エマノン

HSS型HSPのアレコレや、過去のやらかしを整理して、生きるために言語化します。

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最近の記事

パチ屋の人間交差点

それまでも、それ以降も、パチンコやスロットをしたことはない。時給がいいから、という理由だけで始めたバイトだった。 そこにはホスト崩れや、元キャバ嬢、高校卒業後ずっとこのバイトで食い繋いでるフリーター、夜間学校に通う学生など、色んな人がいた。 「目押しを教えてあげるよ」と、プレステのスロットゲームとコンビニ飯と共に閉店後の深夜に店長が家にやってきたことがある。 当時警戒心のカケラもなかった私は、店長が純粋に目押しを教えてくれるためだけに来たものだと思い込んでいた。今もそう思

    • 路地裏スナックでママのお手伝いをしていた頃 Ep.2

      常連のゲンさんのボトルは鳥飼という焼酎だった。 飲み方はワンフィンガー、薄めの水割。 強面の60代後半、偏屈で、会社に居たら多分苦手なタイプ。 ゲンさんは若い女より40代以上が良いらしく、私がカウンターにつくといつも少し嫌な顔をした。 今思えば、若い女なんて気を使うし、下手したら機嫌を取ってあげなきゃいけないから、面倒ってのもあったかもしれない。 私ももし同じ立場だったら、若くて生きの良いだけが取り柄の、承認欲求お高め男子よりも、こなれた包容力のある落ち着いた人に接客して

      • 路地裏スナックでママのお手伝いをしていた頃 Ep.1

        そこは横浜の外れ、日雇労働者の溜まり場、地名がバレるとちょっと恥ずかしい、そんなイメージの街の、路地裏横丁にあるスナックだった。 あの頃の私は生きるため、ヒモ彼に食べさせるため、そして学業を継続させるためのお金が欲しくて、色んなバイトをしていた。 単発で怪しい割りの良いバイトも時々したけど、それなりにリスクもあったし、一定収入を効率よく稼ぐには夜職が一番だった。 駅裏のパチ屋で夕方まで働いた後に、そこから徒歩数分のところにあるスナックで深夜まで働く。それが私の日常だった

        • 住み込みバイトを脱走した時の話vol.2

          その日はカラッとよく晴れていた。夏の北海道の空気は湿度も低く心地よかった。 札幌からその僻地へはバスで2時間以上。友達からもらったおにぎりはもう無くなっていた。 カメラマンとの待ち合わせ場所で待つこと10分ほど、オンボロの軽自動車で彼は現れた。 現れたけれど… 会って即「なんかヤバい」と感じる人ってそんなに居ないんじゃないだろうか。彼はそのヤバい人だった。 まずヤバいと感じたのは、その出立ちだった。 服装は白いTシャツにデニムだったのだが、そのTシャツは何千回洗えばそ

        パチ屋の人間交差点

          住み込みバイトを脱走した時の話vol.1

          19の夏に、北海道のとある僻地に住むカメラマンの家で、住み込みバイトをした。と言っても、そこはほんの3日で脱走し、その後旭川で高校の頃チャットで知り合った人の世話になり、すすきので見知らぬ酔っ払いの家に転がり込んだ末やんわり軟禁され、小樽ではあわや宿なしかと思われたが逆に30畳くらいの宴会場で一晩を過ごすも軽いトラブルに遭遇するなどし、さらに帰路のフェリーで津軽海峡へ向かう最中に至っては性的アクシデントに見舞われそうになりつつも、最終的に元彼の友達とベトナムで夏休みを過ごすこ

          住み込みバイトを脱走した時の話vol.1

          集団にいるのがつらくて飲み会を早めに抜け出したけどまだ帰りたくなくて、どこか探す。行きつけの店で誰かに出くわしても気まずいし、一駅歩いて適当な店でレモンサワーを飲んだ。HSS型は優しきサイコパスって言うけど、確かにそうかも。普通を装うので精一杯。

          集団にいるのがつらくて飲み会を早めに抜け出したけどまだ帰りたくなくて、どこか探す。行きつけの店で誰かに出くわしても気まずいし、一駅歩いて適当な店でレモンサワーを飲んだ。HSS型は優しきサイコパスって言うけど、確かにそうかも。普通を装うので精一杯。

          今のチームの飲み会、最後まで居たこと1回もないかも。

          今のチームの飲み会、最後まで居たこと1回もないかも。

          新宿のハプバーで我に返る

          以前の職場で、ハプバーにどハマりしていた同僚がいた。ハプバーと聞くと怪しくて危ない所なのかなと想像してしまうが、身分証明書の提示が必須で、女性は無料で飲めて、紳士的な人が多く、意外と怖くない場所らしいとの話を聞いて、好奇心旺盛だった20代の私は友人と連れ立って行ってみることにした。 そこには多分「セックスで何かを埋めたい、けど自分から積極的に致す勇気はない、ただここに来れば誰かが相手をしてくれるかもしれないから、とりあえず来た」みたいな人たちが沢山いた。 つまり一言で言うと

          新宿のハプバーで我に返る

          サノさん

          昔から仕事あるいは何かしら自分の夢に熱心で、でもなんとなく寂しそうな人に惹かれる。 サノさんはゲストハウスにいる時間がイコール睡眠時間くらいのレアキャラで、銀座や六本木、西麻布にある高級飲食店のバイトを3つ掛け持ちし、海外で店を開くために修行中の人だった。 中国から家族を養うために東京で風俗嬢をしていた女の子とお店で知り合い、一緒にビジネスを立ち上げるために、それまで働いていた会社を辞め、飲食の世界に飛び込んだのだという。 私がゲストハウスに入居して数週間目の朝、彼が始発で

          行きたいとこメモ 五島列島と、しまなみ海道のサイクリングロード

          行きたいとこメモ 五島列島と、しまなみ海道のサイクリングロード

          携帯でほとんど連絡が取れない、メールもLINEも勿論無理、電車なんてもってのほかな父親が思いつきで突然上京し、高級料理を食べて帰って行った。GPSも持たない彼を都会で捕まえるのは徘徊老人を見つけるより困難。でも生きてるうちあと数える程度かもと思うと仕方ない気もする。

          携帯でほとんど連絡が取れない、メールもLINEも勿論無理、電車なんてもってのほかな父親が思いつきで突然上京し、高級料理を食べて帰って行った。GPSも持たない彼を都会で捕まえるのは徘徊老人を見つけるより困難。でも生きてるうちあと数える程度かもと思うと仕方ない気もする。

          地味にショックなことがあったんだけど、そもそも人に興味ない奴が何ショック受けてんだ?って自問自答してたら解決した。でもそれと同時に自分は寂しい人間なんだなって、ヘコんだ。もし自分がこの歳まで独身という世界線が存在していたら生きる意味が見出せずに無気力の果てに死んでるか出家してた。

          地味にショックなことがあったんだけど、そもそも人に興味ない奴が何ショック受けてんだ?って自問自答してたら解決した。でもそれと同時に自分は寂しい人間なんだなって、ヘコんだ。もし自分がこの歳まで独身という世界線が存在していたら生きる意味が見出せずに無気力の果てに死んでるか出家してた。

          去年から続いていた苦痛

          何かが解決したわけではないけど、やっとまともな精神状態になってきたという自覚がある。 1年前インドに行き、お寺で断食リセットしても仕切れなかった負の感情に加え、去年末に起きた未だ消化不良の出来事と、立て続けに起きた家庭の問題。どれも解決はしていない。でも「私は」まともになってきた。 しんどくなった時はフィジカルからの立て直しと、とってつけた心理学的要素を少しずつ足していくのがいい。それがこの1週間くらいでやっとできるようになってきた感じ。 まあ、本当にしんどいときそんな余

          去年から続いていた苦痛

          野球拳をする、地蔵にコートを着せて帰る、会社でもらった表彰状をハチ公に供えて帰る、道路の側溝にフィットして寝る、駐車場の枕木を枕にする、ゴミ捨て場をベッドだと思う、トラックの荷台で運ばれる、真冬の明け方の新宿を破れたチャイナドレスで彷徨う。自分の中に魔物が棲んでるのかもしれない。

          野球拳をする、地蔵にコートを着せて帰る、会社でもらった表彰状をハチ公に供えて帰る、道路の側溝にフィットして寝る、駐車場の枕木を枕にする、ゴミ捨て場をベッドだと思う、トラックの荷台で運ばれる、真冬の明け方の新宿を破れたチャイナドレスで彷徨う。自分の中に魔物が棲んでるのかもしれない。

          会者定離、サヨナラだけが人生ですね

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          アドラー、課題の分離

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