレの壁を見ていたはずだが、誰一人として話題にはしなかった。わたしはといえば、話題にしては秘密が漏れてしまうような気がして黙っていたのだ。みんなも同じ気持ちだったのだろう。
 わたしも、オトナの仲間になりたくて一度悪戯書きをしてみたことがある。「好きかもしれない」と、したのだ。当日同じクラスでサッカーがうまくて、背が高かった男の子を想って書いたのだ。鉛筆で書いたそれは、指の腹で擦るとじわじわとした黒い影のようになった。「かもしれない」としたのは、断定するには恥ずかしかったからだ。

 それから、たまらなくなって指の腹でゴシゴシ擦った。文字は見えなくなってトイレのドアに黒い染みが広がって、なんとも言えない気分。すぐに個室を出たが、黒い染みのことがその日寝るまで頭から離れなかった。好きがバレたらどうしよう。
 この間、偶然に北公園前を車で通り過ぎ、不思議な気持ちになった。まだ、あの染みはあそこにあるのだろうか。やはり、他の悪戯書きに上書きされてしまっているのだろうか。
 気になるけれど、見に行かない方が面白い気がする。

 二つ目のトイレの話は、またいつかしようと思う。

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