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わたしは誰かに叱られたい

今年でいつの間にか30歳になる。

「書く」を仕事にしはじめて、気づけば3年近くが経っていたし、コツコツ続けてきたSNSも今では驚く事に9000人もの方が見てくれるようになった。

noteも #まいにち日記部 で日記を書くようになって、月間5万人が見てくれているらしい(びっくり。noteの拡散力はすごい。)

ライティングの仕事も、前は取材やキュレーションが多かったけれど、今はコラムやエッセイなど、自分の心の内を書かせていただく機会が多くなった。(あまり公表していないけれど、紙媒体でもちょこっとだけエッセイを書かせていただけるようになった)

だからこそ、わたしは多分今、足元が暗くてよく見えない。

フォロワーが増えれば増えるほど、年齢を重ねれば重ねるほど、発言や記事に対して批判を受けたりダメ出しを受ける機会が極端に減った。

それは「特別に良くなった」というよりは、
「もうのちさんは3年も書く仕事をしているし」だとか
「30歳だし」
という理由が大きいような気がしている。

叱られているうちが花だと思え

あの時は「ですよね。そうですよね」なんて相槌を打っていたけれど、そんな事本当は微塵も思っていなかった。
せっかく作ったデザインを突き返してくる先輩も鬱陶しかったし、原稿を真っ赤にして返してくる編集者にもイライラしていた。(本当にごめんなさい)

「経験と歳を重ねると誰も怒ってくれなくなるぞ」
何度も言われたその言葉の、何が悪いのかも理解できなかった。
怒られない方が息がしやすいし、自分にとって都合が良い。
誰もが「最高ですね!」「素敵ですね!」と言ってくれたら心地良い。

そう思っていた。

だけれど30歳を目前にして、今思うのは例外なくやはり

叱られているうちが花だと思え

なのだ。

あの頃、デザインも言葉も「次こそ”良いですね”って言わせてやる!」と必死になって何度も何度も書き直した。作り直した。
”作り手”としての私の熱が、ぶわっと注ぎ込まれていたように思う。

それが今、どうしても出しづらくなってしまっている。
だって70%の力で作ったものも、120%で作ったものも、恥ずかしながら30%の力で作ったものも。
一律に「良いですね」で返ってくることが増えてしまったから。

「こんなん駄目ですわ」って原稿を突き返されたいし、
「この前のあのnote、本気意味わからなかったです」って言われたいし、
「最近面白くないよ」って言われたい。

わたしは誰かに猛烈に、叱られたい。

でも叱るにも体力がいるし、年齢的にも経験的にも、今度は私が叱っていく立場にならねばならない。

いつまでも甘えてはいられないのだ。もう自分のケツは自分で、叩かねばならない。

でも。本当はね。
やっぱり「何やってんだ」って、叱られたいんです。


main photo by @Hiroyuki Otaki


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