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今日のなんでもない日記

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放っておいたら、しゃぼん玉のようにいつか頭から消えてしまいそうな、だけれどどこかに残しておきたいような、ふとした日常のひとりごと。昔のmixiのような、とりとめのない文章を認める… もっと読む
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#フォトエッセイ

ずっと書けなかった自分史、再開しました

「ねえねえのちさん、更新ってまだですか?」 ちょっとニヤニヤしながら、冗談まじりに聞いてくれる知り合い達にめっちゃごめんなさい、明日は必ず!だなんて、顔の前で手を合わせ、わざと守れない約束を結び付けては破り続ける日々から、1年が経ちました。 「書けなかった」なんておこがましい、「投げ出して」と「書かなかった」が正しい訳なのだけど更新を再開しました。80人近くが購読してくださっていて、この申し訳なさったらない。本当にごめんなさい。本当に。これから真面目に執筆していきます。

わたしは誰かに叱られたい

今年でいつの間にか30歳になる。 「書く」を仕事にしはじめて、気づけば3年近くが経っていたし、コツコツ続けてきたSNSも今では驚く事に9000人もの方が見てくれるようになった。 noteも #まいにち日記部 で日記を書くようになって、月間5万人が見てくれているらしい(びっくり。noteの拡散力はすごい。) ライティングの仕事も、前は取材やキュレーションが多かったけれど、今はコラムやエッセイなど、自分の心の内を書かせていただく機会が多くなった。(あまり公表していないけれ

美しいひとでありたい

会った回数に関係なく「この人好きだ」と思う時がたまにあって、大体の場合そういう直感は外れない。ここ最近も「あー。好きだなあ」って勝手に思っている相手が何人かいる。 同性の場合は問題ないのだけど、それが異性の場合直球で「好きです!」と伝えるとややこしいことに成りかねないので、じりじり距離を詰めていこうとする。のだけれど、それでもやっぱり溢れる気持ちは抑えられず、直球ストレートを投げてしまう事が多々ある。そして戸惑わせてしまう。それがキッカケで、線を引かれてしまう時もある。うま

柔らかい言葉は誰かへのラブレターで出来ている

毎日一通かならずラブレターを書いている。 宛先は最初からは決まっておらず、その都度出す相手を決めている。 でも大抵はその時、心の半径1メートル以内にいてくれる誰かに宛てることが多い。 宛名は、書かない。 大切なのは「やりたい」ではなく「できる」と自分で決断すること。どうやってやるかなんてその後から考えればいい。その瞬間から夢は夢でなくちゃんと触ることができる現実になるから。 だって大変だから。新しいジャンプは怖いから。描く夢が大きければ大きいほどに、私たちの頭や心は「不

格好なんかつけなくて良いんだって。誰も見てやしないから。

と、雑なことを思い始めてから文章を書くのが楽しくなりました。 前は本当に全然書けなくて。言葉を紡ぐのに1週間かかるのもザラでした。もちろん、たくさん考えて考えて考えて紡いだ文章は美しいけれど。 たった1度の幻のホームランを狙うより、とにかく小さな当たりをたくさん狙いたい。そんな気持ちな今です。 結局、全然テンポよく書けなかったときの原因って、必要以上に格好つけようとしていたからなんですよね。 そんな顔の見えない誰かを気にして格好なんかつけなくって良いの。誰も気にしてるほ

習慣になってしまった事を辞めるには断固たる意思がないと

自分史の更新をはじめたので、こうしてまいにちの日記を綴るのをやめようと思っていたのだけれど。習慣化って怖いもので、タバコやコーヒーと一緒で、ないととっても気持ち悪い。心地悪い。と感じるようになってしまいました。ということでこの「まいにち日記を書く」も知らないうちに中毒性を持ってわたしの生活に溶けこんでしまっていたらしく、こうして今日もカタカタをやってます。続けられるところまで書こうか。 今日は勝手にオフと決めつけて(やることはいっぱいあるのにね。ごめんね。)1日のんびりして

何気ない日々を綴って45日目 #まいにち日記部

「何気ないまいにちを残そう」と決めてはじめた #まいにち日記部。その名の通り日記をまいにち更新するだけの、とてもシンプルなもの。 わたしが主催させていただいているオンラインコミュニティ .colony の部活のひとつとしてはじめました。 1年後、3年後、10年後。ふと開けたときに「あの日こんなことしてたのか」とか「思ってたのか」とか、そんな場所になれるように。 ”誰か” の目線を気にしないで、とにかく自分のために綴る。未来への自分のお手紙のような存在になればいいなあ、と思

来世は鳥か雲に生まれたい

普段は見上げるものなのに。この瞬間は、こうして対等な目線で、視線を交わすことができるのだなあ。 触れたらふわり、たちまちしゅわしゅわと崩れて、舌の上にじんわり幸せな甘さを残してくれそうな、そんな綿菓子のような雲が、分厚いガラス越しにこちらを見つめている。 青から緑へ、緑からオレンジへ。その下のほうは、灰色なのか群青色なのか。なんと表現して良いのかわからない色へとグラデーションした空は、ピンクグレープフルーツのように、まんまるで、真っ赤に輝く太陽をそっと、文句も言わずに支えて

小細工じゃなくて、震える心に会いたくて

うだるような暑さから逃れるように、偶然右手にしていたゴムできゅっと髪を縛ってみる。東京からつけてきていたはずなのに、カラフルなブレスレット達に埋もれて、その存在に今日まで気がつかなかった。 「そこに確かにあるのに、存在していないと思い込んでいる状態」に、名前をつけるとしたらなんだろう。そしてそのものは、果たして本当にそこに存在していると胸を張って言えるのだろうか? そんな小難しいことを考えるわたしの首元を、すっと風が通りすぎていく。いつの間にか髪が伸びたなあなんて、さっきま

力ではなく愛を。 地雷ではなく花を。

オールドレンズでとらえた、沖縄をゆるりお散歩中に出会った花が本日のアイキャッチ。玉ボケが美しい。やっぱり写真が好きです。 ここ数日、恥ずかしながらちょっとウダウダと悩んでいました。 ちなみに今はもう元気です。2日間くらいひたすらに低空飛行していたけど、今は上昇気流を捕まえたので、あとはのぼるだけ。 あの珈琲屋さんに行こうとか、この音楽聴いてみようとか、余裕も出てきました。しばらくは大丈夫。 「自分の働き方や生き方を人に話すのであれば、胸をはりなさい。でなければ誰もついて

この秋にしたいことをひたすらに、欲張りに

(共通テーマ:この秋にしたいこと) いつもの日記よりもすこしハードルを上げてみたら、ことごとく眠気に負けてしまい、こんな時間になってしまいました。やはり、まいにち日記を書き続けるには、ゆるさが必須なのだなあ。 私が主催させてもらっているときめきのコミュニティ.colonyの部活メンバーで、「この秋にしたいこと」を共通テーマに、今回は日記を書いています。 20代最後の秋。世間一般的な「紅葉を見る」とか「本を片っ端から読んでみる」みたいな、秋らしいことをしてみようかな...

手作りクッキーのような1枚を

何かに向かってシャッターを切り始めてから、早8年が経過しました。 今まで撮ったいろんな写真を見返しながら「わたしはどんな写真が撮りたいのだろうなあ」って考えていて。 そしたら、なんとなく言語化できたので、お気に入りの写真とともに、残しておきたいとおもいます。 あ!っと驚かせるような、派手なホールケーキじゃなくて。 わっと元気が流れ込んでくるような、カラフルなマカロンでもなくて。 口にいれた途端、形をほろほろって崩しながら、優しい気持ちにしてくれる。手作りのクッキー