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パス・ザ・バトン

真喜屋監督へ

書簡拝受しました。お返事をすぐに書きたくてまだ早朝だと言うのに筆を取りました。なぜなら以下のあなたの書簡の結びにあったことを受けて、私なりのことを話したかったからです。

“僕から金城家にご報告をさせていただくことになります。それはここ一年以上関わっている金城哲夫監督作品『吉屋チルー物語』の字幕作業が遂に終り、2月中にお披露目をすることが決定したってこと。『吉屋チルー物語』の日本語字幕は、これまでもいくつかありました。しかし今回は沖縄県立博物館美術館の依頼で、きちんと方言監修も入れて決定版を目ざしたもの。朴故人としては、哲夫さんがやり残した仕事を進めるためのお手伝いでもあります。これについて語ると長くなるので、次回の記事で書かせていただくということ”

まずは、私が武富一門のヨシミと涼に宛てたキンジョーステップについての往復書簡から真喜屋監督にまで至るこのドロステ効果ともマトリョ効果とも思える書簡のやりとりがとても興味深い構造になっていると思いました。

そして、そう。沖縄県立博物館といえば、田名館長はお元気でしょうか。私はご縁あって(それこそ福建省の永和さんを連れて会いましたのよ、松風苑といい繋げているのはウルトラも沖縄にもなんら関係のない永和さんという!)沖縄県立博物館田名館長にお会いして大変貴重なお話を伺うこともできたのですが、まさかダナ館長からあなたに繋がるとは思いませんでした。そもそも私とあなたが知り合ったのは91年の夏、オキネシアンムービー『パイナップルツアーズ』がきっかけでしたね。あなたは映画監督という道を歩みながらも、今は古いフィルム修復などの仕事沖縄フィルムアーカイブ研究という仕事もなさっている。しかもそのほとんどが不要になって闇に葬られていくフィルムからたどる沖縄戦後復興史であったりするわけですから、大変面白いですよね。金城哲夫さんの残した『吉谷チルー物語』決定版もあなたがバトンを受けなかったら、決定版として世に出ることはできなかったかもしれないわけで。誰かがバトンを受けているというわけです。そのバトンをまた誰かに渡し、そのバトンはまた誰かによって渡されるという、誰かが止めない限り繋がってゆくわけです。我々人類は事象を記憶し、それを保存し、それを共有し合うこともできる。不思議ですよね。人との出会いも数奇ではありますが、こうして記憶を保存し、それを共有するということもまたいとをかし。しかも映画に至ってはガサガサで保存状態が悪化しているフィルムをデジタルにレストアできる時代。先日見たキム・ギヨン監督の『下女』もスコセッシ監督の働きによってレストアしていると伺いました。スコセッシ監督はフィルムアーカイブに貢献している方だそうですよね。我々は60年代以降70年代80年代と映画をみてきて、ガサガサの何が映っているのか不明瞭な作品まで目を凝らして見入ったものですが、今やそれもデジタルリマスター、レストアという仕事を経て鮮明に蘇る。ゴダールの『勝手にしやがれ』に登場するベルモンドのネクタイ柄がわかったことに嬉々としたり、溝口監督『雨月物語』の湖水をゆく小舟のあの情景に恍惚となるのです。

そんなこんなの名作の忘れられぬショットを想起させる情景を目の当たりにできる現在の私の異国での暮らしも然り。

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ふと、沖島監督のことを思いました。監督とはそれこそ1本しかお仕事しかしていないのですが、沖島作品は比類なきものであって、誰もあの領域には到達ならぬ唯一無二のユーモアに溢れた傑作ばかりでありますが、その中の1本でもご一緒できたこと、そして沖島さんが残したバトンを継承している誰かがきっといるんだってことを考えながら、最初にリベットした写真を眺めてあることに気づきました。これはあなたがかつて東京で暮らしていた際に勤めていたポレポレじゃないですか。え?ってことは、BOX東中野で、支配人が代ちゃんで、、、おぉお!やっぱり『パイナップルツアーズ』に辿り着いちゃいましたね。

そんなところで、『パイナップルツアーズ』には次回触れようかなあ。ああ、沖縄が恋しいな。リンダとアシュラと優しいパー子とコンクリ瓦のあの縁側でまたゆんたくしたいですわね。

ではまた。ご機嫌よくお過ごしください。元気でいてよ。

洞口依子 昨日にいる1月28日朝のバンクーバーにて

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