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「思い切って跳んでみると楽しいよ」

私が働くイタリアンレストランのディナーの時間は、シェフ一人、ホール一人の体制なので、普段、他のバイト仲間と顔を合わせることはない。

だが、宴会で複数のホール担当が必要な時や客として店に食べに行く時、バイト同士で会話して仲良くなるものだ。

私とほぼ同時期に働き始めた大学生、コイズミ君ともそうやって親しくなった。

そして、本業でもそうだが、年齢を重ねていつのまにか頭が硬くなっている私は、自分の子どもであってもおかしくない年齢の若者から与えられることも多い。

「はい!作ります!」

最初の顔合わせは私がホールに入っていた8月下旬の暇な夜に、シェフが「今日はこれからコイズミの歓迎会をやるぞ」と言い出して実現した。新しく入ったばかりの大学4年生で、就職も決まり、必要な単位も揃ったので、卒業まで働くのだという。

この日は気前のいい常連さんのサタデー田中さんがいて、私の時と同様、常連さんを巻き込んでバイトスタッフの歓迎会を開こうという作戦だ。

コイズミ君は一足先に社会人になった年上の綺麗な彼女、ハルちゃんを連れてきた。「はい!」「はい!」という返事も気持ちの良い、身長184センチの爽やかなイケメン男子だ。

シェフは私が新潟旅行でお土産として買ってきたラディッシュやナスで簡単なおつまみを作り始めた。

確かこの時だったと思うのだが、「コイズミ、お前が作るか?」とシェフが無茶ぶりをすると、コイズミ君は「はい!作ります!」と元気よく答えた。毎日、家でご飯を作っている私もプロのシェフの前で調理をするのは気が引けてしまうのに大したものだ。

「コイズミ君、料理できるの?」と聞くと、「ほとんど作ったことありません!」とまた元気よく答える。大学で野球部に所属しており、なるほど、さすが体育会系だとある意味、感心してしまった。

しかし実際に包丁を持つとそばで見ていて怖くなるような手つき。シェフは苦笑しながら交代し、手際よくささっと豚肉と茄子の炒め物やラディッシュのマリネを作ってくれた。

そんな素直なコイズミ君はあっという間にお店に馴染み、仕事にもぐんぐん慣れて平日ランチとディナーもこなすホールの主力選手となった。ハルちゃんもよくお店に食べに来てくれて、今ではカップルで店のファミリーの一員となっている。

シェフもコイズミ君がお気に入りで、一緒にバッティングセンターに行ったり、飲みに行ったりと可愛くて仕方ないようだ。

「一緒に跳んでみると楽しいですよ」

そんなコイズミ君と一緒に宴会の接客に入ったある日のことだ。

実はうちの店にはある「儀式」がある。

忙しくなってくると、シェフはパスタを盛るトングや、パスタを茹でる時のタイマーのプッシュ音で、スーパーマリオブラザーズの音楽の出だしの「チャチャッチャッ、チャチャッチャ!」というリズムを刻む。

そこでスタッフがみんなで一斉にジャンプする、という、なんとも子供っぽい遊びなのだが、私がいつも跳ばないので、シェフは「なんで跳ばないんだよー!」とよく文句を言っていた。

「なんで忙しくなるほど、これやるんですか?」と聞くと、「忙しくなってくると楽しいじゃん」と言う。

その日も宴会のドリンク出しで忙しさが最高潮になっていた時に、シェフがあのリズムを刻み、コイズミ君が笑ってジャンプした。

それを見て笑う私に、シェフはまた「なんで跳ばないんだよ」と言う。「大人ですから」と答えると、コイズミ君がニコニコしながらこう言った。

「でも岩永さん、思い切って一緒に跳んでみると楽しいですよ」

なんでだろう。それまで頑なに跳べ跳べと言われるのを受け流してきた私が、なんとなくその言葉に素直に「そうなの?」と答えてしまった。「そうだよ。一緒に跳ぶと楽しいんだよ」とシェフも言う。

すかさずシェフがリズムを刻んだので、私も思い切って跳んでみた。着地すると、みんなで目を合わせて爆笑する。なんだ、本当に楽しいじゃないか。

それ以来、私も厨房からあのリズムが聞こえると、体が自然に反応するようになってしまった。その度にシェフと目を合わせて笑う。たわいもないことなのだが、疲れてギスギスしそうな時も、一緒に笑い、一体感を楽しむことで店の雰囲気が良くなるのだ。

若い頃から協調性がなく、チームワークが苦手な私は、これまでこうした体育会系の「チーム意識」や「一体感」のようなものを斜にみるようなところがあった。だからほとんど一人で仕事が完結する記者が性に合っていたのかもしれない。

でも、チームで心を合わせるのもまた別の喜びがある。きっとシェフはそこまで深くは考えずに楽しんでいるのだと思うが、コイズミ君の素直力のおかげで、私は自分の殻を一つ破れた気がした。

本業でも感じる若い力

若い人の力は本業の方でも感じている。

私は2017年、43歳の時におじさん企業の読売新聞から20代、30代が主力のインターネットメディア「バズフィード」に転職し、カルチャーショックを受けた。

いわば、「タテ社会の人間関係」から、年齢や年次は関係なくフラットなコミュニケーションを取る文化への大移動だ。

会議でもSlackなどのコミュニケーションツールでのやり取りでも、若手が臆さず発言し、それが良いものであればどんどん取り入れる。

常に上司や先輩の顔色を伺って行動する「たたずまい」が厳しく言われてきた読売新聞とはまったく違う。その風通しの良さに最初は驚き、戸惑いもした。

実際、20代、30代の読者が多いバズフィードでは、デジタルネイティブの若者の意見を取り入れた方が良い結果が生まれることが多い。見出しの付け方や企画のアイディアなど、私の硬い頭では思いつかないものをもたらしてくれて、刺激を受ける。

もちろん、私からも報道や医療取材を長くやってきた経験から若い人に伝えられることはたくさんある。年齢は関係なく、強みを与え合える環境があることは、誰にとってもプラスに働くことを本業でも実感してきた。

飛び立っていった千葉君

大学生の時にバズフィードにインターンで入ってきた千葉雄登君は、卒業後、そのまま入社し、医療記事をよく書いてくれた若者だ。

当初は私の医療記者としての人脈を与え、医療記事を書く時に気をつけるべきことを指導していた。

でも、そのうち、自分で取材先を開拓し、独自の視点から驚くような記事を書く記者に育っていった。時には私の意見にも食ってかかり、自分の信念を通そうとする姿に頼もしさも感じるようになっていた。コロナ禍の報道でもどれだけ助けられたかわからない。

呑むのが好きな千葉君は「一緒に呑みたいです」とよく自分から声をかけてくれて、私の行きつけの店でサシで呑んではよく語り合ってきた。

私の行きつけの居酒屋全てに連れていった

働くということは、業務をこなすだけではなく、自分の生きる姿勢や志を世の中に示す側面もある。そんな自分の仕事の奥底にある大事なものを少しでも受け継いでもらえる、分かち合える若者がいることがとても嬉しかった。

だから、そんな千葉君が2022年に他の医療メディアに転職することを伝えてきた時は、ショックだった。一方で医療記者として取材の幅を広げたいと話す彼が、飛び立っていくのを応援する気持ちも強かった。

今、全国を出張で飛び回り、バズフィードでは手をつけられなかった分野を取材している彼の姿を遠くから眩しく見つめている。

そんな彼が近く、パートナーを連れてうちの店に食べにきてくれる。人生の節目に私も少しだけ関わらせてもらえるようだ。一度、心の底から真剣に関わったつながりは、距離が離れたからといって途切れるわけではないのだろう。

見送る人の思い

コイズミ君の話に戻ろう。

この3月で卒業して、メーカーの営業職として就職するため、うちの店から離れることになる。きっと新しい職場でもよく働き、活躍する人になると思うが、私は寂しくてつい「入ってみてブラック企業だったら戻ってきてね」とつまらない冗談を言ってしまう。

「こんな良い店だと知っていたら、もっと早くから働きたかった」「就職しても、絶対に客として食べにきますよ」とコイズミ君は言う。ハルちゃんもお店が好きになり過ぎて、近所に引っ越してくることを考えているそうだ。

主力のバイトが辞めることはもちろん業務上も打撃なのだが、それ以上にコイズミくんがいなくなることにシェフは寂しそうだ。

考えてみれば、シェフは店を経営してきたこの10年、ずっとそうやって一緒に働いてきた若者たちを見送ってきたのだろう。

「仕事を教え込んで、心も通わせた若者たちがいつか去っていくのは寂しいことですよね」と聞いてみると、シェフはこう言った。

「それは仕方ないことだよ。でもここで何か一つでもこれからの自分のためになることを身につけてくれたら嬉しいよ」


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