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7歳の誕生日と、ドレミの歌。

我が家の、甘えんぼう時々ジャックナイフな息子が7歳になりました。

感慨深い。赤ちゃんの頃から喘息、眠りの浅さ、偏食など次々と心配ばかりしてきたけれど、とりあえず元気で明るく育っている。ちゃんとこんな日が来るとは…。
ありがたや、ありがたや。

五感をめぐる繊細な感性と、やさしい心。
この小さな人が見ている世界は、わたしと同じ場所のはずだけど、違って見える。
あなたはたしかにこんな子どもだったのだよということを、この先もずっと忘れたくなくて
ああ、まるで詩のようだと思いながら、息子が話してくれる言葉をときどきメモに書きつけてきた。

「ドレミのうた」

きょうがっこうで、ドレミのうたをうたったよ。
みんなで大きなこえでうたったよ。

ソードーラーファーミードーレー
のところになると、
ぼくはいつも かなしいきもちになる。
だから なかないようにがまんする。

どうしてってママはきくけど、
どうしても、
かなしくなっちゃうんだよ。

息子メモより

これは確か、入学したばかりの春の夜、ベッドの中で息子が教えてくれたこと。
思い出したように目をうるませて布団にもぐりこんだ頭をなでて、わたしも同じだよと言った。

彼が眠りについたあと、忘れないようにそっと隣を抜け出して書きとめたあの夜のことは、ずいぶん昔のような気がするけれど、まだ1年も経っていないのだなあ。

ソードーラーファーミードーレー
で、かなしくなるという息子の気持ちが、わたしにはわかる。

季節でいえば、秋。
人生でいえば、これまでの集大成。

熱を持った盛り上がりののちに訪れる、曲が終わりゆく気配と感傷。
みんなで歌う合唱には、そんな力がある。

彼が一曲のなかに、生涯を感じたのかどうかはわからないけれど、かなしい、という言葉にわたしはどきんとし、愛しく思ったのだった。


あれから10か月。
息子もずいぶん、小学校に慣れたものだと思う。

当初○○くん、と呼び合っていたおともだちの名も、男らしいから?ということで苗字で呼ぶようになった。
エグい、とかダセェ、なんて言葉もクラスで覚えてきて、2年生になったらあの黄色いランドセルカバーを外すのだと、いっちょまえなことを言っている。

男子たちは毎日廊下で、キックやパンチ、領域展開を繰り出したりと戦いに明け暮れている様子。


ドーはドリルで頭刺すー
レーはレンガで耳ちぎるー
ミーはみんなでケツ見せるー


・・・えっと、ほんとうに同一人物でしょうか。
現在、あの尊いドレミの歌は、このようなことになってます。
みんな歌ってるというのだけど 全国共通、なわけないから、超局地的に流行っているんでしょうか?

【悲報】ピュアな気持ちでドレミの歌を合唱していた息子が、下品な替え歌をゲラゲラ笑いながら、歌うようになった。

‥‥まあ、でも、母ちゃんは知ってるからさ。
まだまだとんでもなく甘えん坊な君の内側が、変わらずやさしいってこと。。

これからも、えー!!とかギャー!!とか言いながら、隙間にこぼれ落ちる今だけの言葉を、宝物のように拾い集めてゆくよ。

きっと目まぐるしいようなスピードで色んなことが変わってゆくのだろうけど、その中でも目を凝らせば、変わらないものもある。
去年よりも少し勇ましくなった後ろ姿を、見守っていこう。

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