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とある女性起業家の独演会の記録

 みなさんは信じないかもしれませんが、実は私は、もともと魔女だったのです。

(会場笑)

 決して冗談ではありません(笑)。本当のことです。黒猫のしゃべる言葉が聞き取れたりしたのですよ。

 私が生まれ育った村では、13歳に達した魔女の少女は、成人の儀式として、村を出て独り立ちしなければなりませんでした。私は決して優秀な魔女ではなく、できることといえば、ほうきで空をとぶくらいのことでした。私は偶然行き着いた海辺のまちで、これまた偶然出会ったパン屋のご主人の家に、店番をかねてホームステイさせていただくことに成りました。私はその海辺のまちで、空を飛ぶ技術を活かして、個人で運送業を始めました。

 私はいくつかの幸運に恵まれました。まず、パン屋にホームステイ出来たおかげで、家賃の初期投資が低く抑えられたことです。さらに、そこの奥さんにはいろんなことを教えていただいた、第二の母と言える存在でした。そんな方と出会えたことは、何より大きな幸運でした。また、そのまちは海辺の町ならではですが、坂と細い路地が多く、そのため私の技術は運送業に最適でした。加えて、先行する魔女がいなかっただけでなく、そのまちではまだモータリゼーションが進んでおらず、競合もなかったのです。一時は精神的なスランプに陥り、飛べなくなったこともありましたが、友人の支えも有り、どうにかやってこれました。

 幸い、私を信頼してくれる顧客も増え、事業は順調であるように思っていました。顧客の事業の流通スキームに対し、魔女の飛行技術でソリューションを提案する。「魔女が提案する流通の革命」という願いを込めて、社名は「Amajyon(アマジョン)」としました。ワンクリックで、すぐに欲しいものをお届けします。

(会場笑) 

 事業は右肩上がりで、当時は私も実家に「落ち込んだりもしたけれど、私は元気です」と手紙を送ったりしたものです。

 ところが、実は、旅に出た魔女の中で生活を成り立たせることができる幸運な者は、ごく少数なのです。そのため、多くの後輩の若き魔女たちや、他の事業に失敗した魔女たちが、私を頼ってまちへやって来ました。最初は、私の仕事を分けたり、私のお世話になっているパン屋に代わりに勤めてもらったりしていました。しかし、魔女の数が増えるに連れ、仕事の奪い合いや、サービスの品質低下などの問題が生じ、「Amajyon」の信用はダメージを受けました。ただ人が増えればよいということではなかったのです。

 ここで私は二度目の落ち込みを感じることになるのです。以前は私一人が飛べなくなるだけでしたが、会社が飛べなくなるということは、私とともに飛ぶ仲間たちまで巻き添えにするということです。これは落ち込みました。

 そこで私は考えました。私は落ち込むたびに、近くの森に隠匿する画家の友人の家を訪ねます。彼女は、仕事内容は全然違うけれど、私とよく似ているところがあって、例えば声なんかそっくりなのです。どんな声か?そうですね…例えて言うなら、世間ずれした子供の声とでもいうか、そんな人がいるかどうかわかりませんけど、「頭脳は大人なのに体は子供の名探偵」みたいな人がいたら、きっと声真似がすごく得意に出来るのではないでしょうか。そんな人いるかどうか知りませんが。

(会場笑)

 それはさておき、私はその画家の家に泊まり込み、声が私にそっくりの画家に手助けしてもらいながら、自分自身を内省しました。

 そこで気づいたことが有ります。それは、そもそも魔女たちの村のひとりだちの儀式という因習に問題が有るということです。

 私達魔女は、一般に独り立ちまで、魔法以外の教育を受けません。そのため、世間を知らないし、科学や経済、法律に関する知識も欠けています。これまで、そんな子たちがどうにか独り立ち出来たのは、多くの人が農業に従事していた、村落共同体が多かったからです。魔女の魔法に関する知識が役に立てたのです。

 しかし都市化や科学技術の発展が進んだ今、魔女たちは非常に不利な状態で都市に放り出されるのです。例えば、魔女の使うテレパシーなどの魔法は、これだけスマートフォンが普及した今となってはほとんど用をなしません。その結果、きちんとした契約を結べず、不当に過酷な仕事に就労しているものも居ますし、違法な仕事に関わってしまうものもいるのです。私がかろうじて業を成せたのも、タイミングと人との出会いに恵まれていただけに過ぎなかったのです。

 加えて、私がこのまちで業を営み始めて10年ほどしたころ、このまちもモータリゼーションが進み、運送業の中心は自動車になり、魔法と箒の運送業はさらに冷え込むことに成りました。

 そう、私に能力があったわけでも、努力をしたわけでもないのです、ただ、タイミングに恵まれていただけだったのです。そのことに、気づいた時は、ショックでした。私は特別な才能を持っていたわけではなく、ただ運に恵まれていただけ。薄々気づいていても、それを言葉にして受け入れるのは、エネルギーの要ることでした。

 しかし、私は、私を頼ってくる魔女たちをどうにか助けたいと思いました。そう、「私一人が元気」でもダメなのです。みんなが落ち込んで元気がないのであれば、私も元気で居られないのです。

 そこで、魔女たちに教育を施すことにしました。人材育成事業として魔女向けに独自の教育プログラムをはじめたのです。この教育プログラムは、私を育んでくれたメンターの名前を取って「OSONO」と名づけました。この事業は、わずか3週間で、クラウドファンディングで2000万円を調達することに成功しました。

 この話を聞いた方の中には、本来運送業である私が、なぜ人材育成業をてがけるの?と疑問に思われる方もおられるでしょう。実は、私はこれも運送業であると考えているのです。この人材育成事業では、法律や会計などのビジネスで実践的に使える知識を提供したり、共感してくださった企業にインターンシッププログラムで協力を得ました。これらの教育プログラムを経て、すでに180人の魔女たちが独立したり、優良な企業に採用されています。すでに「OSONO」出身の子たちが立ち上げた企業が、後輩の受入企業となったりしています。

 魔女の親たちも、決して彼女たちをわざと不幸にしようとして、都会に送り出しているわけではないのです。ただ、送り先と、送り方に問題があっただけなのです。彼女の親たちが、本当に送り届けたい未来へ、子どもたちを送り届ける。

 「教育とは、望む未来へ向けて人を送り届ける運送業」なのだと、彼女たちから教わりました。それが「OSONO」の考え方です。

 いまやこのまちの流通は更に大きく変わろうとしています。魔女にとって、飛ぶことは実は大きな負担です。あの細い箒にまたがって、股間にすべての自重をかける飛び方は、女性の体にいかにストレスであるかということは、みなさん想像にかたくないでしょう。しかし、魔女たちは飛ぶしかありませんでした。生きるために、糧を得るために、飛ぶしかなかったのです。確かに飛ぶのは、魔女の魔法の中で一番有益で、カンタンで、多くの魔女が使えるものです。しかし、飛びたくない魔女も少なくないのです。私は、魔女たちが飛ばなくていい世界を作りたい。

 そこで、私のパートナー事業者である「TONBO.co」と、小型飛行ドローンの開発に着手しています。TONBO社の創業者は、当時学生であるにもかかわらず、自転車のメカニズムを利用した人力飛行機の試作品を開発していました。私は、魔女の飛行メカニズムに関するデータを、特許として提供しています。その結果、TONBO社の飛行技術開発は、文字通り飛躍的に進んでいます。数年後には、魔女ではなく、ドローンが、このまちの運送のすべてをまかなえるようになるでしょう。魔女が、空を飛ばなくて良くなるのです。

 飛ぶという重労働から開放され、その時間を使って高度な教育を受けた彼女たちは、新しいイノベーティブな仕事をしていくでしょう。その力を借りて、私たちがこれから取り組んでいきたいのは、高齢者福祉です。坂道の多いこのまちは、お年寄りにとっては決して暮らしやすいまちではありません。例えば定期的な見守り訪問や、食品の配給など、私達、運送業者ならではのかかわりかたができるでしょう。

 また、食という分野も視野に入れています。このまちのご高齢の方と関わっていて知ったのですが、このまちの家庭料理として、かつてはニシンのパイというものがありました海辺の町ならではのメニューだと思います。しかし、都市化と人口の流入はそういった文化も忘れさせていきます。「これ嫌いなのよね」と言ってしまう若い人が増えています。もっとも生活に身近な食という分野から、歴史や文化を繋いでいくことも出来ると思っています。

 私は、しばしば勘違いされていますが、なんでも新しいばかりして、クラシックなものを軽視していいと思っているわけではありません。むしろ、そういった歴史や文化こそ、尊重していくべきものであると思っています。私達魔女が、何百年もその血統と魔法と文化を受け継いできたように。

 時代は激変しています。インターネットの普及やグローバリゼーションは、このまちにも大きな変化をもたらします。かつて仕事中に音楽を聞くときは、雑音混じりに耐えながらのラジオだったのに、いまやスマートフォンを使ってクラウドから好きな曲をいつでも聞くことが出来るのですものね。

 私たちは、受け継いできたものを大切にしながら、一方で、環境に適応するために、常に変わり続けなければなりません。この二律背反的な状況をどう乗り越えていけばよいのか。そのために、最も大切なこと。

 それは、「”危機”意識」です。

(会場笑)

 私はこれからも”危機”意識を持って、新しい環境にチャレンジしていきたいと思っています。

 そう。かつて、私が13歳でこのまちへやってきた時に感じた、ワクワクと、ハングリー精神と、郷愁とともに。

 ご清聴ありがとうございました。

(会場拍手)

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