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洞口依子のら猫書簡


Good morning!Okinawa!miyakoisland!

ひだまりのようにあったかなお返事をどうもありがとう。

neeさんの言葉はひだまりのように暖かでほっこりするなあ。ここの寒さから解き放されまるで島猫気分です。おひさまって大事だよなあって作家の矢作俊彦氏が思わず言葉にした冬の第三京浜の燦々と太陽の陽射しで包まれ走行してる車内の温度も思い出すほど。おひさま大事なバンクーバーは今日は曇りです。

バタバタしていて昨日からほとんど寝ていないのですが、このまま起きて文春シネマチャートの仕事をする前にちょっとタッチします。

昨夜、匂いのことを少し考えていました。好きな匂いってありますよね。私は日向の匂いが大好きで、干したお布団の匂いとか、浜辺でゴロンとなってたくさん陽射しが集まった場所の匂いとか、それは皮膚から漂う場合もあれば、転がってる石や流木なんかからも匂います。そんな陽射しの匂いが好きで、これからの沖縄な実にいい季節だということも昨年の半年滞在で体が良く知っていて、沖縄は春が一番好きです。あの海からの匂い、山からの匂い、どんな匂いと言葉で聞かれてもそれは体感するしかないとしかない、該当する言葉がないか私のボキャブラリーが足りないのかですかね。宮古島の匂いというのも実は私にはあって、ほんのり甘い匂いです。その甘さは決して砂糖や魅惑の甘さではなく、神がもしこの世に存在するのであれば、まさに神が宿ったような匂いかもしれません、いや、神の匂いなんか知りませんよもちろん。昔、マブイ(魂)を落としたことが何回かって、マブイ汲みをしてもらったときにお清めに泡盛を飲まされたんですが、その味わいはまさに甘露水でした。あの甘露水から漂う無臭なのに甘露な。

母親の匂いに落ち着くという赤ん坊のデータがあるようですが、私にはあれが全くなくて、好きな人の匂いといったら誰の匂いを記憶してるんだろうって考えてみたんです。そもそも考えなきゃ出てこないのかって感じですが、でも、一生懸命記憶のヒダヒダを丁寧になぞるように匂いの記憶を思い出したんですね。そしたらやっぱりひだまりの匂いに辿り着きました。その人はいつも太陽をいっぱい浴びたシャツを着ていたように回想します。シャツを脱いだその人の肌からはほんのり天花粉の匂いがして、アルコール、お酒の匂いもたまにしたり。で、目から鱗だったのが、結局、知らぬ間に私は太陽の日向のあの匂いが好きになり、自分がその人と同じ匂いを纏って生きてると気がついたのです。誰かからひだまりのような匂いのする女だと言われたことも思い出しました。そうか、そうだったんだ。だから、私がたまに香水をつけたりするときには御用心で、自分を消して化けたいときなんじゃないかと。ふふふ。

匂いの記憶から連想するのは、他にもあって、実は母の匂いと自分の匂いが似てきているのもギョッとしています。こないだ家人から寝顔が母に生き写しだと驚かれて、最近は匂いまで似て来てるので、母は私に乗り移ってるなと感じます。母はそういうことができる人というか、アンビリカルコードで私といまだに通信しているようなひとです。そういえばそんな母と子の関係を匂わせる映画をこないだバンクーバーのシネマテークで観ました。昨年58歳で夭折したジャン=マルク・ヴァレ監督『C.R.A.Z.Y.』です。主人公が死にそうになると母も体に異変が起きます。映画は主人公の成長譚をメインに繰り広げられますが、面白かったです。日本だとおそらく今作の主人公が抱えるジェンダーな部分ばかりが取り上げられちゃうのかもですが、そこの葛藤も青春の痛さも映像表現を通じて楽しめました。

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匂いの記憶は外国の匂いってのもあります。外国のタバコの匂いやチョコレートが入ってた袋の匂い、汕頭刺繍のハンカチの匂い、ラジオのベリカードの匂いや海外からの絵葉書のインクの匂い。そんなものにクンクンして恍惚になってました。大人になって実際に海外へ行けるようになってからは、少しでも海外の匂いを届けたく、包装紙はそのまま渡したり、絵葉書のインクにその土地の空気を封じ込めます。切手を貼る時すら意識します。ここバンクーバーから送ったカードもあなたに届いたことと思いますが、私はあのカードを封筒に入れるときに、ベランダに出てカードを天にふわふわさせてダウンタウンの空気を封じ込めたんです、おかしいでしょう。57にもなるのに、子供じみてるわよね。

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匂いの記憶は沖縄にもあるんだけど、那覇からは最近あまりしない気がします。漫湖から潮の香りとかするけれど、たちまち雑多な匂いにかき消されてしまいます。沖縄復帰50年というけれど、私はもしかしたら、復帰前の沖縄、60年代くらいの沖縄にはもっと匂いがあったんじゃないかと想像します。私が最初に訪れた頃はもう観光にすごい力が入っていた90年代初頭で、そこは台湾でもないグアムでもサイパンでもないアジアのどこかで、さもするとどちらかというと内地向けにアピールしたような不思議な匂いを放っていた気がします。気のせいですかね。だからかしら、私は昔の名残が残る場所や手付かずの場所を求めて彷徨います。那覇の友達も行かないような場所にもいきます。そこで古い記憶を呼び覚ますよう徐々に辿っていくと忽然と太陽の匂いが待っていたりします。そこに風がひとすじふうっと吹いたら、またすごくいいんです。

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そうこうしてるうちに、浜はまるで新緑の畑のように柔らかな黄緑になり、アーサーとりをする人々の姿が見えてきますよね。私の好きな受水走水の稲穂も、大好きな水辺に芽吹く西洋芹も、識名宮の寒緋桜も、きっとそろそろでしょう。

そんな沖縄の春を待ちわびます。

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そうでした、忘れてならないのは、あなたの書簡にあった沖縄1世のご家族のお話大変興味深く拝読しました。あれを読んで真っ先に思い出したのが伊波普猷先生のこちらの本です。世界中に移民したうちなーんちゅに向けてハワイや北米ブラジルなどを渡って講演をしたときのバイブルみたいなものだそうです。私はこれを古書店で見つけたときに狂喜しました。これこそが今最も沖縄県民に読まれなければならない本ではないかと。そんな沖縄県民が忘れかけている何か匂いみたいなものを私は伊波普猷先生のこの冊子から感じられました。ご存知でしょうか?良い言葉が詰まっています。今これを誰かが新訳して子供達に教えることができたら素敵なんじゃないかなって、私個人的にふと感じました。

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ではまたね。

1月20日木曜夕暮れどきのバンクーバーより小さく愛を込めて、タッチ🐾


依子より

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