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虐待の後遺症・二次被害についてと、貴方に今して欲しいこと。

2022.10.19追記
私は社会的養護を受けられなかった虐待当事者です。
当時成人して権利が貰える20歳まで、どうにか日々をやり過ごし生き延びました。

虐待は、当事者に重い後遺症と大きなハンデを負わせます。

そのことって、やはり一般的にはなかなか理解してもらえないことが多いんじゃないかな、と思いこの記事を書きました。

私は、社会的養護を受けなかった(児童養護施設や里親に預けられたりしなかった)としても、なんらかのアプローチで虐待経験者を治療に繋げられる仕組みが必要だと、心から思っています。

「いやいや、それって当事者の努力次第でどうにかできる問題じゃないの??」

そう思われる方も、いるかもしれません。
よければ私の経験を少し、聞いてください。

私は20歳になった時、なんとか家を出て一人暮らしを始めました。
それはそれは最高の気分でした。
私はやっと自由になれたんです。

その時私は、人生をやり直そうと誓いました。

家に振り回されず、過去に縛られることなく、
これからは楽しく明るく生きていこうと、決めました。

でも、実際は思い通りに行かないことの連続でした。

社会人になって、真っ先に上司とのコミュニケーションで躓きました。
注意されたり、叱られることが、上手く飲み込めません。
まるで怒りや脅迫に思えてしまったり、人格を否定されてしまったように思えて、上司の一挙一動に、一々落ち込んでいました。
学生時代バイトはしてましたが、やはり社会人になって、週5日朝から晩まで突き合わせての上下関係となると、桁違いのストレスでした。
家では母に支配されていたせいで、立場的上の人に自分の意見をどう言っていいのか、わからなかったんです。

これは少しずつ経験して学んで、上手くやりとりができるようになった気がしています。でも普通の子はしなくて済んだ嫌な経験だったと、今では思っています。

辛くなるといつも涙が出ました。
泣きたいわけじゃないのに勝手に、です。
溢れて仕方なくて、止めたいのに止められない・・・
『職場で泣く女』のレッテルを貼られたことに自己嫌悪し、さらに落ち込むという負のスパイラル。
それが「感情失禁」という、うつ病の症状のひとつであることを知ったのは、つい最近になってです。

私は親元にいた時期の10代から、既にうつ病を患っていたのでした。そしてそれは繰り返し再発し、常に軽度から重度の間を彷徨っていたようです。
しかし、自分で気づくことはできず、治療を受けることもしませんでした。
だって、私にとって死にたいと思うことは、ずっと日常的な事だったから。

そんな時に会社の上役に「相談に乗ってあげる」と言われて、食事に行くことになりました。

そして、性被害を受けました。

親に頼れないことも、話してしまっていたのできっと、大事にならないだろうと見做されたのでしょう。

終わった後、もう私は訳がわからなくて、どうにか「泊まっていきなよ」と止める手を振り解いて乗り込んだタクシーの中で深夜、泣きながら会社の先輩に電話をかけたのを覚えています。
勇気出してかけた電話は、繋がりませんでした。

先輩にも都合や家庭があって、当たり前のこととわかりながら、他に助けを求められない現実に、私は改めて自分はこの世界で独りぼっちなのだと、辛い事実を噛み締めました。

たしかに私には、この事を言いつけて親身になって色々してくれる母親も、私のために相手を弾劾してくれるような父親も、いないのでした。

その後、すぐに会社には辞表を出しました。

同僚に相談しましたが、理解してもらえず、言われた言葉に酷く傷つきました。

『どうして嫌がって逃げなかったの?』
『いつまで落ち込んでるの?』
『どうせあなたが誘ったんでしょう?』

失業保険等、制度もわかりませんでしたし、お金の相談をできる人も頼れる人もいませんでした。
もちろん実家には戻れないので、ライフラインのためにすぐ働き始めました。

誰にも頼れないから自分が頑張るしかないんだと、ずっと自分で呪いをかけていたんだと思います。

しかし、いざ再就職しても、

朝起きれない。不定期に寝込んでしまって、仕事に行けない。

今から思うと、それもうつの症状でした。

給料は低く、母の浪費癖を見て育ったのでお金の使い方も荒い。たしなめてくれる人もいない。ストレスを買い物で発散し、さらにお金が減る、と言う繰り返しをしていました。

その後、自分はサラリーマンに向いてないのだと思って、起業を志す仲間たちと一念発起。活動に全力を注ぎました。
セミナーに通い、いろんな人たちと出会い、いろんなことを学び、憧れられる大人たちと出会い、私もこんな自由な大人になりたい!と、励まされました。
普通にできなくても人生を楽しむことはできるんだと、希望を貰いました。

でも、そんな中でも定期的に『起き上がれない日』は訪れるのでした。

目は覚めてるのに起き上がれず、約束をドタキャンをしてしまったり。
その度自己嫌悪を陥りました。でも気力がでなくて、なんて説明すればいいのかわからなくて、連絡すら上手く出来ない・・・

「そのことを打ち明けて素直に謝ればいいじゃん。」
そう言う人もいると思います。

でも、もうその時には限界で、そんなふうにはできませんでした。
素の自分が出せなくて、起き上がれないことも、ただ具合が悪かったとして必死に隠し続けました。
寝坊してしまった、起き上がれなかったなんて、自分がダメ人間なのをはっきりと認めることで、そしたら自分はもう二度と立ち上がれなくなってしまう。。そんなふうに感じられました。
私には、できませんでした。
ひたすら「良い人」「いつも明るい子」を、演じ続けることしかできませんでした。
そうなりたかったんです。本当にそんな子になりたかった。。

その頃、特に怖かったのはお酒のトラブルです。
元々お酒は好きだったのですが、飲み過ぎてしまう夜が爆発的に多くなったのです。
記憶を無くす、涙が止まらなくなってしまう、他人を傷つける発言してしまう。そして人間関係に軋轢を生む…

アルコール依存、一歩手前でした。

あとで話を聞いたり、酔っ払った自分の動画や写真を見ても、信じられませんでした。
どうして自分でもそんなふうになってしまうのか。
でも、飲まずにはやってられなかったんです。

今から思えば、自分の素顔を出せない社交の場に、長時間いなくてはならないストレスに耐えきれなかったんだと思います。

私は、友達も多かったし、交友関係も決して狭いわけではありませんでした。
それでも、そんな状況になっても私は気づけませんでした。
周りの友人たちは、ただただ面白がるか離れていくのでした。

アルコールは抗不安薬と構造が一緒です。
虐待サバイバーは、日常的に死にたい気持ちや辛いことがあることが当然な環境で生きてきたので、うつに気づかず、依存的行動をしてしまいやすい。

私の場合はアルコールでしたが、自傷行為、過食や拒食、浪費癖もひとつの依存行為です。
自覚せずに自分を責めてしまう…
これは私が、ようやく繋がれた医療で専門家と話して知ったことでした。

じぶんが虐待の後遺症に苦しめられていると、医療が必要だと気づくまで、ずっと苦しかったです。

自分は社会人失格だ。
なんでみんな当たり前にやっていることが、自分だけできないのか。

「普通」ができない。

服装や、メイク、常識や流行りのもの。
10代のうちに許されなかったこともあり、普通の人に比べてよくわかりません。
「ちょっとそれ、ダサくない?笑」
冗談や揶揄い混じりに言われると、過去それでいじめられたことが脳裏によぎり、凄く怖くなりました。

たぶん、普通の家庭では教えてもらえた事。
普通に買ったり、遊んだり、見たり聞いたりが許されたこと。
それがわたしにはすっぽり抜け落ちてしまっており、20歳になってから手探りで始めたが故に、較べられるとどうしても劣りました。

がむしゃらに頑張ることに疲れた私は、どうにか医療に繋がることができました。
そして、カウンセリングの過程で先生から聞いた内容が私にとっては凄い衝撃的だったんです。

虐待を受けた子どもは、脳にダメージを負ってしまう。

たとえば記憶と感受性を司る「海馬(かいば) 」の感受性期は3~5歳、また右脳と左脳をつなぐ「脳梁(のうりょう)」の感受性期は9~10歳、音や言葉をキャッチして理解する「聴覚野(ちょうかくや)」の感受性期は6~10歳といったように、場所によってそれぞれ最も成長していく時期というものがあります。
 
もし、この成長期に何らかの大きなストレスを受けると、脳はダメージを負ってしまいます。ここで言うダメージは、抽象的な意味ではありません。縮む、肥大するなど、本来と異なる形や大きさに変形してしまい、実際に〝脳の傷〟となってしまうのです。
 
では、もし脳に傷ができてしまったら――?
 
私は長年にわたり、子ども時代に虐待を受けた人たちの脳を調べてきました。言うまでもなく、虐待は最も深い傷を脳とこころに刻みつけてしまいます。そうした深い傷が与える影響を調べてきて、現在明らかになっていることがいくつかあります。
 
傷ついた脳をもつ子どもたちには、学習意欲の低下、無気力、非行、うつ病などが見られやすいのです。
虐待で「脳の傷」ができた子どもどのような症状が出るのか? https://gentosha-go.com/articles/-/25216 より

この事実を知ってそれまで背負い込んでいた気持ちが、軽くなった気がしました。

私が悪かったんじゃなかった・・・そう思えた時、心から泣くことができました。

ずっと私は自分がおかしいんだと、ちゃんとできないのは自分のせいだと責め続けてきました。

もっとちゃんとしないと、
幸せな人生を送るためにはもっと努力が必要なんだと、
そう自分を嗾けてきました。

でもそうじゃなかったんです。

必要だったのは努力ではなく、治療でした。

今はすごく前向きに、焦ることなく自分のペースでやっと生きていける気がしています。

うつも、PTSDからの回復も決して簡単なものではありません。
そして、かなりの時間とお金が必要になります。
私もやっと今治療に繋がれはしましたが、治療費はどうしても発生します。その負担も、当事者にとっては大きなハンデだなぁと思っています。

仕事が普通に続けられない、理解が得られない、実家というセーフティーネットがない。
そして私は、今までの人生で多くの無理解から来る嫌な経験もしました。
世の中には弱みにつけ込むような大人たちもたくさんいます。

自分が「脳に傷を負っている」なんて思いもしなければ、他人と同じにできず苦しみ、自信も持てず、社会で孤立したり、非行や自傷行為に走ることも当然多くなります。
虐待が原因で脳の発達障害を負い、ようやく自立して解放されて社会に出たとしても、その後遺症に苦しめられる。

本当は、過去のことなんてなかったことにして生きていきたいのに。

経験したことがない方々にとっては理解しにくいし、どう接すればいいのか、難しいと思われるかもしれません。

まずはこのことを多くの人に知ってもらうことが必要だと思っています。

そして、自分は悪くなかったんだとそう気づいて救われる、私みたいな人たちを増やしていきたい。
私は今そう思っています。


貴方の周りに、苦しんでいる人はいませんか?

私がここで書いたことに、似通っている、思い当たる人がいたらぜひ、こうして欲しいことを書きます。

①2人きりの時に、相手の様子を見ながら困ってることがないか、聞いてください。
できたらご飯に誘ってあげてください。
自覚がないことが多いです。
でも家族の話を貴方が聞くと違和感があると思います。そしたらそこを決して強制はしないで、話せるような関係にしてもらえたら嬉しいです。

②話を、辛かったことを否定せず、受け止めてください。無理にアドバイスしないでください。
常識が違います。そんな嘘みたいな…話が出てくるかもしれません。驚いてもいいんです、でも敬遠はしないで。否定せずにただただ聞いてください。

「もっと辛い人はいるよ」、
「家族なんてそんなものだよ」。
1番嫌な言葉です。決してそんなふうに言わないでください。

自分も昔つらかったよ、もっと頑張りなよ、いろいろ言いたい気持ちはあるかもしれません。でも、遮らず話を最後まで聞いてください。
本人は、今も十分頑張っています。

③本人が気づいていなかったら、それは虐待だと教えてあげてください。
虐待には、いろいろな種類があります。ただ、わかりやすく言えば、親が子どもを過度に抑制したり、放置していればそれは虐待です。
子どもが、10代以上になっても、たとえ30代40代、今は親になったとしても過去に親からされたことで苦しんでいたら、
それは虐待です。

世代によっては「当然だった」みたいな内容もあるかもしれませんね。(男尊女卑で長男優遇したり、しつけで外に出したり閉じ込めたり)

絵はにほんごワークさんより引用。 http://nihongowork.com/

④過去の経験で今も傷ついているのは当然な事、無理しなくていいことを教えてあげてください。
自分の前では無理しないで良いということを、何度も伝えてあげてください。
そして、彼女彼らの経験を聞いてください。何も貴方は無理に言わなくていいんです。ただ、自分の話を受け止めてくれる他人がいる、応援してくれる味方がいる。それだけで当事者にとっては生きていく希望になります。


理想なのはすべての大人たちが、これらの行動をできることなのですが、それって簡単なことじゃないですよね。
個々でこういうこもを話すことってすごく難しいと思います。

話したくなる時が一瞬であるように、自殺しようとする時も瞬間的です。

なので私はいま、そんな人達をサポートできる仕組みを作りたいと思っています。

個々で受けられるサポートは、今までもありました。
個人で休職したり治療を受けたり、役所に申請したり、手帳を貰えたり。

でもそれでは限界があります。

そこに至ることのできない、至るまでに時間がかかりすぎるんです。
今求められているのは、もっと環境包囲的なもの。社会での認識を変え、問題意識を変え、被害者を見つけ出し、得られる情報と選択肢を増やす事。

まだ今は自分の回復を優先させながらですが、まずは当事者発進の活動を、そして今後仕組みをつくるような活動をしていきたいと思っています。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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