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子どもと遊ぶ休日は、あと何日あるだろう。

最近、お友達と遊びの約束をしてくることが、息子の中でブームの兆し。

まだ一年生。子どもどうしの約束なので、今週だか来週だかはっきりしなかったり、待ち合わせ場所もあっちの公園と思いきやそっちの公園だったりと頼りないことも多い。

親としては色々心配ばかりしてしまうけど、約束した日に印をつけたり、正座しておやつをリュックに詰めたりしてる後ろ姿を見ると胸が思わずキュンとなる。

自分で約束なんてまだ早いかなぁとは思いつつ、みんなで遊べたと輝く笑顔で帰ってくるのをみると、一律禁止するのもかわいそうな気がする。
彼がその楽しみな約束を叶えられるように、できる範囲で協力しているつもり。

その日、急に遊ぼう、というのはなし。
通る道を決めて、遊ぶ場所も家からすぐ近くの安全な場所だけ。集合時間と、帰る時間を事前に決めて、約束は守る。

先日は、トモキ君の家に遊びに行く約束をしていたのだけど、行く前に神妙な顔で息子が言った。

「トモキ君の家ねえ、なんかすごいキタナイらしい。ホコリが、120こあるらしい。
だからトモキ君が、一緒に拾うの手伝ってほしいって。まずホコリを拾っておうちキレイにしてから、ゲームしたりお菓子食べたりしようってことになった」

「あ、そうなの? ワハハハハッ! ちょっと、詳しく教えて。笑」

爆笑である。
トモキ君ちのあの上品な感じのお母さんも、まさか息子が学校で勝手にこんなこと言っているとは夢にも思ってないだろう。

人の家のこういう話は面白い。(もちろん話半分で聞いてる)
だけど、自分の家だってどんな話をされてるか分かったもんじゃないのだ。適当なことばかり言う小1男子の会話の恐ろしさよ。


これまでずっと、1人息子の遊び相手といえばわたしたち親だった。
公園あそび、ストライダー、ボールあそび、水あそび、自転車や鉄棒、なわとびの練習。
そのほとんどを、正直なことをいえば「しんどい」「つらい」と思いながらやってきた。

自転車で遠出してはじめての公園に行ってみたり、テントのなかで一緒におにぎりを食べたり、幸せだなあと思う瞬間はたくさん散らばっている。
だけど。それでも。なんか、しんどい。

なぜしんどいのだろうと考えてみると、童心を失ってしまい、延々と遊ぶ体力がないのがひとつ。
常に息子中心のプランで過ごしてきたのもある。
そして、なんとなく遊びのなかでも「そろそろこれをサポートせねば」と言う年齢ごとのプレッシャーみたいなものがあり、それがつらい。ボール投げに自転車、逆上がりだの、そういうやつ。
純粋に遊ぶのではなく、こちらが雑念だらけなんである。


息子と同じ目線に立ち、本気で遊んであげる親に、わたしはなれなかった。

だけど、こうなってみて、はじめて終わりを意識したのだ。

「息子がわたしと一緒に公園で遊ぶことって、あと何回あるんだろう・・・」

終わりが見えはじめると、突然頑張れる現象の名を知りたい。

残り少ない(かもしれない)貴重な時間と思えば、遠い目をしてすぐベンチを温めてる場合じゃない気がしてくる。

ちょっとくらい、母のカッコイイ姿、見せときたいじゃないか?

ひたすらドッジボールの夏が終わり、最近はなわとびブームな息子。
いつも監督みたいに見てないで、わたしも跳んでみたらいいんじゃないの。
光の速さで大人用のなわとびを購入し、週末は息子がお気に入りの公園をハシゴした。


冬晴れの中、並んでなわとびをし、「オニゴしよー」と言われば息子を追いかける。

一緒に跳べば楽しいという目論見は半分は外れ、いつもどおり、引っかかるたびに悔しがってなわとびをぶん投げる息子をなだめ、走って転んで痛いと泣くのをなぐさめ、わたしのほうが多く跳べたと絡んでくる息子と小競り合いをする。

どんぐりを拾いあつめ、かたい殻をむいて実を割り、鳥の家と食事を作るというのを手伝って、ベンチでおやつを食べる。夕方疲れた体で暖かい家に戻った。

「すてきなホテルがありますよー」
バードコール(鳥笛)で鳥を呼ぶひと。


前号の暮しの手帖をパラパラめくり、レシピを見て買っておいた豚かたまり肉で、ローストポークの焼きりんご添えを作った。息子がりんごを切ってくれた。

作業時間は5分くらい。オーブンに入れてお風呂に入ってるうち、部屋に美味しそうな匂いが広がってくる。
息子とテレビを見て、少し漢字の練習をして。
みんなで、うまいと言いながら夕食を食べた。

よい休日だったと思えた。

これまで、こんな週末をどれだけ、やり過ごすように送ってきただろう。
「いつまで続くんだろう」とさえ、思っていた。

なのに終わりがみえた途端、その平凡な日々が、愛しく得難いものに変貌する。

わたしの子育てには、いつも少しの後悔と切なさとが栞のように挟まっている。

きっといつかこんな日は足音もなく去り、わたしはしばらく、その日が最後だったということにも気がつかないだろう。
そして今日みたいな日のことを、抱きしめるように思い出すときがくる。それもまた、幸せなのだと思う。

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