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われに五月を

4月もなかばでやんす。

今年の桜、横目でしか見ていないうちに強風やら大雨やらであっという間に散ってしまったようで、いつのまにか緑になっていた。
うっ、悲しい。桜見ずして春終わる。
そして知らぬうちにハナミズキが咲き始めていた。今日娘の学校の父母会があって、都会の真ん中にある植物図鑑みたいにさまざまの木や花の植わっている校内をてくてくと歩いていたらこの季節にもさまざまの花が咲いていることを知らされたのだ。

あの白い花、なんだろう。
見上げて、ハナミズキだと気づいた。
足元には小さな紫陽花のような白い小花も揺れている。

てことは、新緑の季節が近いのだ、つまり、五月も近いということを否応にも知らされる。

はっえーよ。
と心の中でつぶやく。

あとどうでもいいけど「桜も散って」と書こうとしているのに何度も何度も「桜餅って」と変換されてしまったのだが、食べてないです。
食べていない、桜餅は。
残念ながら今年は桜餅を食べていない。
それどころじゃなかった。桜餅どころじゃなかったんです。

ここ数週間、精神的になかなか苦しくて、日記も書けないことになってきている。

人間って、多少は余裕があるときにしか文章を書こうだなんて思わないものだよね。それがいま、すごく分かる。分かりたくなんてなかった。けどしみじみと感じている。

体の病と違って、心の病には原因・治療・結果が明らかにパキッとでてくるものではなくて、あれ、調子いいかな?と思ったらドーンと谷底に落とされる、この薬いいかも?と思ったらベッコベコに凹まされ、薬を飲みすぎて具合悪くなってんじゃないの!?と薬に対してキレそうになる、なんていう、どんな罰ゲームだよと言いたくなるときもある(先週あった)。

とりあえず今のわたしは、何とか生きている。
でも顔が洗えない一日があったり、仕事を休んでしまったり、早退したり、ベッドから出られない一日があったりして、
上品先生には「休職」「入院」を匂わされている状態。
びっくりしますよね。
自分だってびっくりしちゃいます。

「普通に生きていきたいだけなのに」
「どうしてこんな事になってしまったのだろう」

このふたつのセリフを、もう何百回呟いたか分からない。普通にしていても苦しくて仕方がないのだ。
鬱ってなんなの。
舌痛症が発症の原因だったのではあろう、それは分かる、でもいまはもう舌痛は大丈夫なんだよ。痛くないし、気にしてない。
だからキミも消えてくれていいんだよ、気鬱よ、ね、ね?もう居なくていいのよ?

なーんて、そんな簡単に人間の中身は簡単にはできていないのでした。鬱のみが悪化。

おっかしいな。
わたしはこの日記を鬱の闘病記にするつもりも、暗い気持ちを綴るためのものにするつもりもなかった。
「つもり」
つもり、そう、つもりってことでいえば、そもそも鬱になるつもりなんてなかったのよ。ってもういいか。

さて、そんななかで、日々煩悶しています。
休職した方がいいのか。
でもそれはそれで余計にダメな方向に突っ走る気がして決断ができない。一日なんにもしないで寝ていたら、それこそもうダメなんじゃなかろうか。そこから這い上がってこられるものなの?人って?

無理をしてでも(可能な範囲で)外には出た方がいい気がする。外に出ると少し元気になるから。仕事だって、本当はちゃんとしたい。
いまは、午後から少しの時間だけ仕事させてもらってる状態。それでもすこし、苦しいときがある。
「横になりたい」
それしか考えられなくなるときがある。

くじけたくない。
くじけたくないな。
ぎりぎりのところでも、わたしはちゃんとわたしでありたい。白旗を上げたくない。

さて、どうなることやら。
自分でも自分の明日がよく見えない状態です。
がんばろ。
そしてがんばれ、同じような状態の人たち、が、もしいたら。がんばらなくてもいいから、がんばろ。

【おまけ】

重い体をずるずる引きずり、なんとか行ったヴァイオリンレッスンにて、キャプテンに
「ここは、佐々木小次郎の燕返しっぽい感じで弾いてみましょう!」
とめちゃ難しいアドバイスをされました。笑った。