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とあるまちづくりおじさんの平成録(むかしのはなし)

 友達が面白い記事を書いていまして。

 履歴書に書くことができない、空白の時間、どう過ごしていたかっていう、エモくていい話で。これに触発されて思い出したんですけど、昨年、高校生や大学生といった、わりかし若い人向けのシンポジウムでお話させていただく機会がありまして。そこで、僕は自分の20代、30代の頃の話を若い人向けにお話したんですね。そういえばあの話ってどこにもまとめていなかったので、せっかくなのでこの期に書き残しておこうと思います。

1.まちづくりおじさんの平成史語り

 そのシンポジウムの口上文では「急速に変化した社会の中で、今までとはちがう生き方を求められている若者たち」に向けて「新たな時代について、みんなで一緒に考えませんか?」と呼びかけていました

 僕に依頼されたのは、平成という「急速に変化した社会」がどういうものだったのか、その時代を生きた一人の人間の経験則を語ることで、この「今までとはちがう生き方を求められる、新たな時代」を考えるための手がかりとして、「平成を生きた一人の若者としての経験を、まちづくりを軸に提供してほしい」というものでした。

 お話を聞いたときは、「すげー難しいなあ」と思いました。というのも、僕の生き方は、平成という時代を代表できるほど一般的なものだったと思わないですし、これからの人生を考える若い人に向けてどれほど有益なものになるか、あまり確信が持てなかったからです。後で詳しく述べますが、僕がいま曲がりなりにもまちづくりに関わって飯を食えているのも、本当に運が良かったというか、たまたまだと思いますし。

 しかし、能動的に人生をデザインしていくようなストーリーは語れませんが、そのような「たまたま」がどのように作用して人生が形成「されてしまうものなのか」ということは、もしかしたら語れるかもしれないなあと思い、お引き受けしたのを覚えています。

 この記事はその時の講演の記録です。平成という時代とともにあり、そして過ぎ去った「僕が大学でまちづくりに出会って、まちづくりが仕事になっていくまでのストーリー」を書き残しておこうと思います。お題は、「とあるまちづくりおじさんの平成録(むかしのはなし)」としました。

 結構個人的でエモい過去のお話も含まれてくるので、今回は珍しく1万字を超えていきます。

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2.黎明の10代

 僕は1980年に生まれまして、1999年に大学入学、そこでまちづくりというものと出会うことになります。僕がものごころのつく10歳の時に平成が始まって、僕が39歳の時に平成が終わったので、その意味では、平成を生きた一人の若者としてカウントしていただいていいかと思います。じゃあそんな僕の経験を、まちづくりを軸に語るとどうなるか、っていう話です。

1980年(S55/0歳):大阪市に生まれる
1989年(H1/9歳):昭和が終わり/平成開始
1995年(H7/15歳):阪神大震災/オウム事件。「ぼっち」で過ごす高校時代の始まり
1998年(H10/18歳):浪人生時代。
1999年(H11/19歳):大学デビューしたさに大学入学

 僕は小中学校と地元の公立学校にいたのですけど、そこでは幼稚園や保育園からずっと一緒みたいな人たちもいて。なんとなく友達だったんですね。つまり、いわゆる人間関係というものをそんなに能動的に築き上げた覚えがなかったんです。

 なまじっかお勉強ができたので、電車で一時間半くらいかかるところにある私立高校に進学しました。そこではじめて僕は人間関係っていうものを能動的に築き上げないといけないっていうゲームに参加したんですね。そこでは地域に囚われず、お勉強のできる子が集まって「はじめまして」状態からスタートするわけです。4月に入学して、5月くらいには4〜5人からなる小グループが形成されていて、その間の人の移動は原則なくなっていく。そういうゲームだっていうことに気づいたときにはもう手遅れで、あれ?いっしょに昼飯を食べる友達がいないぞ?となっていたわけです。いわゆる「ぼっち」状態だったんですね。

 そういう所属グループからの支援を得られないと、学校生活ってそれなりに面白くないんですね。別に積極的に不登校になるような理由はなかったんですけど、学校自体が楽しいと思った覚えもなかったです。

 で、僕も教員として教室運営を経験してきた今にして思えば、そういう人間関係の固定がもたらす学習阻害って、例えば学級運営者としての教員の技術次第で、どうとでもできる部分はあったはずなんですね。グループワークだのファシリテーションだの、様々な手段がありえます。しかし、最近こそそういうノウハウは普及していますが、当時はそうではなかった。地方私立高校の教員にそんな当時の先端技術を独自に学んでおけっていうのも酷な話で。で、クラスメートも、そういう「ぼっち」状態を主体的に解決できるほどコミュ力高くなくて。

 だから僕は高校が楽しくなかったことについて、誰が悪いとかそういう話をしたいわけではないです。結局みんなが無力だったってことです。「集団という現象」に対して、僕も含めて誰もが無知で、無力だったんです。

 人間は、一人でいるときと、集団となったときとでは、挙動が違います。例えばこのクラスメート一人ひとりと、じっくりお話すれば、きっと友達になれた人もいたんじゃないかと思うんです。しかし、一人ひとりが集団化したとき、そういう選択をできなかった。集団というもののもたらす引力に逆らえなかった

 この「集団」というものとどう付き合っていくのか、いかに制御するのか、というのが、僕の中で言語化されないテーマとして横たわったのが、このときだったと思います。

 僕は後に大学でまちづくりという、その後20年ほどという長いお付き合いさせていただくテーマと出会うことになりますが、別にまちづくりの勉強をしたかったから大学に入ったわけではないですね。単に、大学デビューがしたかっただけです。なので、僕にとって10代というのは、まちづくりという観点からみれば、まだ日が明けきっていない、黎明の時間だったと言えます。

 一方で、まちづくり平成史的には、社会には大きな変化も起きていて。

1995年:阪神大震災
1998年:NPO法(ボランティア元年)

 僕が14歳のとき、阪神大震災が発災します。そこでの復興まちづくりで、地縁を契機としない、いわゆる「志縁」で結成されたボランティアグループが活躍します。その活躍を受けて、1998年に、NPO法が施行されます。後に「ボランティア元年」と呼ばれるこの時期が、僕がまちづくりと出会うまでに予め仕込まれていたことは伏線として記しておきたいと思います。こちらも参照のこと。

3.まちづくりの「非専門化」に乗った20代

 僕は大学デビューがしたかったので、大学では授業そっちのけで、とにかく友達のできそうな場所にはどこでも出かけていきました。映画サークルとかテニスサークルとか。しかしどこも水が合わないなあと。そんな中、たまたま出会ったのがまちづくりゼミでした。その後、まさか20年も付き合うことになるテーマになるとは、自分でも驚いています。

2000年(H12/20歳):まちづくりと出会う
2001年(H13/21歳):アメリカ同時多発テロ。就職氷河期
2003年(H15/23歳):修士課程に進学
2005年(H17/25歳):修士課程修了、博士課程に進学
2006年(H18/26歳):まちづくりNPOに就職、月7万円で暮らす
2008年(H20/28歳) :論文の筆が進まないまま、博士課程の3年が過ぎる。在学延長を決意。

 他の記事でも繰り返し書いていますが、まちづくりっていうのはボランタリーな活動で、そのような活動が上首尾に長期間継続して行えている地域には、特殊な経験知が備わっていることを知ります。そしてなにより、大げさかもしれませんが、人間の集団には大きな可能性が秘められていて、それは「うまくやれば」発揮しうるものなのだ、ということに気づきます。そこに気づいたのは、前述の通り、僕が人間集団というものに独特の距離を持っていたからだったのかもしれません。

 まちづくりとの出会いは、人間の集団に失望していたひとりの少年に、人間の集団への希望を取り戻せしめたのだと、これも大げさに聞こえるかもしれないですけど、言ってみたりしています

 その点、僕は真面目にまちづくりという現象と、その営みを教えてくれた京都のまちには本当に感謝していますし、その後、まちづくりというものへの「恩返し」という動機でお仕事をさせていただいてきたということにに関しては、こちらにも書いています。

 まちづくりに秘められた人類の英知を知りたい。それが研究動機となって、結局大学院に進学することにしました。その後、研究でお付き合いのあった某地域がまちづくりNPOを立ち上げることになり、そこでスターティングスタッフとして勤めることになりました。そこでいわゆる現場の実践経験も積んできました。月7万円の手取り給料で働く、それはそれはなかなかハードな時期だったように思います。

 僕の場合、研究っていうのは、うまくいっている地域の知恵を教えてもらう形になるので、ある意味でイージーなんですよね。だけど、自分で現場を抱えると、当然ながら「うまくいかない」場面も扱っていかないといけません

 ある地域ではうまくいくことが、別の地域ではうまくいかない。じゃああっちとこっちはなにが違うのか。こっちをうまくいかないのはなぜなのか。どうすればうまくいくのか。「研究と実践の往復」っていうとありきたりな表現になりますが、そんなことも大事な勉強になりました

 とはいえ、別に僕は研究が特別得意なわけではないです。なので、論文は遅々として進まず、結局博士課程の3年が過ぎてしまいまして。この時期は本当に思い出すのも辛い時期で。ゼミのつながりで、仲良くしてくれる先輩や後輩がいたから、どうにか死なずにすみましたけど、大学院生の行方不明率が高いみたいな話は、「すげーわかる」って思います。

 3年過ぎて、満期退学するか在学延長をするかどうかを決めなアカンと。そこで「お前、これからどうする?」と指導教員に問われ「書きます」と答えたら、指導教員が「じゃあ、岩にかじりついてでも書け」と言われたのを今でも覚えています。この「岩にかじりついてでも書く」っていう心の構えは、その後の僕にとって、とても大切な言葉になりました

 僕はその後、長くなった髪を切り(グレてた時期のスラムダンクの三井みたいになっていたんですよ)、死ぬほど見ていたテレビを捨て、いままで腰掛け的にやりがちだった仕事も、鬼のスピードで片付けて、浮いた時間やエネルギーを全部使って研究にフルコミットしていくことになりました。

 なんというか、今からもう一回やるかと言われるとちょっと迷いますけど、すごい純度の高い時間だったなあと思うっすね。僕は大学院とかは、別にどこぞに勤めて働きながら通ってもいいと思っていますし、仕事や子育てと両立している人は本当に尊敬するっす。するんですけど、あの研究だけに全ブッコミできる純度の高さは、学生に主軸を置いていないとできなかった体験だったかもしれないです。

 さて、そんな経験をふまえて、僕のまちづくり平成史を眺めるならば、ここを置いて語ることができません。

1996年:文科省「ポスドク一万人支援計画」→大学院進学者増員の波

 なんでそんな特に研究の才能があるわけではない僕が大学院を経て博士号まで取れたかって言うと、前提としてこれがあるっすね。文科省がポスドクを増やそうとした時期がありまして、このあと各大学が大学院進学の枠をぐっと広げた時期があったんですね。僕の入った時期では、ちょっと前まで10人ぐらいの入学枠だったところに、僕らの年代では60人くらい入学していた記憶があります。それくらい量産しようとした時期ってのがあったんですよ。

 まあ、じゃあ今はどうなっているかっていうと、仕事のないポスドクが大量にいて扱いに困っているなんていうニュースをよく見ます。政府が政策で意図したこととは違うことが起こるのはよくあることですけど、これもその一つですね。

 ちなみに、才能のある研究者ってなんだっていうと、わかりやすいところで言うと「育ちが外国語圏で英語をネイティブに読める、話せる、聞ける」、「学部生の時点ですでに学会誌に査読付き学術論文を掲載している」、「教員と共同で海外文献に論文を載せている」、「学振の特別研究員に選ばれている」といったあたりになるかと勝手に思っています。

 功罪あるとはいえ、そういう院生量産化の波があったおかげで、僕でも大学院で学ぶ機会を得られたってことがポイントです。

 2000年代に入っての大きな出来事はこんな感じっすね。

2003年:指定管理者制度開始
2005年:聖域なき構造改革→地方交付税の減額に伴う自治体間競争の開始
2006年:自治体の公共施設を管理するまちづくりNPOに就職
2009年:総務省「地域おこし協力隊」制度開始

 2003年に指定管理者制度ができて、公共施設の管理なんかを民間に任せていく流れが本格化します。さらに2005年には小泉政権の構造改革で自治体への地方交付税が減額化され、カネやヒトをめぐる自治体間競争が加速していきます。また、地方部のまちづくりプレイヤーの増強を狙って2009年に地域おこし協力隊が制度化されていきます。

 僕は、自治体の公共施設の管理を任されたまちづくりNPOに拾われるわけですけど、その時、僕の人件費は何から出てたのかっていうと、これまで自治体のプロパーが行っていた公共施設の管理業務を民間に委ねていく流れで出てきたお金だったわけですね。地域おこし協力隊でもそうで、いわゆるまちづくりを主な業務とする人材としては、特殊に訓練をしていない人でもなることができる領域としてありました。

 この辺の流れはまちづくり平成史的にとても大事なことでして。どう大事化っていうと、「これまで専門家のものだったまちづくりに非専門家が流れ込んだ」ってことなんですね。20世紀まで「まちづくり」って、建築とか土木とか都市計画とか行政とかの専門用語としての側面があったんです。例えば僕の恩師も、そのまた恩師も、京大の建築工学系の研究者で、西山夘三にルーツがあったりするような人たちです。研究者であると同時に、建築士っていう専門家でもあった。それが、裾野が広がっていった、非専門化していったわけです。

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