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皐月第2日曜日の花束

こうするものだ、という固定観念が強い傾向にあるということは最近になって判った。
案外、自分のことは自分が一番知らない。




誕生日は祝うものだ、母の日や父の日は花や酒を贈り、感謝するものだ、というのも
初給料には両親に何かプレゼントするものだ、ということも。




同じDNAを持つ兄弟はそんなことしてなかったが私にはそれが不思議だった。




そのうちママを旅に連れ出した。
あちこち、あちこち。
満足そうな顔を見ると親孝行してる気分になった。




少しずつお小遣いを貯めてカーネーション、肩たたき券やお手伝い券、レインボーカラーの薔薇の花束を贈ったり、ラナンキュラス、紫陽花、カーネーション。。。
毎年毎年、贈った。




誕生日にはホテルのレストランでフカヒレコース食べたり、日帰り旅行や、時計、貴金属なども、贈った。




でも、私の誕生日には殆ど何も無かった。
ママがそういう性格だったから。
そして私はやがて、誕生日も母の日も贈らなくなった。
2018年頃の喧嘩が発端だった。




しなくても
良いことだったかもしれない。
別にしなくても何も変わらなかったかもしれない、最初から。



兄弟はそもそも何もしてないし、母の日も誕生日も七十二節季やイベントもやらなきゃと思った私の幻想だったのかもしれない。





たくさんのお金を遣って、時間をやりくりして体力も使い、喜ばせようとしてきた過去の自分が健気で無知でイヤになる。






3才までの可愛さで親孝行は終わってるから求めるな、と去年親になった親戚に言った私は本気だった。




だけど、それじゃ。。。
とも思う。




周りがしてもらったことを与えられずに、
淋しく思った子供時代の私が、
母の日に何もないママの気持ちを癒そうとしたんだろうと思う。




今年も
贈らないと思う。




今日が何月何日か分からないママは
してもらうことがいつも当然で高みからプリンセスのような立場で人の動きを見る。





そこがイヤだったけど、もう直らない。
心に響くのは自分にとってとても良いか、悪いかの反応のみだったから。




私は今、
ザ・ノンフィクション 特別編 
あの日僕を捨てた父は~孤独な芸人と家族の再生~を見ている。
一番始めの頃から何回か見た。
ゲーム芸人フジタさんとその父の話。





小2でフジタさんを1人残し家を出ていったお父さんと再会し、介護に入るその話にフジタさんの気持ちが凄く分かり、切なくもなる。




反対に捨てた子供に面倒を見られるお父さんの気持ちを想像したけど、到底理解は出来ず私ならこんなに甘えられないと思った。









普通の曇りの5月の第2日曜日
それでいい。
だけど、この世に出してくれたことだけはいつまでも感謝だと思う。






ママ、ありがとう





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これからも人の心に何かが灯る記事の為と猫のために大切に使わせて頂きます(*´▽`*)