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2023年

2023年は、何かやりきったな、こんな年だったな、と思うことのできない年だった。でも、新しい年を迎えるにあたり振り返ってみる。

2022年、年の瀬にメンタル的な限界を迎えそうになっていた私は、年明けに長期休暇の申請をした。何をするか決めずにとりあえずぼーっと過ごそうと思ったが、しがらみのない一人になれる場所に行きたくて、お寺での断食とインド行きを決めた。

そう決めたのは12月の半ばで、ビザの申請やら何やらを考えると結構ギリギリだった気がする。普段めちゃくちゃ腰が重いのに、昔から思いついたらすぐ行動に出るところがあるので、自分の中に別の自分を飼っている感覚がある。(ビザ、うまく取得できてなかったけど)

そんなこんなで、2023年はインドから始まった

コロナの影響もあって久しぶりの海外旅行、しかも一人旅で初日からトラブル続きだった。
携帯通じるからってWi-Fi持って行かなかったのが道中のすべてにおいて痛手だったし、クレジットカードの暗証番号忘れてるし(機械も相性悪いの多くてお金下ろせないピンチ)、ていうかビザ取得できてないし、できてないのに入国はできたし。感電してベッドに吹き飛ばされて1分位(多分)気絶するし。これが全部初日で起きてるんだからとんでもない。

ベッドの中で、1日で起きたことの色々に圧倒されて、次の日国内線でバラナシに行かないといけないのに、そんな大冒険自分にできるのかめっちゃ不安になっていた。最初「来なきゃ良かった」ってこの日の日記には書いてある。けど、その後なんか面白くなってテンションが上がったようだった。昔から一人でどうしようもない局面に立つと面白くなる性格のようだ。40過ぎてからこんなに刺激を味わえるなんて、思ってもみなかったな。

バラナシではおそらくレイプドラッグ的なものを盛られ、猿に土産は盗まれ、おかしなチリ人にしつこくナンパされ、ドライヤーは発火し、18歳の男の子に後日インスタのDMで求婚されるなど、ぼーっとしてても何かしらのハプニングが続いたが(そもそもぼーっとしてちゃいけない国だった)旅が終わる頃にはすっかり水を得た魚のように、エネルギーを取り戻していた。
インドから帰国した時の日記に「自分を取り戻した」と書いてある。

帰国してすぐ、今度は静岡のお寺で断食修行へ

そこは佐鳴湖のほとりに立つ立派なお寺だった。2日前までのインドの喧騒からの急な静寂でだいぶ戸惑った。でもここでは坐禅の良さに目覚めたんだった。(今は全然やってないけど)湖が独り占めできる部屋で、早起きはしんどいけど施設の設備は快適、和尚さん面白いし、シンプルな環境で心も体も整っていくのがわかった。インドでのカオスをお寺で消化して、全部丸くおさまった感じがした。またここも、インドほどではないにしろ、なかなか面白い人たちが集まっていたっけな。それぞれ自分の時間を大事にしたくて訪れてるので、あまり深いコミュニケーションは取らなかったものの、こういう所には変な人が集まる説は私の中で確信がある。また、坐禅は半眼で行うことから涙が浮かび、涙を通した世界は歪んだレンズみたいだから不思議にうつってトリップ感があるのかな、とも思っている。

そして現実に戻る

久しぶりの出社は緊張したけど、リモートな人々も結構いて、復帰するにはちょうど良かった。結構しっかりリフレッシュしたから、しばらくは業務が楽しかった。

でも、気持ちの奥に落としていた影が消えてなくなったわけじゃないことがわかってきて、3月には退職意思を固めていた。これだけ羽を伸ばしても、結局私はダメなんだなって思って、本気で離れる決心をした矢先の「それでもここに居ないと」ってことが重なって、心の震度はMAXだった。半分以上ヤケになって毎日飲み歩いて、お金がどんどん無くなった。6月くらいまでは結構頑張ってみたけど、途中から関わってたプロジェクトもお金がかけられなくなって、なんかもうこの辺りからあんまり記憶がない。

夏頃は社内ニート。チームはどんどん人が減り、予算の都合で何もできないし、次の部署もなかなか決まらず、惰性で生きてる自覚があって、自分のことが嫌いになった。その状況がしばらく続き、ようやく新しいプロジェクトにアサインされたものの、今度はいまいちエンジンがかからない。ずっと、かかってるフリだけしていた。そして気がついたら年の瀬を迎えてしまっていた。

なんだか、うまく切り替わらず2022年あたりから地続きで生きている気がする。そもそも同じ会社に10年以上居ること自体飽き飽きしてしまってて、何にも気持ちが動かない。人に興味があるフリをして、実は全くと言って良いほど無関心だ。しかも、この2年くらいで、苦手な人が増えてしまった。元々苦手だった人に関しては塵も積もって顔さえ見たくない。こうなってくると、もう居る意味がない。かといってすぐに辞めるわけにいかないのだけど、じゃあまた惰性で生きていくのかと思うとそれもうんざりなんだよな。でもうんざりしながらも日々は続いていく。

綺麗事でうまく次へ次へと進められればそれに越したことはないけど「まあそんな時期もあるんだろう」というのが2023年の振り返りということになる。

まとめ

せっかく振り返る余裕があるほど長い休みなんだから、どこか行けば良かったと思うけど、結局どこへも行かなかった。

元旦の地震の影響で、帰省していた実家から羽田へ帰る午前の便が欠航し、予約していた午後の便は飛んだものの、家路に着いたら今度はさっきまで居た羽田が燃えていた。どうもギリギリの便で帰れたらしい。それで、出鼻を挫かれた感もあり、あっちこっちに動くことをやめて、なんとなく家で断食している。

どこに行くかで迷った候補地は、インドと大斎原だったけど、インドに2年連続で行ってしまったら「最後のカードを連続で切る」感じがしたし、大斎原はまだその時じゃない感じもした。

大斎原には多分、いつか行かないといけない気はする。10代20代の頃、何度かお世話になった「前世を見れる人」的な人に、私はそこにルーツがあると指摘されたことがあった。その他ルーツがあるとされた修行僧、お遍路、ベトナムに関しては心当たりもあって、まあそういう感じかなと納得もしていた。スピリチュアル系のことを信じてるわけじゃないけど、科学的なことばかりでこの世が形成されてるわけじゃない気はしている。

お遍路に出た時もそうだったけど、「今がそのタイミングですよ」って自分の中の別の感覚が私を動かしてくる。だからいざ行くとなった時って「行きたいわけじゃなくて、行かないといけなくなっちゃったんだよな」ってどっかで思っている。

それから、わりと刺激を求めるタイプなんだなということもわかってきた。ただ、40日間断食とか、お遍路とか、インド(何回も)とか、わりと思いつく感じのハード目なことをもうしてしまったので、社会人と並行しながらできるような、かつ納得のいきそうな、これまでよりも強い刺激が思いつかない。日常ではアングラ系のものにしか琴線に触れないし、はっと目が覚めるようなことでもない限り、おそらく去年と同じように過ごすのではないだろうか。


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