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平野啓一郎はんぱないって--平野啓一郎『日蝕』

 平野啓一郎はんぱないって。アイツはんぱないって。中世ヨーロッパの神学僧の神秘体験めっちゃ擬古文で書くもん。そんなん出来ひんやん、普通。そんなんできる?言っといてや、できるんやったら。新潮や、全部新潮や。載ったし。全文掲載やし。またまたまたまた芥川賞やし。おもろいし。平野啓一郎、すごいなァ。

・・・

 2年前の夏至の頃、妊娠6ヶ月だった私は、微かなお腹の張りを感じて万年床に横たわっていた。その頃は胎動もそれほど大きくなくて、僅かな違和感であっても子宮の中では大きな変化が起きているのではないか、と不安でたまらなかった。そして、その不安は私の体が静止すればするほどにむくむくと成長していく。だから、私は逃げるようにして買ったばかりの本を手に取った。それが、平野啓一郎の『日蝕』だった。

 その頃の私にとって、平野啓一郎の作品は『空白を満たしなさい』や『私とは何か 「個人」から「分人」へ』など、社会に切り込んでいる印象が強く、また、彼自身についても、時折ネット上で見かけるインタビューや発言などから、かなり円熟した大人の男性なのだと思っていた。しかし、生協で何気なく手に取った『日蝕』は、「社会派」や「円熟した大人」から随分かけ離れたもののように見えて、私の体をレジまで運んでいった。

 1ページ目を開いて、ルビが散りばめられた文章の密度の濃さに面食らった。少しひるみながらも読み進めると、これが意外と読める。
 時代は15世紀、主人公であり、パリでトマス神学に傾倒した神学僧、ニコラは若かりし日に自身を襲った神秘体験を回想する。『ヘルメス選書』の写本を読み感嘆した彼は、完本を求めて旅に出る。そして旅路の果てに行き着いたとある村で、錬金術師ピエェルに出会い、両性具有者(アンドロギュノス)や巨人といった異形のものを目の当たりにする。そして、異形のものが滅せられる時、ニコラは神秘体験にいきあう。そして村を脱し、パリへ戻ったニコラは、回想時には、とある地方で主任司祭の職を得ている。偶発的な村人との再会を機に、一連の出来事を執筆し、思い巡らすこととなる。

 顔を上げると日は落ちかけ、お腹の張りも治っていた。重厚な文体と幻想的な物語に満足した私は、何気なく著者プロフィール欄を眺める。すると

1975(昭和50)年、愛知県生れ。京都大学法学部卒。'99年、大学在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により芥川賞受賞。

と書いてあるではないか。頭の中で脆弱な計算機がフル稼働する。つまり、これが掲載された当時、彼は24歳であり、出版までのあれこれを考慮すると、少なくとも23歳の頃にはこれを書いていただろう。その時、私の年齢は23歳。つまり、私がお腹を撫でながら寝転がっていた時には、平野啓一郎は「冀(こいねがわくは)、上(かみ)の誓いと倶(とも)に、下(しも)の拙(つたな)き言葉の数々が主の御許(おんもと)へと到(とど)かむことを。」などと書いていたことになる。一体どういうことやねん。ふざけんな、マジか。

 私がめちゃくちゃセックスしている時、図書館に通ってトマス神学への造嗜を深める平野啓一郎。私がZAZEN BOYSの『KIMOCHI』を歌いながら夫と婚姻届を出しに向かっている時、原稿を前に頭を抱える平野啓一郎。私が「ただいま分娩中」という看板を前に、産婦人科の待合室で「たまごクラブ」を延々読み返している時、編集者への手紙を認める平野啓一郎。私が飲み会で帰りが遅い夫を号泣しながら責めたてている時、編集者と会食する平野啓一郎。私が夫にスマブラでぼろ負けして悪態をついている時、「新潮」に全文掲載が決まる平野啓一郎。私が分娩室で叫んでいる時、校了した入稿を眺める平野啓一郎。私、平野啓一郎、わたし、平野啓一郎、わ、た……。

 その晩、私は涙で枕を濡らした。

 そして翌日、一月物語を読んでまた泣いた。お腹にそっと手を当てると、思いがけず、強い力で胎の中から蹴り返された。そうして、私は思う。

「平野啓一郎はんぱないって…」

--私は、自身の経験を能(あと)う限り有りの儘(まま)に叙することに因って、何等かの答えらしきものが見出(みい)だし得るかも知れぬと、私(ひそ)かに期する所が有った。しかし、終に、平野啓一郎の一貫した像を形造ることは出来なかった。或いは私が、より強くそれを求めむと意識しながら筆を進めていれば、然るべき成果は得られていたであろうか。私はそうは思わない。そうした努力は仍(なお)虚しいものであったろう。それは、畢竟(ひっきょう)今でも私が、あの平野啓一郎に就いて記すには、時々によって相矛盾した私の印象を、矛盾した儘(まま)記すより外は無かったと考えているからである。
 そして徒(いたずら)にこう思ってみるのである。
 蓋(けだ)し、平野啓一郎は私自身であったのかも知れない--。

 そんなことはないので、以上で終わりますね。さようなら。


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