2018年 東松山市長選挙 5日目分析

 本記事は、江口友子 平塚市議会議員が、安冨歩候補の演説を、途中からtwitcastingで配信して下さった動画を元に、文字起こししたものです。


■ やすとみ歩東松山市長候補、高坂駅西口前のライブ 20180705

■ やすとみ歩東松山市長候補、高坂駅西口前のライブ2


■ 2018年7月5日(木)夜  安冨歩候補 高坂駅前演説(文字起こし)

(演説途中から)

しかし、銀行に入って、分かったことは、

(聴衆に対して)
こんにちは。

それはほとんど意味のあることが行われていないという、そういう組織であるということでした。
私は、銀行という組織は、国民からお金を集め、そのお金を意味のある企業に、あるいは、意味のある事業を興そうとしている事業家に提供し、その事業の発展を促す、手伝うことで利益を得ている企業かと思っていました。
しかし、実際に入ってみると、ほとんどそういうことは行われていませんでした。
銀行というのは、

(聴衆に対して)
こんにちは。皆さん、こんばんは。お疲れ様です。
大学の授業はあんまり面白くないと思いますが、無理して出ないで下さい。
単位を掻き集めても大して賢くなりません。
自分で考える、足しになるようにして下さい。

それで、銀行に入って、分かったことは、お金の必要な人にはお金を貸さず、お金の要らない人にお金を貸す会社であるということでした。
基本的には、銀行員、日本の銀行員は、担保が有るか無いかしか考えていません。
しかも、その担保は、きちんと意味のある担保が有るか無いかではなく、書類上、担保が揃っているかどうかだけが問題になっていました。
ですから、1億円の担保力のある人がいれば、1億円貸しますが、お金の無い人は、お金は、資産のない人には、貸しません。
そして、例えば私の場合に、2年目に融資勧誘をやっていましたが、担当している企業が200社以上あって、ほとんど、自分が担当している企業がどの会社なのかすら分かりませんでした。
しかも、書類の大半は「担保が1億円あるので、1億円貸しても大丈夫です。」という内容の申請書ばかりで、私はこんなものは「書いたって何の意味は無いよね。」と思っていました。
その上、やがて、日本円の急激な上昇に伴い、日本円資金が膨張し、その資金を民間の需要に関係無く、ただただ提供するという、奇妙な仕事が始まりました。
今度は、主として用いた手段は相続税対策でした。
土地を持っている人は、相続する時に、ほとんど、かなりの部分を国に盗られてしまいます。
その制度は、戦争中に戦費を調達するために導入されたものでしたが、戦後、日本社会では、ある種、経済の、社会の中心的な機能を担うものと位置づけられていました。
つまり、所得分配の、有力な家の出身者から一般の人に還元するという機能を担っていたんです。
そこで、銀行は、この不動産、土地相続に目をつけました。
土地は、その上にアパートとかを建てると、評価が下がります。
ですから、1億円の評価額のある土地の上にアパートを建てれば、その価値は大幅に引き下げることができます。
そして、アパートの借金の分も合わせると、相続税をほとんど払わなくて済むという、そういうストーリーでした。
そこで私達は、毎日のように街に出掛けては、不動産を持っている人を訪ねて、「相続税でエライ目に遭いますよ。」と脅して、そして、不動産屋を呼んできて、アパートを建てさせて、それにローンにするという、そういう仕事を一生懸命やるようになりました。
で、こういうことをしている内に、私は、十二指腸潰瘍になってしまいました。
そこで、だんだん、「こんなことをしていても、意味が無い。」、そういう風に考えるようになりましたが、それは、住友銀行では通用しない考えでした。
その会社は、意味が有るか無いかを誰も問いませんでした。
人々が問うのは、それが「ノルマかどうか、数字として評価されるかどうか。」でした。
ですから、銀行員達の人を褒める場合の言葉は「あいつは数字の作れるやつだ。」という、そういう表現でした。
そこで私は、とうとう、こんな所にいたら死んでしまうと思って、しかもですね、その労働たるや凄まじい長時間労働で、朝6時に起きて7時くらいに出発し、寮に帰ってくると、夜の11時くらいでした。
そこから、ご飯を食べたら、持ち帰りの仕事を1時くらいまでする。
そんなことを続けている内に、私はどんどん疲弊してきて、「こりゃ、生きている意味が無い。」、そう思うようになったので、銀行を辞めました。
それで、京都大学の経済学部に戻り、大学院に入って、「何でこんなことになるんだろう?」ということを研究し始めました。
私がその銀行に入ったのは、京都大学のOBが沢山いて、しかも、その人達が、非常に優れた人だったからです。
「どうして、ひとりひとり、優れた人達が沢山集まって、訳の分かんないことをみんなでやるのか?」
これが私の興味となりました。
ちょうどその頃、私は、中国に友達を訪ねて旅したのですが、たまたま、いわゆる、天安門広場における民主化運動に遭遇しました。
北京大学の友人と一緒に天安門広場に毎日遊びに行って、そこで座り込んでいる中国人の学生達と一緒に座っていました。
やがて、中国の北京では、人々が街に溢れるようになり、5月の十何日に私が北京を離れたときには街中に人が溢れ出していました。
その光景は、実に驚くべき光景であって、それまで私が秩序ある社会だと信じていたものが、無秩序であって、「人々が、恐怖から、その恐れを振り切って、街に飛び出してくるっていう、その状況こそが、秩序なんだ。」ということを、身に染みて感じました。
当時、バブルに狂い始めていた日本は、私の目には、完全な無秩序に見えました。
そして、事実、そのバブルはあっという間に崩壊し、今日に至る失われた10年、失われた20年、失われた30年、どんどん伸びていく時代が始まってしまいました。
何で、そんなことになったんでしょうか?
それは、人々が、意味の有る活動にエネルギーを注がないで、意味の無い、しかし、「数字の作れる」仕事に力を注いでいたからです。
数字はどんどん膨らんでいきましたが、中身はありませんでした。
そして、巨大な数字が崩壊するとともに、全ての中身は吹き飛んでしまったんです。
それが、今日私達が、日本経済の衰退に苦しんでいる時代の始まりでした。
もちろん、それは、単に銀行員が銀行の命令で意味の無い仕事をして巨大な負債を作り出し、経済の根幹を潰してしまったというだけではありません。
その背後には、少子高齢化という問題があります。
高齢者がどんどん増えていって、生産人口が減っていく以上、それを支えるための分配という大きな問題を抱え込んでしまい、この分配を適切に解決させない限り、経済や政治の軋轢はどんどん膨れあがっていきます。
そこで、日本社会は、問題に直面することを回避しました。
その代わり、国債を発行し、問題を隠蔽することにしたんです。
問題の隠蔽は、日本社会の大きな特徴です。
問題を露わにする人は、嫌われます。
問題は、みんなで覆い隠すのが正しい解決方法だと、多くの人が考えています。
それは、この東松山市も変わりません。
この街はかつて、「ヂーゼル(旧ヂーゼル機器、現在のボッシュ)」という自動車の部品工場の城下町でした。
高度成長期に、莫大な規模の工場生産が展開し、街の経済をほとんどは、この自動車部品工場と結びついていました。
この会社は、とんでもない量の汚染物質を垂れ流していました。
それは、当時の日本社会では合法的なものでした。
やがて、水俣病やイタイイタイ病が明らかになり、この汚染が、やがて大きな問題になるだろうと考えた時、東松山市の人々はその問題に直面することを回避して、埋めてしまいました。
工場から、市ノ川へ流れ込む地帯の汚染は、上に砂や土が入れられて、現在、住宅地になっています。
その中で、五領町という部分は大きな問題を引き起こしていて、地盤沈下が分譲中に始まって中止するというような事態が

(配信接続切れ)

(配信再開)

その後、わずか数年で、現在では、500(兆円)に近づいています。
日本のGDPをまもなく日本銀行の規模は超えるでしょう。
こうやって、銀行や生命保険会社から国債を買い取って、銀行や生命保険会社はそのカネで国債を買っています。
こうして、私達の財政が支えられ、景気が回復している。
また、私達の労働した成果の一部を年金基金として積み立てていますが、その規模は、とてつもなくでかいんです。
100兆円超える規模ですが、かつてそのカネは、ほとんど全てが銀行や安定した資産にのみ回されていましたが、安倍政権はこれを株式市場に投入すると決定し、次から次へと何十兆というお金を株式に投入することで、株価を高めました。
現在、日本経済は、長期に亘る、非常に長期に亘る景気回復という過程に入っているとされていますが、これを支えているのは、日本銀行の膨張と、公的資金、公的資産の株式への投入ということによって支えられています。
これもまた、物事の隠蔽の1つの形態だと私は思います。
最も極端な例は、原子力発電所の事故です。
東日本大震災によって発生した、人類史上稀に見る、大規模な災害である、福島第一原子力発電所の爆発という、恐るべき事態は、現在では、私達の日常生活からほとんど無関係なところに切り離されています。
福島では、毎日、除染が行われていますが、除染というのは、地面の表土を切り取ったり、あるいは、屋根の上のこびりついた放射能を流したりして、それを隠蔽するという作業です。
土嚢に積んで、その周りに放射能が外に出ないように、土嚢を積み、大きな袋を作って、その袋をまた運んでいって、また運んでいって、集めて、集めて、集めてということの繰り返しでできています。
これによって、放射能が無くなるわけではありません。
放射能が、私達の目から消えているだけです。
こうやって、放射能を隠蔽し、原子力発電所は、また、次々と稼動し、さらに、海外で新しく建設するという方向に進んでいます。
そもそも、原子力発電そのものが隠蔽でした。
なぜかというと、それは、核攻撃能力、つまり、核兵器を作るための能力を維持するという国家的な軍事力の確保のために行われていたからです。
かつて、科学技術庁という省庁がありました。
私は、子供の頃から、科学技術庁というのは、科学技術を発展させるためにあると思っていたんですが、これまた、つい最近知ったことですけれども、科学技術庁のやってた仕事の大半は、ロケットの開発と、核燃料再処理、それから、高速増殖炉、この3つだけでした。
他の事業は、ごく僅か、申し訳程度に行われていたに過ぎません。
ロケットに、核生成物を詰め込むということは、つまり、核ミサイルを作るということですが、「科学技術庁」というのは表面上の名前で、本当の名前は、「核ミサイル開発庁」だったんです。
それが証拠に、この核兵器をいつでも開発できるけれども、核武装はしないという形で全体的な核武装能力を維持し、それによって、冷戦を戦うという戦略は、中曽根康弘という有名な政治家によって、立案、推進されたものですが、中曽根さんが、そもそも、原子力発電の推進に大きな役割を果たしたことは知られています。
そして、中曽根さんは、科学技術庁の長官を3回もやっています。
なぜ、そんなに科学技術に興味があるとも思えない、中曽根さんが、そんなに比較的小さな省庁の長官を何度もやったのかと思っていたのですが、それは、核ミサイルの開発のための全体的能力を確保するという、重要な国家的目標を実現するためであったということを最近になって知りました。
その科学技術庁は、現在、文部省とくっついて、文部科学省になっています。
ということは、私達の大学、私が勤める国立大学法人や、多くの教育機関を統べている、文部科学省の本当の名前は、「文部核ミサイル開発省」だということになってしまいます。
こういったことの全てが、私達の日常生活の全てを作っているんだと、私は思っています。
つまり、問題は露呈させずに、隠蔽し、そして、どこかへやってしまう。
そうすることによって、目の前の、仕事を片付ける。
これが、日本社会を覆っている、基本の仕事のやり方です。
こうすると、大きなツケが、どこかに生まれてきます。
そのツケはどこに行くんでしょうか?
それは、常に、弱い方へ流れて行きます。
1つのツケが生まれると、そのツケは弱い方に流され、流された人は、また、それをもっと弱い方に流して行きます。
そして、そのツケが溜まっていくのが、最も弱い人達、つまり、子供達です。
私達の日常社会を安寧に、平和にするためのツケは、私達の子供達に、全て、振り向けられています。
その最も分かり易い例が、国債であり、あるいは、原子力発電所です。
原子力発電によって、今、起こした電気は、私達が使えますが、そうやって生成された核生成物は、子孫へと残されます。
そういうやり方で、世の中を運営していれば、当然ですが、心ある人は、子供なんか持たない、持ちたくない、そう思うのは当然です。
私達が、残したツケを払わせる人を自分達が産むというようなことを誰が好んでやるでしょうか。
私は、人口が減っているのは、人々の現われだと思っています。

(江口友子 平塚市議会議員「本当だよね。」)

このような社会のあり方を継続すれば、運悪く、産まれてきてしまった、若い人達は、生きる希望を失うのは、当然です。
そんな巨大なツケを、1人あたり2000万円を超えるようなツケを背負わされ、しかも、国中に放射能をばら撒かれ、いつ、爆発したり、流出するかもしれない原子炉が、数十基あるような国に産まれて、どうして、ニコニコしていられるでしょうか。
「今の若者は覇気が無い。今の若者は夢を持たない。それは問題だ。」っていう人がいますが、私は、ここでニコニコしてる人がいたとしたら、その人はどこかおかしいんじゃないかと思います。
私達は、これ以上、ツケを子孫に回してはいけません。
そんなことをしたら、私達の暮らしが成り立たなくなってしまいます。
今まで、日本社会で発生したツケのかなりの部分は、いわゆる、発展途上国に回されていました。
かつて、日本は、巨大な汚染に覆われていました。
例えば、東松山も沢山の工場の廃棄物によって、覆われた街でした。
今、私達は、綺麗な環境を、表面上享受していますが、これは、日本人の努力が実ったからよりも、中国に工場を移したからです。
どうぞ、中国に一度行ってみて下さい。
北京でも、息を吸うのは困難なくらい、空気は汚れていますが、ほとんどの人は北京しか行きません。
しかし、是非、北京の周辺の農村地帯を車で行って下さい。
100km走っても、200km走っても、汚染は続きます。
巨大な汚染のドームが、北京の周辺を覆っていて、水は真っ黒です。
その真っ黒の水で農業が行われています。
中国全土は、現在、かつての東松山よりも酷く汚染されています。
これらの国で工場が作られて、工場で製品が作られて、それが私達の生活を支えているので、私達は、綺麗な空気を吸い、美しい水を飲むことができるんです。
これもまた、隠蔽の方法ですが、残念ながら、これは日本が他の国よりも、経済的に圧倒敵に力が強いという条件の上に満たされていました。
しかし、現在、中国は急速に力をつけています。
私はかつて、一度、GDPを年代別に切ったらどうなるかという風に調べてみたんですが、例えば、60歳以上の人口を比べると、日本は中国とそんなに変わりません。
だいたい、3倍か4倍くらいしか中国は大きくなく、しかも、高年齢層の1人当たりの所得は、日本人の方が高いので、全体として日本は中国よりも圧倒的に大きい。
しかし、私達の世代より下、30歳くらいの規模を見ると、人口は10倍位あって、しかも、所得はあ、中国の方が10分の1ということはありませんので、既に中国人の方が経済規模は大きくなっていました。
そして、30歳以下を見ると、中国は、日本の若者の20倍近い人口があって、しかも、その1人当たり所得は、おそらく、日本の若者の1人当たり所得より高いんです。
例えば、ジャック・マー(馬雲 / 1964年~現在 / アリババ社の創業者)というような、世界一の大金持ちの1人が、その年代で出現していますが、それはほんの一握りであって、ものすごい数の実業家が中国では成功していて、若者もお金持ちです。
おそらく、この経済規模は日本の何十倍になってしまうでしょう。
ということは、将来、中国の汚染は、必ず日本に流れ込んできます。
日本が中国へと追いやった工業生産は、もう一度、日本に帰ってきてしまいます。
やがて日本は、圧倒的な中国の力の前に、中国のゴミや汚染物を引き受ける国になってしまうでしょう。
そんな国になってしまえば、もはや、私達は、この国を子孫に遺すことは不可能になります。
ですから、私達は、今、方向を変えないといけないんです。
力によって、問題を隠蔽し、弱い人に押し付けていくという方法を止めないといけません。
さもないと、私達が、そのクジを引くことになってしまう。
もちろん、日本は長く、アメリカによって多くのものを押し付けられ、それを受け入れてきましたが、もっと巨大な中国という国のツケも背負わされる日がやってきます。
私達は新しい生き方を示さないといけません。
そういう生き方を放棄しないといけないと思います。
さもなければ、私達自身の現代の豊かな国土や綺麗や空気を守ることができない。
私達の豊かな生活を守ることもできないんです。
世界経済の巨大なシステムの歯車の1つになってしまえば、東松山なんか、イチコロで吹き飛んでしまいます。
巨大な国債や日本銀行といったシステムによって辛うじて回っていますが、これが機能しなくなった時、おそらく、3000万人という首都圏は崩壊するでしょう。
もはや、維持することはできないと思います。
そうなった時のことを、今、考えましょう。
そして、今、私達に残されている、豊かな空気や、豊かな自然や、美しい水や、そういうものを私達の暮らしの中心に置こうではありませんか。
東松山には、素晴らしい文化があり、素晴らしい歴史があり、素晴らしい空気があり、素晴らしい自然があります。
そして、人々の間のつながりも、失われていません。
これらの資源は、私達が、世界経済の危険な作動から、自分達を守りながら、経済発展を続け、豊かな暮らしを維持していくための不可欠の資源です。
これを、これ以上、少しでも、すり減らしてはならないんです。
道を拡幅してはいけないんです。
なぜなら、それは、街を破壊するからです。
ショッピングモールを作ってはいけないんです。
それは、街の商売を成り立たせなくなってしまうからです。
シャッター街をこれ以上増やしてはいけません。
街を復活させましょう。
古民家を潰してはいけません。
それは私達の歴史そのものです。
昔々、鎌倉時代や江戸時代から続く家を、途絶えさせてはいけません。
そういう、お屋敷を、相続税や固定資産税の餌食にしてはいけません。
そういう家が無くなってしまえば、松山の中核は失われてしまいます。
そして、それらの資源を、子供達に活かしてもらいましょう。
私達大人は、それを経済的なオカネに取り替えて使ってしまうようにしか、もう、考えられないんです。
問題を隠蔽し、オカネで何とかして、どっかにツケを回すという生き方以外、私達にはできないんです。
それを受け入れましょう。
私達自身が創造的に生きるなんてことは、どうぞ、諦めて下さい。
そんなことを急にやれと言われたって、恐ろしくなるだけです。
それは、子供達に任せましょう。
子供達は、自分自身で感じ、自分自身で考え、自分のやりたいことをやるという力を持っています。
子供達を愚かな学校教育の餌食にしてはいけません。
ひとりひとりの豊かな楽しい遊びを奪いとって椅子に座らせて、意味の分からない授業を聞かせるなんていう暴力を振るってはいけません。
ご飯を食べていない子供や、寝る所も無い子供や、親に殴られてる子供や、仲間に虐められてる子供がいるのに、平然と授業をするというのは、私は恐ろしいことだと思います。
子供達や若者が持っている、生きる力を大切にしましょう。
それ以外に、大人が頼るものなんか、無いんです。
私達が、思い付くものといえば、国からオカネを取ってくるということだけです。
しかし、その国から取ってきたオカネというのは、私達の子孫から奪ったオカネに過ぎません。
そんなものに頼って、一体、何を実現できるというんでしょうか。
若い人々の創造力や、楽しむ力こそが、私達が頼る唯一の資源です。
年を取った時に、オカネなんかあったって、しょうがないんです。
年を取った時に、お札に頼ったって、お札は助けてくれません。
お札と引き換えに、自分達を助けてくれる若い人がいなかったら、一体誰が助けてくれるんでしょうか。
今の内に、子供達に、恩を売りましょう。
子供達を、喜ばせましょう。
この街を、子供達が望むような街に、造り替えましょう。

(安冨歩候補が、聴衆に向かって手を振って)
ありがとうございます。

子供達を喜ばせるのは、簡単なんです。
例えば、ここに10万円あるとしたら、その10万円で小学生を天に舞うほど喜ばせることができます。
しかし、10万円を大人に配ったって、ちょっと飲みに行ったら無くなってしまいます。
大人を喜ばせたって、しょうがありません。
どうせ大人は、オカネが無くなったら、もっとよこせと言うだけです。
そして、またあげたって、そんな恩はうっかり忘れて、すぐに裏切るに決まってます。
それは私達自身の心の有り方を振り返れば分かることです。
しかし、子供たちは違います。
子供は喜べば覚えています。
自分を喜ばせてくれた人のことを。
子供は覚えています。

(安冨歩候補が、涙ぐむ。)

皆さん、子供を守りましょう。
子供を守りましょう。
子供を守れば、私達の未来が拓けます。
子供にツケを回せば、私達の未来は消えて無くなります。
若者を助けましょう。
若者が楽しく遊べる場所を作りましょう。
子供達が遊べる場所を作りましょう。
子供達の望むように街を作っていきましょう。
それが、

(安冨歩候補が、聴衆に向かって手を振って)
ありがとうございます。

私達の未来を拓く唯一の方法です。
大人の都合に、子供を合わせるのは、私たち自身の首を締めることです。
これから、私達の人生は、どんどん伸びます。
女性は90歳位まで生きますし、男性でも85歳まで生きます。
これもさらに伸びていくんです。
こうやって、伸びていったときに、一体、誰に面倒を見てもらおうっていうんでしょうか。
皆さん、子供を守りましょう。
子供の心を守りましょう。
子供を喜ばせましょう。
そして、子供の大好きな、馬や羊や蛍やトンボやカエルを街に呼び戻しましょう。
松山には、沢山の蛍がいます。
これは、市が公共事業をして、市民が力を合わせれば、街中に呼び戻すこともできます。
松山や、東松山や、高坂の駅に、蛍が飛んでいるような街にしようではありませんか。

(安冨歩候補が、聴衆に向かって手を振って)
ありがとうございます。ありがとうございます。

(安冨歩候補が、涙ぐんで)
ありがとうございます。

(安冨歩候補が、涙を拭った。)

皆さん、子供を守りましょう。
子供を守りましょう。
子供を守りましょう。
子供を守りましょう。
子供の視点で考えましょう。
子供に訊いて下さい。
子供を叱る権利なんか、大人にはありません。
こんなくだらない世の中を作っておいて、しつけなんかする権利が、大人にあるはずがありません。
子供は王様です。

(安冨歩候補が、涙を拭った。)

私は、東京から、去年、ちょうど1年位前に松山に引っ越してきました。
東京には、空なんかありません。
東京に、本当の空なんか、無いんです。

私は、大学の官舎に住んでいたので、地下鉄で大学に通っていましたが、それは、ラッシュアワーが遥か前に終わっただいたい10時くらいに行けば良かった。
しかし、10時くらいに地下鉄に乗ろうとすると、地下鉄が臭過ぎて乗れないんです。
千葉から東京まで1時間以上、鮨詰めになった人々が何度も何度も運ばれて、その電車には恐ろしい臭いがこびり付いてしまっているんです。
そして、みんなが、会社に行って、1時間以上経った時間に乗ろうとしても、電車は、恐ろしい臭いを発しているんです。

(安冨歩候補が、涙を拭った。)

それは、人々が、無意味に耐えているからだと思います。
無意味の重圧に耐えて、生きているんです。
「自分のやることに、意味なんかあるはずが無い。砂を噛むような、意味のないことをするのが人生だ。」って、みんな、信じています。
その恐ろしい街に、東松山の大切な子供達を投げ込むのは止めましょう。
子供達は、松山の未来です。
1人だって、出て行っちゃダメです。

教育は、人間を育てる場ではありません。
現代の教育は、人間を吸い上げるだけの装置なんです。
私は、大阪の堺市というところのニュータウンで育ちました。
今日、高坂のニュータウンに行ってきましたが、景色はそっくりでした。
日本中、同じ街が、同じように、同じ時に、作られたんです。
その街で、私は育ち、その地域の進学校に進学しました。
今、その進学校にいる仲間は、誰も私の産まれ故郷にはいません。
みんな、私みたいに、東京に来ています。
同窓会も、東京でやるんです。
いい学校に入れると、その子は街を去っていきます。
いい大学に入れると、その子は街を去っていきます。
人間を吸い上げて、東京という、無意味な回転する恐ろしいところに投げ込むのが、高校や大学の機能なんです。
そんなところに、一生懸命働いたお金をつぎ込んで、どうするんですか。
今、学費は、どんどん高くなっています。
それでも大学は、赤字になっています。
先生も、とても忙しくなっていて、「研究したかったら、大学に就職しちゃいけないよ。」
私は、若い学生に、そう言っています。
学生達も、どんどん忙しくなっています。
私が学生の時は、京都大学は、天国みたいな所で、大学の中に雀荘があって、5時間、1人200円で麻雀ができて、私達は、400円払って、10時間位麻雀をしていました。
それでも、単位は、自動的に入ってきました。
関西では、「京都大学では単位は天から降ってきて、神戸大学では道に落ちていて、大阪大学では地面に埋まってる。」って言われてました。
しかし、現代の大学では、単位は、堅いコンクリートの下に埋まっています。
京都大学では、自由に遊ぶことができました。
私が、小学校、中学校、高校、大学の中で一番大好きなのは、大学時代でした。
なぜなら、勉強なんか、これっぽっちもしなくて良かったからです。
その代わり、私達は、毎晩、お酒を飲んで、麻雀をしながら、議論をしていました。
私が、学者になったのは、友達の議論に勝ちたかったからです。
友達と議論していて、知らないことや、聞いたこともないことを聞くと、物凄く恥ずかしかったので、その本を読みました。
そして、その中を理解して、人に説明し、みんなから凄いなって思われたら、とても嬉しかったんです。
そうやって、友達同士で議論したり、切磋琢磨するのが、教育ということが機能する唯一の場です。
学生同士を切り離して、教室に詰め込んで、地面の下に埋まっている単位なんかを掘り出さしたって、ちっとも賢くならないんです。
そんなことでは、知的好奇心は、失われていきます。
私達が必要としているのは、歯を食いしばって働く労働力ではありません。
現代では、そんなものは、要らなくなっています。
なぜなら、コンピュータがあるからです。
ノーバート・ウィーナーという、アメリカの偉大な数学者は、1940年代に、フィードバックという概念を考えました。
それ以前、機械は、作動するだけで、人間が見て、それを調整しない限り、動けませんでした。
それで、工場には、沢山の人間が働き、動く機械に合わせて必死に働く必要があったんです。
沢山の機械がある大きな工場を、沢山の人が心を1つにして働くという、難しい仕事に、日本人は長けていました。
それゆえ、日本は、戦後、急成長を遂げて、世界でも最も豊かな国になりました。
しかし、それは、もう、昔の話です。
なぜなら、ノーバート・ウィーナーが、フィードバックという概念を発見し、「センサーを機械につけて、そのセンサーをコンピュータで操作し、オートメーション機械というものを作り出せば、人間を機械の奴隷にしなくて良くなる。」、そういうことに気がついたからです。
実際、それが、戦後、急速に、経済の中核になっていって、現在では、オートメーション工場という言葉は、死語になっています。
なぜなら、全ての工場がオートメーションだからです。
現代の工場で必要とされる人間は、機械を作る、工場のシステムを作ったり、修正したりする人間と、機械にやらせるのが馬鹿馬鹿しい労働をやらせる、低賃金労働者の2種類だけです。
そんなところに、現代の日本の若者の入るスペースはほとんどありません。
現代の経済で、意味の有る、人間の経済の活動は、遊ぶことです。
機械は、どんなに頑張っても、遊ばないんです。
人間は、遊ぶ人です。
これは、ホイジンガというオランダの歴史学者が、1930年代、ナチズムやファシズムが世界を覆っている時代に、提唱した概念です。
彼は、「生真面目さというものが、非常に危険な暴力である。」と指摘しました。
「人間が、創造的である、人間が優しくなれて、人間が意味のあることをできるのは、遊ぶときだけなんだ。」
ホイジンガは指摘しました。
そして、生真面目さは、常に暴力を生み出し、ファシズムやナチズムに帰結するんだと指摘した。
しかし、その言葉は、ファシズムの暴力の前に掻き消されました。
やがて、ファシズムが敗北し、現代は、隠蔽されたファシズムが覆っていると、私は考えます。
隠蔽されたファシズムというのは、見た目が民主的で、中身がファシズムのものです。
見た目が、人の意見を聞いているように見えて、実際は、何も聞いていない。
このファシズムでは、独裁者はいません。
その代わり、システムそのものが独裁者なんです。
人間は、システムの一部として、ファシズムを作動させていて、ひとりひとりには、何の権限もありません。
私達は、右のものを左にパスしてるだけなんですが、やがてそのパスが繋ぎ合わされて、1つの絵になった時に、巨大な暴力が生み出されています。
その1つの現われが、核エネルギーや核戦争であり、もう1つが、環境破壊です。
この2つによって、私達は、人類は、自らを地球諸共、滅ぼしかねない状況に追い込まれている。
こんなシステムの作動に手を貸すのは止めましょう。
こんなシステムを動かすために、自分の子供を投げ込むのは止めましょう。
子供達は、システムの餌食ではないんです。
子供達は、私達の社会の王様です。
ひとりひとりが神の嬰児(みどりご)です。
神の嬰児に仕えればいいんです。
子供を教えたり、しつけたり、教育したり、余計なことをする権利は、地球を滅ぼしかかっている、大人になんかありません。
子供達のみが、この星を救うことができるんです。
子供達の命を守りましょう。
子供達の学ぶ力を信じて下さい。
子供達は、何だって、きちんと理解して、考えています。
その考えを尊重して下さい。
子供に訊いて下さい。
迷ったら、「どうしたらいいですか、王様。」
子供に訊いて下さい。
そうすれば、やり方を教えてくれるはずです。
子供を守りましょう。
それ以外に、私達が現在の苦悩から抜け出す道なんか無いんです。
もちろん、子供を守ったって、人類が愚か過ぎて、滅ぶ可能性は大いにありますが、とはいえ、可能性はそこにしかないと信じています。
私が、今回、市長選挙という、自分でも思ってもみなかったものに出てみようと思ったのは、このことを道で言いたかったからです。
私は沢山本を書いたり、講演をしたりしてきましたし、それが、多くの人々に受け入れられつつあることは、感じていましたが、しかし、あまりにも、遅いんです。
それで、私は、この市長選挙という、公職選挙法に守られて、どんな大声出したって、妨害されない機会を使うことにしました。
人々に、「子供を守ろう。」、それだけ言い続けようと思いました。
あと、2日間、このステージが残っています。
それを、言い続けたいと思いますが、とはいえ、私が負けてしまえば、それは、おそらく、あっという間に皆さんの記憶から消えるでしょう。
なぜなら、日々の生活は、そんなにも大変だからです。
ですから、私は今、本当に、市長になりたいと思っています。
市長になれば、私は、このことを4年間、皆様に言い続けることができます。
市長の言葉をあちこちで言うことができるでしょうし、いろんな広報に書くことができるでしょうし、住民票にだって「子供を守ろう。」と書いてやります。
教育長を任命することができます。
教育長には、私はこのようにお願いします。
「1人でも、ご飯を食べられない子とか、親に殴られてる子とか、友達に虐められてる子とかいるんだったら、授業なんかしないで下さい。まず、その子をどうやって助けたらいいか、みんなで考えて、力を合わせて下さい。そうしたら初めて、授業をする用意が整うはずだ。」
このように、お願いしようと思っています。
もちろん、学校だけで、そんなことを実現させられるわけがありません。
これを実現するには、市役所が、全力を挙げる必要があるでしょうし、また、地域の皆さんが、力を合わせて、子供を守っていく必要があると思います。
もちろん、全ての市で、市の全ての場所で、全ての子供を同時に救う力は誰にもありません。
しかし、少なくとも、1人で救えるんだったら、私は市長になりたいと思います。
皆さん、選挙というのは、面白いもので1回結果が出てしまうと、その結果は、4年間続きます。
7月の8日に、皆さんが選挙に行って、子供を守るか、大人を守るか、決めて下さい。
「大人を守る」と、皆さんが決められれば、それが次の4年間を決めます。
「子供を守る」と、決められれば、それが次の4年間、続くんです。

私は、この5日間、ずっと、一生懸命、いろんなところでお話してきたりしましたが、森田さんと選挙を戦っている気は、全然しませんでした。
むしろ、「森田さんが選挙を頑張ってくれなければ、私の選挙は成り立たない。」、そう思っています。
2人で、力を合わせて、市長選挙を創り出していると、そう考えています。
そして、できるだけ沢山の方に投票所に行って頂いて、 「大人を守る」か、「子供を守る」か、決めて欲しいんです。
そして、もし、皆さんが、「子供を守る。」とお考えになれば、私は全力で、その意志に従おうと思います。
もちろん、これは、とても難しいことだと思っています。
なぜなら、私達の社会は、子供に全てを押し付けるようにできているからです。
その中で、「子供を守る。」っていう、その私の願いを実現しようとするなら、それは、システムの作動全体と大きな軋轢を生むでしょう。
これを、私ひとりの力で何とかするなんて、そもそも、不可能です。
ですから、私は、森田さんや、森田さんの市政を支えてこられた方とも、力を合わせてやっていかないと、いけないと思っています。
半分の人の力で、実現のできることではないからです。
市の全ての人が、力を合わせて頂かないと、これは、実現できません。
そんなことを、どうやったら実現できるんだろう?
それは私にも分からないんですが、しかし、1つ1つ、ひとりひとり、その、子供達の苦労や苦悩を寄り添って、それを解決していくっていう方法でしか、実現できないだろうし、 1つ1つ、向き合っていけば、必ず、道が見えると信じています。
今日、私は、一緒に選挙をして下さっている、運動して下さっている皆さんと、都幾川に行ってきました。
都幾川の河原に行ってきました。
あの2年前の、恐ろしい事件の現場に行ってきました。
そこには、事件後、花を添える台があったそうですが、事件の1年後に取り払われていました。
今では、橋の下の、あの事件の起きた場所に、ビニールがあって、萎れた花が添えられてるだけでした。
もう一度、私は、あの現場に行って、お花を添えたいと思います。
みなさん、都幾川に行って、お花を添えて下さい。

(安冨歩候補が、涙を拭った。)

(聴衆からの拍手)

あの場所は、松山の聖地です。
ありがとうございました。

(安冨歩候補が、涙を拭い、お辞儀をした。)
(聴衆からの拍手)


[安富歩候補の演説の文字起こし だいたい完了]

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