21歳、女の子から女性に。

こんにちは、のんです。

現在21歳、大学(哲学科)を休学してセブ島にマーケティングを勉強しにインターンにきたものの、2019~2020の年末年始にふとYouTubeを始めちゃったりした。常に自己内省と自己嫌悪の狭間で少し病んでいたりする。

私は3ヶ月前くらいにハタチを終えて、21歳になった。

もちろん、幼い頃に描いた21歳の私とのギャップなんて埋める気なんてさらさらあるはずもなく。それにしても21歳を迎えてからというものさらに考えることは増え、自分が思う女性像や将来に対しての不安、自信の無さが付き纏う。

今回はそんな21歳、日々モヤモヤと共に生きるモラトリアムな私と私の哲学をリアルにお届けしたい。ちなみに哲学のソースは非常に主観的なものであるので批判などせず暖かい目で子供が大人になるところを見守っていてください。

21歳の焦り

このnoteを書こうとした理由でもある、感受性の変化を感じたことについて。

去年の9月末、私は今まで身を置き続けていた実家から初めて出た。そしてセブに来た。初めての共同生活、初めての海外長期滞在、初めての”社会”、初めての”仕事”。正直5ヶ月経った今でも責任や期待なんて到底背負える力はないが、こっちに来た当時は全てに期待と不安を込めて、半年後の自分に過剰に期待していた。

実際は毎日が精一杯で、たくさんの大人と話をして、刺激を受けて焦って、焦って、焦りまくっているのだ。その根底には自分の力不足がある。

私には経験も知識も実力もゼロベースな上に、ひねくれているが故に真面目さや真摯さも微妙に欠けてしまっている。足りていないところばかりに目がいってしまう。そしてそれは以前(この環境に飛び込む前)より顕著になった気がする、それはおそらく自分が持ち合わせていないものを培ってきた、リスペクトする人が増えてきたためで。

この環境に感謝すると共に、まだまだ子供な自分を成長させなくては、と焦り、向上心を持つようになった。今までも向上心はあったが、そこに具体的なフィールドやベクトルは無く、目の前のものにまっしぐらなタイプだった。でも今は、先を見据えて行動しなければいけない。

他にも焦る要因は腐る程ある。世の中は私を煽るためにあるのではないかと一晩は病める。

例えば、Twitterで見るいかにもすごい人たち。

同じフィールドで考えるなんておこがましいとも思うけれど、彼ら彼女らも同じ人間で、私が大好きなNONSTYLEの動画を300回くらい再生してたあの時間にも鬼のように行動してきたのだろう、と。中には同い年、年下の方でさえ、止まらない活躍を見せている方もたくさんいらっしゃる。尊敬。

そしてもう一つの焦り要因は、周りからの嬉しい期待である。

私が大好きだったり大尊敬する人たちとも、ありがたいことにいろんな話をさせていただいたりしてきた。私にとって本当にかけがえのない時間である。

その方々からたまに、いや、よく、

「大学生で海外出て本当にすごいよ」

「熱量がいい」「優秀だと思う」

極めつけはこちら

「数年後が楽しみ、どうなってるか」

とんでも無く嬉しく、そして恐ろしい言葉である。

私は私だけでなく、私に期待をかけてくれた全ての大好きな方々に恥じないように成長していきたいのである、そしてそれはとても重要なミッションであり大きな緊張感が人生に付き纏うことになった次第である。そりゃ焦る。

21歳の人間不信

さて、焦りすぎの話は程々にして。

人間不信、ずるくて残酷なワードである。私が人間不信かどうかというのはこの際どうでもよく。

21歳になって最初に学んだ人生の教訓。

「相手を信用はするけど期待はしない」

それはそう、と思う方もたくさんいると思うが、実際に人間関係でモヤっていた私にとっては言語化して自分の中に落とし込むことで非常に意味のある言葉となった。

いくら私が愛を持ってgiveしたところで、相手にも同等の見返りを求めるのは(時と場合によるが)お門違いだと思った方が良い、逆にそういう人間に出逢えたら至上の幸せに感じることができるようになった。ちなみにこの思考を持たないでいたらどうなるか。メンヘラ予備軍の完成である。

言うまでもないが、この場合の”期待”は一つ前で書いた”嬉しい期待の言葉”とは全くの別の意味であり、相手に自分の思考や欲求を表面化で押しつけ流ようなことに他ならないと定義づけたい。異論は認める。

21歳の恋愛観

最近は、ふふ、大人の恋愛について悟ってきた、ふふふ

まあ実際に大人の恋愛をしているわけではないのでこの発言は聞き苦しい上に心苦しくもあるが、脳内では大人の恋愛思考になってきたのではないか、と思われる。これは往年(でもない)の友人まなちゃんと5時間電話をした結論なので確実性は高い。

例えば

何を幸せと思うか。

何を失いたくないか。

どんな時間やどんな関係性、思考をつくりたいか。

そういうことを考えるようになった。恋愛なんて理論じゃない!という気持ちも分かる。だから好意を抱くのに理屈などもちろん不要だと思っている。だが惹かれる上で自分が何を求めて、何を相手に見出して、というのはこんな考えに紐づいてくるようになった気がする。

何を大事にするか、というのは、お互いを尊重し合って関係を作る上で非常に大事なことになる、らしい。大事にするものが同じ人と一緒にいたい、はい。

そして一番最後の「どんな関係性つくりたいか」

これは友人まなちゃんと電話していてお互い驚いたのだが、一年前ではありえない発想、概念であった。

20歳を越えれば大抵の人はもう価値観や人間性を変えることはできない、それが例え好きな人のためであってもだ。

そんな中で、価値観のズレやベクトルの違いに対してどう向き合うか、相手もそうして歩み寄ってくれるのか。こうやって関係性を築き上げていかなければならない(ようだと感じただけで実際にしてないの非常に虚しい)。はたまた、歩み寄るほどの相手ではなかったという場合もありうる。

ここで何が言いたいかというと、私は思考だけちょっぴり大人になり、これからいろいろな感情を抱えるだろう覚悟をしているマセガキということだ。出会いきたれ、ファイティンッ!!!!!!!!!!!!


<人間は属性の束?relation って掛け算?>

人間において、

「何がその人をその人たらしめるのだろうか。」

これについては別でnoteを書いている。正直こんな日記より遥かに思考深く面白いので、このnoteをここまで読むことができたあなたならぜひ楽しく読んでいただけるだろう。 ↓↓↓↓

21歳、これからの女性像

どんな女性になっていきたいか、って最近はずっと考えている。

21歳の私は正直まだ子供だ、いくら大人ぶってお酒を飲んでも、タバコを吸っても、一人で海外に行っても、哲学をしても、子供なのだ。

17歳の時くらいだろうか、自我が芽生えた頃、「大人が嫌い」「大人になりたくない」とばかり言っていた。私は紛れもなく大人という立場の人間を毛嫌いしていた。あの頃に出会う大人なんてたかが知れていた、家族、教師、塾講師、電車の中で足を広げ怒鳴るおじさん、そんなものだ。きっとたまたま私が出会う大人の中に私が尊敬できる大人がいなかった、ただそれだけだ。

しかし私の狭い世界の中で、彼ら=大人=嫌いが絶対だったのだ。

それが変わったのは本当に最近だ、セブ島に来て、社会というフィールドで戦う尊敬する大人に出会って、初めて私もこうやって歳をとってこうやって大人になりたいと思った。

だがやはりまだ私は子供なのである、大学も卒業していないままだし、守るべきものもない。何より力不足。

悔しいことに尊敬する人にもまだお前は子供だと言われた。憧れの人に何気なく言われたこの言葉はしつこいほどに私に残っている、そして私を燃やそうともしている。あれから何度Google先生に「大人 女性 なり方」「素敵な女性 定義」と問いかけただろうか…。

落ち着きのある仕草、目配せの方法、髪の毛の艶、、、

そんなものじゃない、私が知りたいのは、私が欲しいのは。

そこで私を子供だと言った大人に聞いてみた、何が大人の女性なの?と。

「色気」と彼は言っていた、ような気がする。

そこで色気について少し調べた。

教養、思慮深さ、余裕、熱

これらを持ち合わせたらきっと色気を感じさせる女性に、仕草や紡ぐ言葉に至るまで変化していくのだろう。

こうして今の私がもつ素敵な女性像というのはここに至る。

私は非常に甘えるのが得意、らしい。ゴロゴロとすり寄っていく猫だか犬だかと言われたことが過去に四度ある。

そして変顔で人を笑わせることも大好きだ。ガリ勉で偏差値が70あった時でも人に「面白い」「アホっぽい」と言われることが喜びであったし、今でも変わらない。

最近は年上の大人の方々に飲みに連れて行っていただくことが少しだけ増えた。

「のんちゃん面白いよ!!!最高!!」

って言ってもらえたことがなんと嬉しかったことか。私の中にあるお笑い魂のようなものが燃え上がっていた。

教養ベースの”色気”と”甘え上手”と”面白さ”は共存しないのではないかと思ったりもした、それでも私は敷かれた概念の上だけで生きていたくはない、反骨精神上等なので

アホみたいに面白くて知的で愛らしく深淵を持つような女性になりたい。

私がこんな女性になりたいというロールモデルの方もいる。だけど私はどう頑張ってもその人にはなりきれない。私は私にしかなれないのだ。その私がどうあるかは自分次第だし、他の誰にも真似はできない。そしてそんな自分を愛してくれる人が増えるように、もちろん全員じゃなくていいのだ、だけど素敵だなと思ってもらえるような自分になりたい。


終わり、読んでくれた方へ、ありがとうございました

本当は自分の最近の哲学や思想をもっと深く書きたかったのだけど、いつもいつも私は思いつきでアウトラインすら用意せずに文章を書き始めて眠くなって閉じてしまうものだからなかなか迫りきれない。

この文章は特に伝えたいことも意味もない、けれど21歳の私が必死に生きている、考えているリアルを少しでも残しておきたいという思いだけがある。

まだまだ知らないことだらけの中で、尊敬する人や素敵な言葉、思想を明かりにして進んでいきたいと思う。

のん


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?